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食養とスピリチュアル

ツイッターで僕のことを「スピリチュアルな人」と紹介していた人がいました。

「そんなことないのにな~」と思っていたら、先日、リアルでお会いしたお客様からも同じことを言われたんです。

僕がそれを否定すると、

「いやいや、自分で気づいていないだけで、そっちのオーラをすっごい持ってますよ!」と。

いやいやいや、
「そっちのオーラ」って、、、

もちろんスピリチュアルという言葉は知っているし、会話内で使うときもあります。
でも、それがどういう意味なのかをよく分かっていなかったなぁ、と思ったわけです。

ということで、スピリチュアルとは何なのかを考えながら、ちょっと自分自身のことを見つめ直してみました。

このnoteを「スピリチュアルという言葉は知っているけど、本当のところよく意味が分からない」という人へ贈ります。


「スピリチュアルな人」とはどういう人か

とりあえず、自分自身がスピリチュアルのことをよく分かっていないわけですから、否定をしつつも、その否定が正しいかどうかも分からず、このままでは本当の「スピリチュアルな人」に大変失礼なわけです。

ですので、早速検索してみました。

英語のスピリチュアル(英: spiritual)は、ラテン語の spiritusに由来するキリスト教用語で、霊的であること、霊魂に関するさま。英語では、宗教的・精神的な物事、教会に関する事柄、または、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、教会の、などを意味する宗教形態。

出典元:Wikipedia

スピリチュアルの意味は「霊的である」ということ。

「霊的」という言葉もよく分かりませんよね(笑)

〘形動〙 精神霊魂に関係があるさま。また、神聖で清らかなさま。

出典元:コトバンク

、、、、、

言葉は分かるんですが、いまいち意味がよく分からない。

で、色々と検索していたら、ずばり「スピリチュアルとは」という記事を見つけました。
スピリチュアルってそもそも何? 意味を簡単に解説(マイナビウーマン)

以下、記事からの抜粋です↓

もともと「スピリチュアル」というのはキリスト教用語。
人間という存在に聖霊(=holly spirit)がくだると、ざまざまな奇跡が起こったり、神の言葉を語り出すようになったりするっていう考え方が、キリスト教にはあるのよね。
要するに、目に見えないエネルギーとしての「Spirit」から生まれる体験の全般を「スピリチュアル」と呼んでいたのよ。

出典元:マイナビウーマン

なるほどです。

「目に見えない力」
いわゆる「非科学的」というやつですね。

僕が思う「スピリチュアルな人」というのは、
ちょっと頭がぶっとんでいる人か(こんなこといったら、本当に失礼ですね)、反対にすごく高尚な人。
どちらも現代社会の常識とはちょっと外れている人、ですかね。

すみません。
まだ言語化が難しいです。(、、、まだよく分かっていないかもしれません)

ただ、スピリチュアルの意味は分かっても、なぜ僕が「スピリチュアルな人」と言われるのかがもっと分からない。

勘違いしてほしくないのは、そこに怒りはありません。

そんな風にいわれるような人物ではない、と自分では思っています。

自分が霊的な人とはまったく思いませんし、
長く付き合っている友人からは超合理的な人間だと言われますし、、、

まあ、自分のことは本当のところよく分からない、、、といいますからね。

で、言葉の意味を知った上でもう1度、
自分がなぜ「スピリチュアルな人」と言われたのかということをじっくり考えてみると、少し思い当たることがありました。

それは、僕が大切にしている「考え方」です。

食養の考え方は霊的に繋がる

僕は自然食の仕事をきっかけに、さまざまな健康法を学ぶ機会に恵まれました。
その中で、実際に実践して、体質を改善できたのが「食養」です。

食養とは、言葉の通り「食養生」のことで、食べもので健康をつくり、健康を維持してゆくことです。

しかし、食養の祖と呼ばれる石塚左玄は、食養にはもう1つの意味があると述べています。

食養は「食修養」でもある。

「修養」とは徳性をみがき、人格を高めること。

出典元:Oxford Languages

つまり、食を通して人格を高めるということです。

実は、僕が食養を続けている理由は、ここにあります。

食べものの栄養を学び食事を整えてゆく、いわゆる「栄養学」ではなく、食べものを通して自然の恵みを知り、自然の在り方を学び、生き方を考える

そこにこそ、食養の魅力があると思うんです。

これは自分で勝手に思っているだけかもしれませんが、食養を学んでから、物事に対する視点も変わったし、人間的にも少しは成長できたんじゃないかな、と振り返って思うわけです。(自己満足なので、ここは聞き流してください)

で、話をスピリチュアルに戻すと、
食養と霊的。
ここには確かに繋がりがあるように思います。
というか、繋がっていますね。

食養は「食」を見つめ直すことによって、健康を守るだけでなく、自然の在り方を学ぶものでもあります。

人間は自然の中で育まれてきたもので、自然から離れれば離れるほど、体調を崩してしまうものだと、医聖ヒポクラテスも言っていますね。

人は自然から遠ざかるほど病気になる

自然療法の東城百合子氏も、やはり同じように言っています。

心に悩みがあるときは、自然に帰るのが1番

つまり、食を通して健康を守り、自然と向き合うことで生き方を学ぶ。

それが結果的に人間的成長に繋がり、より良い人生をおくることになる。

う~ん。
改めて考えると、確かにスピリチュアルっぽいですね。

でも、これって自然なことなんじゃないですかね?

偉大なる何かを認める

なぜ、食養が生まれたのか。

なぜ、ヒポクラテスは「自然から離れてはいけない」と忠告したのか。

なぜ、東城先生は自然に答えがあると言ったのか。

これはきっと、人間本来の生き方を教えてくれているんですよね。


今は、現代は、科学に傾倒しすぎている感がある。

なんでも「科学的根拠」がないと認められない世の中。

でも、その「根拠」はもしかしたら、間違っているかもしれませんよ。

遺伝子研究で著名な筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、人間の身体を研究し続けて、人間の力ではどうにも理解できない「偉大なる何か」の存在に直面したといいます。

村上先生はそれを「サムシング・グレート」と呼びました。

人間の力の及ばない偉大なる何か。

神様、ですかね。

僕は、医者に絶対に治らないといわれた難病の人が助かったり、医療ではどうしようもないとされた末期の患者さんが奇跡的に回復した、そんな非科学的な体験をした人と実際に会ったことがあります。

何人もです。

今、思い返すと、みんな「スピリチュアルな人」ですよ(笑)

別に宗教を信仰していたとか、そういうわけではなく、でも、奇跡的に助かった体験を通して考え方が変わったとも言っていました。

科学が認めたものだけ、目に見えるものだけを信じていたら理解できないことが世の中にはきっとたくさんあります。

それが健康という分野でなくても、です。

あれ?
スピリチュアル的なこと、言ってますね(笑)

でも、昔の人はそういうことを感覚的に分かっていたんじゃないかな。
「神様」「偉大なる何か」の存在をちゃんと認めていたから、人間自身の力を過信しなかったというか。

だから、伝統文化があるし、食養があると思うんですよね。

スピリチュアルという言葉に嫌悪感を示す人も少なくないと思いますが、これは食養でなくても、ヨガであったり、気功であったり、どんな分野であっても、真剣に向き合ったら自然とそこに辿り着くんじゃないかな、と思いますね。


ということで、自分にはたしかに「スピリチュアルな人」の一面があることが分かりました。

否定を撤回します。

でも、本物の「スピリチュアルな人」からしたら、何言ってんだ、なにも分かっていないよ、君は。
というレベルですので、まだまだそっちの世界にどっぷりと踏み込む勇気がありません。


あるとむ



▼記事の中で紹介した東城百合子氏と村上和雄氏の本です↓


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