起伏絵画2ー制作記録
幅2700mm 高さ1800mmの段ボールをベースに切り取った段ボールを重ねてゆき、起伏をつくった。四隅が比較的飛び出る構成はくしゃくしゃにした紙の形を参考にしている。それ以外の起伏の形状や位置についてはは計画性もなければモチーフもなく、ただ段ボールを適当に切ってその配置を考え貼り付けては、また次に足すものを考えるといったことを繰り返していった。
この段ボールの重なりによってできる段々は最終的に新聞紙と和紙によって全体を覆い、まさに洞窟のイメージ通りになる予定でいた。画像の中で黄色くなっている箇所が段ボールの表面をなだらかにする処理を試験的に行った部分である。(頁末の二枚目の画像参照)段ボール表面の薄紙を剥いだものを段ボールの段の上に張り込み、その紙同士のつなぎ目やテープを隠すために上から黄色の絵の具を塗っている。
しかしここへきてハサミやカッターで切られた段ボールのエッジの効いた起伏に特有の魅力を感じた。これを消してしまうのは何かもったいない。段ボールという素材を覆い隠してしまうのではなくて、鋭角な段ボールの良さを見直し、ほとんどを覆い隠さずそのまま利用することにした。けれども紙を貼りなだらかにする表面処理の良さも見逃せないので、段ボールをベースに部分的に新聞紙と和紙を貼ってゆくことにした。
新聞紙は段ボール同士のつなぎ目補強したりするために用いることが多くなった。作業を進めるうち、新聞紙の色や記事の文などが意識され、ようやく表現のための素材として馴染んでいった。
次に絵を描ける基底材として機能させるためジェッソを塗った。洞窟には岩の色があるから初めから茶褐色などの色がある状態も考えたが、一昨年の起伏作品で色がある起伏の上に描線を描くことの難しさを感じ、絵が入る前の初期の状態として白にした。しかし白色があまりに単調で淡白なものに感じられたため、ベージュの塗料を部分的に足した。こうして下地は完成した。
鉛筆、パステルで描線を施した。モチーフは建築である。モチーフには起伏との関連性はない。ただ何かを描ければ良いので何度か描いたテーマである建築を主題にとっただけである。けれど、描線だけではどうしても凸凹な下地に負けてしまう。パステルから木炭、墨へと変えてみたがそれでも下地の方が勝ってしまう。起伏のある下地に模様を描いたりしようとする分にはそれはある種の装飾だからただ描きにくいだけであるが、なにかモチーフをそこに描こうとするとなると、すでにある3Dの画面に別の世界を構築するのだからこれは当然容易ではなくなる。加えてこの段ボールの下地は鋭くまっすぐなエッジが落とす影によって「影の線」がいくつも引かれているため影と線の戦いになる。
そうして最終的にスプレーを用いた。これは起伏の抵抗を受けないので描きやすくはあったが、安易な手法でもあった。今振り返ってみると、平面絵画のように決して下地に勝とうとする必要はなかったのかもしれない。起伏のある下地はもはや文字通りの「下の地」ではなくて、主張を免れえない一つのモチーフ、すなわち起伏自体も一つの「絵」として認めていくべきだったのだ。結局自分の中で、下地はあくまで下地であり、絵には強い主役を置かねばならないという意識がこのような結果を招いてしまった。起伏という主役性のないものに自分は惹かれ、それをモチーフとしながらそこに強い絵を置こうとしてしまうのだ。それは自分特有の弱さのためだろうし、その弱さは平面絵画に慣れすぎたためかもしれない。加えて真っ白な余白を取るような絵を描いてこなかったこともあるように思う。紙の地を残す絵画は現代では少なくなった。余白といっても近代日本画では何かしらの背景色が塗られるのが基本にある。そうした中で自分はある種の余白を避ける癖がついてしまっているのではないか。これは自分が風景画を描きにくくしている要因でもあるし、もっと言うなら制作の頻度そのものを少なくしているのだ。主役のない良い絵について、主役性の弱い優れた作品について、余白の扱い、地の残し方について自分は特に学習するべきなのだろう。
描きあがってから「建築の像」というタイトルを付した。自ら起伏をつくり、その上に建築を描きこんだ。3Dの建築、そして絵画としての建築、無意図的にもこの二つの対象が作品上には同時に存在している。主張する下地、それに負けんとする絵画。これはいい意味での失敗をはらんでいる。この作品を起点に絵画における空間の演出、余白の扱い、地の扱いについて今後は調べをすすめたいと思う。