愛のある不調和

引っ越すことを決めた。契約更新の日が近付いている。それに、孤独を貪る日常に瑕ができそうだからだ。

散歩がてら3つ隣の駅のコーヒースタンドに初めて立ち寄ってみる。

大通りから分岐した通りにある、商店街みたいに横並びの店舗群にその店はある。他はレジにエレキギターが置かれた本屋ぐらいで、ほとんどシャッターがおりていた。

コンクリート打ちっぱなしの店内。木製の椅子やテーブル、プラスチックでできた青と白のプランターから生える蔦植物と店員のカラフルな髪色がコンクリートの無機質感に抵抗していた。プロジェクターで壁に投影された映像は無声のディズニー映画で、店内のBGMはよくあるエイトビートのアメリカ産ギターロック。 

すばらしく不調和な店だ。さりげなく積み重なった違和感は、注意深く観察していないと気付くことができない。お洒落を記号にして無理やり組み合わせたような異質な空間であるはずなのに、客は誰もそれを気にもとめていないようで、みんな手元のスマートフォンや本に夢中だ。

私はこの不調和に不思議と居心地の良さを感じていた。この空間は私を受け入れてくれているように思えたのだ。

たとえば、ウッド調に統一された内装のカフェに入るとき、質の高い椅子やテーブルやコーヒーが自分の質まで高めてくれるような錯覚を得る一方で、どうにも気疲れしてしまうことがよくある。あるいは、あまりに洗練されていて高級感のある店に気後れしてしまって入れないこと。これは、ほぼ毎日常連しか来ないような地元の居酒屋にブラリと入ってしまったときに感じる場違い感にも通ずる。すでに完成された世界の中に入っていくとき、自分が店に適合できないことに愕然としてしまう。

私のような人間ひとりが混入したところでびくともしないような混沌がその店にはあった。あるいは、客をも飲み込んでその一部にしてしまおうという気概さえ。
ここにいてもいいんだよ、という愛なのだと私には思えた。

少し、引っ越すことを惜しいと思う。

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