気持ちのおとしどころ
夕べ、長男と長男のガールフレンドが帰ったあと、次男とわりと長く話をしました
次男は、自分が父親に行った心臓マッサージが適切だったのかということを救急隊員の方に聞いたそうです
「適切でしたよ」
と言われたことを信じているとのこと
それとこんな事も言っていました。
世の中みんなの日常生活をみていると今の自分と共有できないと
人に対しての見方が変わってしまって、ひとと自分は違うんだと思う自分も嫌になるとのこと
この頃の私が思うことはというと
夫が生きていた日より前のもの、ビデオの撮り溜めや夫がストックしていたジュース をみると「あーこの頃はまた生きていたんだよな」と思って少し苦しくなる
どうしようもないし、考えてもしかたがない
わかってるつもりだけど、いつも思ってしまう
でもあの時、夫が亡くなった時、
次男が一緒にいてくれてよかった
私がまだ帰宅していないことや、次男が外出していない事だとか夫が就寝中にそのまま亡くなってしまったとか
もっと後悔を生むであろうシチュエーションはいろいろ考えられるであろうから
まずこれからの1年を過ごすだと思う
1年前は夫は生きていたわけで、今年はいないのだからいやでも思い出してしまうであろう
夫の思い出を忘れたくはないけど、うすめて、自分の気持ちの中の別の箱に入れないと前に行けない
それでもどうしようもなく辛くて苦しい時は、次男に吐き出して、整理をつけよう
私の52年の人生において、これ以上の想定外のことは初めてだと思う
しかし
違うかもしれないけど、この出来事が何か意味があるような気がしてしょうがない
違うだろうか
まぁ、考えても仕方がない
とにかく少しずつでも前に前に‥ですかね