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役作りの為に女優が当事者に会えば真実が知れる?【映画】メイ・ディセンバー ゆれる真実

映画「メイ・ディセンバー ゆれる真実」を観た感想を綴ります。

当時36歳の女性グレイシーはアルバイト先で知り合った13歳の少年と情事に及び実刑となった。少年との子供を獄中で出産し、刑期を終えてふたりは結婚。夫婦は周囲に愛され平穏な日々を送っていた。ところが23年後、事件の映画化が決定し、女優のエリザベス(ナタリー・ポートマン)が、映画のモデルになったグレイシー(ジュリアン・ムーア)とジョー(チャールズ・メルトン)を訪ねる。彼らと行動を共にし、調査する中で見え隠れする、あの時の真相と、現在の秘められた感情。そこにある“歪み”はやがてエリザベスをも変えていく……。

公式サイト About movieより

1996年にアメリカで起きた実際の事件を元に制作された映画です。
ユニークなのは事件をなぞる物語ではなくて、事件映画化の為に主演女優が当事者たちや周りの人々に取材をし数週間当事者が住む街に滞在するというストーリーであることです。
全米を騒がせたスキャンダルということで、エリザベスは自分が演じるキャラクター:グレイシーの本当の姿や心の内を探ろうとしていきます。また夫ジョーや子供たち、元夫やその子供、近所の人々にインタビューしていく中で、エリザベスは当初持っていた志からすこしずつズレた感情を持ってしまうことになります。

私たちは日々スキャンダルなニュースを見ると、タブロイド紙の記事に操作されなかなか客観的な視野で物事を見ることはできません。
また真実というのは本当に当事者たちでないと分からない筈です。

グレイシーとジョーは純粋に愛し合っていたのか
グレイシーはジョーを誘惑したのか、またはその逆だったのか

恋愛は理屈ではないので「好き」になる気持ちというは止められません。ただその先一線を超えるかどうかは、自分が置かれている状況により冷静になり理性が働かなければ周りをも不幸にします。
でもね~、そんな簡単に割り切れないからこそ沢山の恋愛映画やドラマがあるわけでそれが時に感動を与えてくれるんですよね。。。
(ただし法を破ったらダメ。これだけは絶対です。)

エリザベスは当初同じ女性としてグレイシーを理解したいと思っていたはずなんですけれど、時間が経過していくうちに「真実はこうなんだろう」という自分なりの解釈をしはじめてしまったのではないでしょうか。
また映画の最後、撮影シーンで監督が何度もやり直しをさせたとき、エリザベスは監督の撮りたい画を撮らせる=作品のスキャンダル性を上げることで映画をヒットさせ自分も有名になるという欲が出てしまったのでは、と思いました。
それはそうですよね、大衆映画はヒットさせなければいけないわけで作品に多くの利権が絡めばそのひとたちが望む形にしていかなければならないわけです。

そう考えると、グレイシーはどうして映画化を許可したのかな。
グレイシーはエリザベスの前では平静を装っていますが、長年に渡り沢山の人に非難され実は情緒不安定になっていてジョーの前で泣きじゃくるシーンが出てきます。けれど、彼女はポジティブ思考の持ち主なのできっと映画を通して本当の自分たちを知って欲しいと思っていたのでしょう。
映画の仕上がりが自分の思い描いたとおりになるかどうかなんてわからないのに。。。

で、結局スキャンダルの真実は映画の中で語られるの?
それは実際映画を観て判断してみて下さい。
それにしても、ジュリアン・ムーアとナタリー・ポートマンの演技が素晴らしかったです。この二人の競演を見るために映画館に行くのもありだと思います!

最後にひとつ。
映画の中で使われている音楽がね、映像とのアンバランスさがあってびっくりしたんですけれど、あの音楽は実は1971年のメロドラマ「恋」の(再構成を経たうえでの)転用なのだそうです!(注1)
どうりで映像は現代風なのに、音楽だけレトロ感ありすぎました。
あの音楽で「火曜サスペンス劇場」を思い出した人いっぱいいたはず。

最初のこの曲がかかったとき、なにかとんでもないことが起こるの?と身構えたらグレイシーが「ホットドッグが足りない」っていうんですけど私、ここで笑っちゃいましたw
火曜サスペンス劇場風音楽とホットドッグのギャップwww
かといえばホットドッグが足りないことは物語に影響をあたえるのかといえばそうではなく。思い出してまた笑った。
このアンバランスさは監督の狙いなのだろうけど、インパクトありすぎました。

私的に「メイ・ディセンバー ゆれる真実」評価は★★★★☆でした!


注1:「メイ・ディセンバー ゆれる真実」実在の事件を安易なエンタメにしない誠実さ(NiEW)より



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