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【桜沢如一】先人の言葉に学ぶ食と考え方 ~食養にこだわるなかれ~

石塚左玄は知らなくても、桜沢如一の名を知っているという人はいるはず。

同様に、

「食養」や「食養生」という言葉よりも、「マクロビオティック」という言葉の方がもしかしたら知られているかもしれません。

桜沢如一が提唱したマクロビオティックは、近年ではあるの種ブームのように広がり、「マクロビ」と親しまれていますね。

でも、

多くの人が認識するそれは、マクロビオティックの本質からは少しずれているようにも感じます。

マクロビオティックは確かに「玄米菜食」を基本とした食養生法ですが、本質的には単に食の内容を言っているものではないからです。


桜沢如一という人

桜沢如一(さくらざわ ゆきかず、にょいち、じょいち)
1893年ー1966年
思想家、マクロビオティック(食養)の提唱者。
マクロビオティックを日本、北米、中南米、欧州、インド、アフリカ、ベトナムに広めた。海外ではジョージ・オーサワの名で知られている。


実は、マクロビオティック(Macrobiotic)という言葉は造語です。

古代ギリシャ語で大きいという意味を持つ「マクロ」と、生命「ビオ(バイオ)」、そして術「ティック」が合わさっています。

つまり、

大いなる生命の術、生きるための術

と解釈できます。


玄米菜食という「食事法」が先行していますが、
創始者の桜沢如一は人間の正しい生き方を伝えるべく、マクロビオティックを普及したといいます。


正直、こうして書いている僕もその本質を理解できているとはいえません。

桜沢如一の著書は何冊も読みましたが、その思想は哲学的で、非常に理解が困難です。

だから、わたしにマクロビオティックを語る資格はないのですよね…

ただ、ここでは少しでも桜沢如一氏の考えに触れてもらえればと思います。


さて、桜沢如一という人物もやはり病弱な体質でした。

「やはり」と書いたのは、食事法・健康法を伝えた先人は病弱だった人が多いからです。

(これは何となく納得できますよね)

京都で生まれた如一氏は、不幸にも父親が6歳のとき家を出ていき、母親が10歳のときに肺病で他界し、孤独となりました。

さらに、16歳のときに肺結核を患い、その後もさまざまな病気を経験します。

そんな如一氏の転機となったのが石塚左玄の食養法でした。

食養を実践し、健康な体質へと回復した如一氏は貿易商となりますが、石塚左玄を中心とする食養会に在籍し、後に会長を任されることになります。

その後、食養の成果を世界に知らしめるべく海外へ出て、石塚左玄の食養を発展させたマクロビオティックの普及活動に取り組みました。

マクロビオティックは、海外でその思想が受け入れられ、多くの評価を受けました。

そしてのちに、日本に逆輸入という形で拡がりを見せています。


とここまで、簡単にお伝えしましたが、詳しく知りたいという人はぜひ書籍を手に取ってみてください。


食養の本質

桜沢如一の思想が記された著作は多く残されています。

その内容をここでは書ききれるわけもなく、繰り返しますが、私自身が真に理解できているとは言えません。

マクロビオティックは単なる玄米菜食の健康法ではなく、それはまるで非常に奥深い人生哲学のようです。


ではここで、今回お伝えしたい桜沢如一が語った食養に対する興味深い言葉を紹介します。

食養は食事の規則を教えるものだと思っている人があります。
大きな間違いです。
食養は金ピラや、大根や人参やコブや半つき米を食べることだと思っている人があります。
馬鹿ですな。
食養は砂糖や菓子やくだものを食わないことだと思っている人があります。
ぼんやりですな。
食養とは、何を食っても(好きなものばかり食って)決して病気にならず、毎日毎日を力強く、(何の心配もなく)楽しく暮らしながら、何かしら残る仕事を仕上げることなのです。
それは神を知ることであり、神を生きることであり、神に生きることであり、神にかえることであり、神を不断に念うことであり、慈母を慕う幼子のように、大自然-絶対無限-を賛嘆することなのです。
こんな「心」の持てない人は健康になりません。
病気と縁が切れません。
人生が苦しみと悩みのつづきものです。
よし健康であっても、苦しみや悩みがなくても、決して勇躍歓喜するほどの 楽しさも知らず、何物をも恐れないで安心してゆく自信がありません。
しかし、食養を守ってゆくと、こんな「心」が、静かに、ひとりでにわいて来ます。
眼が醒めて来ます。
それが食養のネライです。
食養は大自然、神の国、こころの世界を開いてゆくことです。
静かにこの肉体に生命を与える大自然の恵みを深く深く味わい、感謝し、念うことなのです。

『食養人生読本』(桜沢如一 著)


少し引用が長くなってしまいましたが、
私は、この言葉に出合ってマクロビに対しての考え方を改めさせられました。

そして、自分が思い、実践していた食養は、とても浅はかだったことに気づかされました。


食養とは、自然なものを食べ、食を節することだと思っている人が多いでしょう。

しかし、それでは本質には届いてません。

これまでに紹介した先人もみな共通して言っているように、食養とは「生き方」を学ぶものであるのです。


だからといって、
はじめから食を気をつけなくてもいいと言っているのではなく、その心をつくるための食養であるということ。

だから、方法論ではないのです。


無添加の食品を食べていても、玄米菜食をしていても、健康になれない人が出てきます。

それは、本当の意味で食養を実践できていないのでしょう。

この桜沢如一の言葉は、食養を実践している人こそ深く心に突き刺さるのではないでしょうか。


食養にこだわるなかれ
(桜沢如一)


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