"時間"という存在という話。
30代に入ってから時間の”貴重さ”というのを身にしみて感じるようになった。
どんなに大富豪でも”時間”はお金で買うことができない。ソフトバンクの孫さんは、時間をお金で買えるならいくら大金を出しでも購入したいと言うくらい貴重な存在。
学生時代は、お金は持ってないが、時間はたっぷりあった。
部活をしたり、友達と遊んだり、バイトをしたり、寝たり。活動していない時間はやたら眠くて寝ていた気がする。(部活がハードだったからかな。)
子どもができてからは、自分の時間をつくる工夫をしないと自由な時間がつくれない。
そう。学生のときは、時間はそこに勝手に「あるもの」だと思っていたが、今は時間とは「つくるもの」になっている。
仕事で疲れた身体、心をリフレッシュするための時間はいつのまにか「つくるもの」になっていた。
時間は人間が勝手に設定したものという説もあるが、その人間の中でも1時間という時間の価値はひとそれぞれ。
あと、40年から50年くらい生きるのかな。もしかしたら来年、来月、いや明日で人生が終わるかもしれない。
学生時代に私は人生とは何かを悟ってしまった。
生きている間の「暇つぶし」でしかないのだと。
だから、より充実した時間、楽しい時間を過ごせるよう努めることが大切だと改めて感じる。
さあ、今日はどんな時間を過ごせるかな。