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ギター初心者が100%ギターを挫折しない方法に気づいた話
最近、ギターを買った。中学からドラムに打ち込んで20代をバンドに捧げてきたが、ギターはまるで他人だった。
大人になって、全くの初心で何かを始めることの意義と面白さを、このエッセイで伝えたい。まだギターを触り始めて数日で恐縮だが、ここで伝えられる内容には、ギター歴は関係ない。
なぜなら、これはギターだけでなく、スポーツや武道、趣味にビジネス、人間関係など、全てに共通する本質的な内容だからだ。
自分が常日頃思考している、人生の喜びと、自己の本質に沿ったありのままの生き方とは何か?というテーマに行き着く。それはあなたがこれから始めるどのような〝初心のものごと〟の上達にも適用できるだろう。
文中の「ギター」をあなたにとってのそれに読み替え、最後まで目を通してくれたら嬉しい。
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ギターに限らず、何かを新しく始める事についての一番の面白さは、これまでの経験が生きる、ということだ。
正確には、「積み重ねたものをどう応用するか」その工夫に面白さが凝縮されている。バチっとキマッた時の躍進の加速は快楽そのものなのだ。それは掛け合わせるジャンルが離れていればいるほど面白い。(楽器とスポーツ、楽器と数学、など)
過去の経験とはかけ離れたジャンルに、共通して流れる何かを掴む経験を積むほど、自分自身の「成長の方程式」がわかってくる。
ギターは挫折率が高い楽器らしい。
だが10代からギタリストの友人から言わせれば「ドラムの方がシビアで難しい。ギターはある程度雑でも成り立つから簡単」だとのこと。
自分は高校の音楽の授業にギターが導入された時、全く弾くことができなかった。そのせいで成績が4から2へ半減したのだが、
今回数十年ぶりにギターを触ってみて、
ほぼ全てのギター初心者が
「挫折するやり方」をしているだろうことに
ふと気づいた。
9割の人間がギターに挫折するそうだが
このやり方では、強靭な意志と明確な目的を持ってギターを始めていない限り確実に挫折するなと確信する。
まず、右も左も分からない初心において、いきなり技術的なことに走れば、当然難しい。苦しくなるし、つまらなくなる。
ギターと言えばコード弾き。まず基本はCコードでしょ、Fが一つの難関で、これをいかにマスターするか!
そんな「常識」を採用して始めてしまうから挫折する。
これは当たり前で普通の取り組み方に思えるが
出来ないことを繰り返す練習法は
「できない事を確認し続ける作業」であり
自ら自分の心を折りにゆく不毛なやりかただ。
「自分にはできる」を実感し
「小さなできる」を積み重ねる経験こそが
自己肯定感を育み、楽しさが集中力を伸ばす。
それがスムーズな上達に繋がる。
まず、一番はじめのはじめに
「自分対ギターの関係性」がある
あなたはギターとどんな関係性を作りたいだろうか?
自分は楽しい関係性になりたいし、恋人のような関係になれたならもっと良いし、生涯の伴侶となるならば最高のベストフィナーレだろう。
何より自分の場合はギターで自己表現をしたい。
互いの全てを受け入れ合うような蜜月を築きたいと思っている恋人に対して、難しい理屈の話や、恋人と仲良くなるテクニックを弄してみたり、社会の常識的会話を持ちかけたいだろうか?
まあ興味があるならそれも良いかもしれない。
自分の素直な想いを伝えること。
大切な存在だと伝える。
愛情を自分のやりかたで表現する。
そんなシンプルなことではないだろうか。
「自分対ギターの関係性」とは、コード弾きや、既存の曲をコピーすることではない。
ギターという楽器に人生で初めて出会った気分で、今日までに身に着けてきたギターについての偏見、固定観念をできる限り見つけては外して、、そんな風にしてギターと出会い直してゆくことだ。
楽器を触れて、音を鳴らして、弦の感触と自分の指先からカラダに伝わる響きを感じ、自分の感情の動きを感じて湧いてくる表現の心地よさと次の音への衝動に身を任せることだ。
下手でも形になっていなくても関係ない。次の音が全く音痴でも良い。少しづつ、仲良くなる。楽しめるいい関係を作ってゆく。そのようなあり方の中に競争相手は存在しない。
そうすることで、「自分の中のギター」と出会ってゆく。
それは、誰もが知るところのギターという観念ではなく、自分の中に生き生きした実感として芽吹き育ってゆく。
それが、あなただけにとってのギターの実体なのだ。
そして、そのメチャクチャな自己表現という名の”音遊び”が、ギターの世界の様々な地域を歩き、全体像がまとまってきたとき、結果として一つの曲や音楽が現れてくる。それが””楽器と人”という関係性として、とても自然なプロセスなのではないだろうか。
例えば、砂場で子どもが誰にも教えられることなく山を作ったり線を描いたりするように…
音楽、楽器の技術や理論ははるか昔から今まで受け継がれて来た叡智であって、それに倣わないで始めるなんて「車輪の再発明」ではないか、と思われるかもしれない。
だが、人の心からの喜びとは
テストが上手く出来た時ではなく
内側から湧き出してくる〝創造性〟を
素直に表現できた時に
強烈に感じられるものなのである。
そこに技術の上手下手は関係ない。
創造性と喜びをこそ主体とするべきだ。
あなたの創造性に、他者は関係ない。
創造性はその人の命そのものだ。
人にとって創造することは生きる意味そのものだ。
内側から創造性が湧き出し、それを思うがままに表現する時、人は”悦”を感じる。
悦は喜びの最上級だ。それは内から湧き出す以外の出現方法はない。
だから誰かの真似ばかりすることや、誰かが定めた正解を求めること、誰かと比較されることに生はない。だからいずれ苦痛になってゆく。
自分の創造性を発揮できない物事
心から興味がないものをなぞることに人はイキイキしない。
それは本来機械がやるべき仕事だろうと思う。
〝悦〟への没頭こそ、幸福であり、人生の醍醐味だ。
内側から喜びと幸福が湧き出してくるような何かに出会えたなら、それは生まれる前に決めてきた運命の出会いかもしれない。
来月、ギターに挫折していたら指を指して笑ってもらいたい。それもまた、自分の人生の自由なのだと、開き直るだろう。
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