暮らし日記20 「受け入れる」までのこと
こんにちは!雑貨屋 あるくらし 店主の絢音です。
雑貨屋 あるくらし は、「小さな発見と実験」をテーマに、暮らしのセレクト雑貨販売とワークショップの主催をしています。現在店舗はなく、イベント出店から活動をスタートさせました。言葉を残すことも大切な活動のひとつで、noteでは、お店の歩みや店主の暮らし日記・勉強メモを掲載しています。
料理する事が好きです。新しいレシピを見たり試したりする事も好きですが、それは「余裕があるときに限る」です。余裕がない時は、「本当は作りたいのに作れなくて悔しい…」という自分の小さな抗議をはぐらかしながら、レシピを見なくて作れるごはんや外食、夫が作ってくれる料理に頼ります。
そんな、余裕はないけれど家で料理を作りたい時、私はキーマカレーをよく作ります。冷蔵庫の余った野菜をひたすたみじん切りにし、野菜室の見通しを良くしながら割引になっていたミンチと一緒に炒め、カレー粉を合わせます。ここまでは結構無心で、ひたすら作業のように手を動かします。そしてこの後「和風でいく?」「オーソドックスでいく?」と自分に問いかけます。ここがちょっぴり楽しみな分岐点であります。今回はオーソドックスにトマト缶や中濃ソース、塩コショウ、ほんのちょっと砂糖と醤油を入れて味を調えてみました。目分量で味を決めて調えていく工程に少しの充実感を得ます。新しいレシピを勉強したり調理法を知るような喜びとはまた違いますが、「美味しい」と思える時間は純粋に嬉しいですね。
今回のテーマは、「受け入れる」までのこと
6年半使ってきたカメラのレンズが故障しました。ちょうど後日投稿しようと執筆中のnoteの挿入写真を撮影しているときでした。
急に画面が暗くなり、まさか…と、ひやりとします。
「ちょっと待って、ちょっと待って」と言いながら電源を切ってバッテリーを抜いて、入れて。再度電源をつけるけど、液晶画面は暗いまま。
同様の症状について、復旧方法がネットに掲載されていないかと、
「●●(カメラの機種名) 画面 真っ暗」と検索。ネットからはおおよそ9割が故障、1割ほどの直る「かもしれない」という情報が汲み取れました。
やはり人間、ほんの少しの希望にすがりたくなります。「こうすると治りました!」という情報をいくつか試しては、明るくならない画面。
時間を置いてみたら変わる?すぐに電源を入れて確かめたい気持ちを何度も堪え、数時間待って電源を入れるけど、暗い。
「終わった、、」
とうとう堪忍しました。悲しい気持ちに心の何割かを支配されつつも、これからも付き合っていきたいカメラ。どうにか直さないと。胸がキュッとなりながら不具合の箇所や修理相場、部品の買い替え等をリサーチしていきます。記事を読み漁ると不具合は本体ではなく、レンズの可能性が高い事が分かりました。ざっくりとレンズの相場やオススメを調べ、大型の家電量販店に電話をし、カメラを持っていけば、レンズの装着を試せるという事を確認します。心の余裕を逼迫していたこの事件をなるべく早く解決すべく、家での作業をきりの良いところで中断し、梅田行の電車に乗りました。
家電量販店に向かう車内、そういえば、どういうきっかけでカメラを買ったっけ?これまでカメラと過ごした日々を少し思い出します。
スマートフォンでも十分に綺麗に撮影ができる時代、カメラが特段趣味でもなかった私が買いたいと強く思ったのは、初めての登山が終わった後でした。胸を打つ景色に感動し、今、自分の目で見ているこの時間を、なるべくそのまま残したい。そう思ったことが一番の後押しになっていました。
当初は登山を中心に景色をおさめていたカメラですが、環境が変わり、少しずつ登山へ足が遠のき、雑貨屋あるくらしの活動を始めてからは、専ら活動に関連する撮影に欠かせない存在となりました。趣味や活動をスタートさせた時、嬉しい、綺麗だと感じた時、そういえば、なんだかんだ旅行の度バックに詰めていました。もちろん初めてのフィンランド旅行にも。思い返すと、人生の節々を記録してくれていたなと頭が下がります。
ありがとう、ありがとう。
家電量販店に行って、カメラを見せると、やはり故障していたのはレンズで、本体は問題ない事が分かります。商品特性の説明を受けていると、比較的長持ちしたという事実が分かり、天寿を全うしてくれたのかと、少し救われた気持ちになります。「レンズの出費は痛いなぁ」とため息をつきつつもまたカメラが使えると分かり、ひとまずホッとします。最寄り駅に向かう電車に揺られながら、「仕方ない」「良くやってくれた」という言葉を心の中で唱え、落ち着かせていきます。こんな日の締めくくりは、ちょっといい事があって欲しい。晩ごはんに唐揚げを揚げて、今年自分の中でヒットしている榎本美沙さんのキャロットケーキのレシピでケーキを焼いてやります。
オーブンの庫内灯のボタンを時々おして、膨らむ姿を見る度「わぁあ」と嬉しく、ちょっと満たされ、明日の楽しみを作って眠りました。
カメラのレンズが故障する数日前、何かの話の流れで夫と「みんなそれぞれ、1日の中でも感情が動くし、1週間や1か月単位でも波があるよね」と話していた事を思い出しました。
暮らしの中には、小さなものも含めれば、プラスにもマイナスにも無数に心が揺れ動く出来事があります。
ただ、悲しい・辛い事が起きた時の動揺は、年齢とともにこれまでの経験を取り出し、頭の中で「仕方ない」「何とかなる」と受け入れる技術が高くなって、表面上は凪のように取り繕う事が少なくありません。(取り繕ってるつもりが、漏れ出る時もありますが)今回のカメラの事を振り返っても、「受け入れる」姿勢はとれるし、そのために行動するけど、心の揺れ動きを「感じない」なんて事はできないし全然動揺する、私。と思いました。
揺らぎながら、考えたり、思い出したり、動いたり。少しずつゆっくりと「受け入れるまで」の手順を踏んでいる気がします。
そんなことが頭を漂っていると派生して「心の揺れや傷を抱えながらも受け入れようと努めて、普通に接してくれていたなぁ」と思う家族や友人、自分の周囲の人の姿を思い出しました。心が揺れたまま、傷ついたままどうにか進んでいたり、大人っぽくふるまってくれている、そんな誰かがそばに居るって、めちゃくちゃ有難い事ですね。ふと立ち止まって、みんな、頑張ってる。と思い出し励まされました。
そして同時に、外傷のようにすぐに気づける事ではないから、そんな誰かを慮る事ができなかったりもするし、知らずに傷づけていることもあるかもしれない。そんなことを過去にしちゃったこともあるなぁ、と反省もします。
見えない「受け入れる」までのことを、ずっと考えていた日々を残しておこう。どうにかこうにか踏ん張ってくれている誰かを、忙しさにかまけて忘れそうになる時が、弱い私にはどうしてもきてしまうから、書いて、時々思い出して、過ごしていきたいなと思ったんです。
はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お読みいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
店主 絢音