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校務分掌の”公平さ”ってなんだろう
学校にはたくさんの役割があります。
例えば、生徒会担当や進路指導担当、校務主任、学年主任、生徒指導担当、学習指導担当・・・など多岐にわたります。
これらを学校に勤務する職員で分担を行い、校務をはたしています。(会社なども同じだと思います…)
公務員ですので、給料は年功序列で同期であればほとんど給料に差がでないです。
このことからも分担される校務分掌は均等であるべきだと思います。
分掌の種類で給料が変動するなら均等でなくても構いませんが。
しかし、現実には、できる人にはたくさん業務がいき、できない人にはそれなりの業務量となっています。
いくつもいくつも校務を抱えながらなんとかやっている教員もいれば、すぐに終わってしまう校務であったり、たまにしか仕事がないようなものしかなく、余裕を持って仕事をしている教員もいます。
たしかに、能力がある人に大変な業務を任せる方が組織としてはうまく回っていきます。
できない人にいくら押し付けてもできませんから。
一見、公平な感じがしますが、おかしいですよね。
だから私の勤務校にはできないふりをしている教員が何人もいます。
わざと提出物も遅れて出したり、未完成のままレポートなどを提出したりと。
せっかくその方の能力があるにも関わらず、最大限発揮できていない環境があるのはとてももったいないですね。
私自身もできないふりをして他の方にやってもらった経験はあります。
でもそうでもしないと定時で帰宅できません。
業務量が圧倒的に多いにもかかわらず、その偏った分担により、さらに苦しめられている教員がいるのです。
道徳などの学習で”公平”や”平等”を扱いますが、教員が胸を張って語れることはないのではないでしょうか。
自分の能力を最大限発揮できない環境になっている教育はあと何年持つことやら。