「学ぶ」ことと「働く」こと
このノートでは、さまざまなことばを拾っていきたいと思います。しばやん流の「ことば」術。題して、詞の葉拾いです。
わたしは、今年から国際協力や社会的企業に関心のある方のキャリア支援みたいなことを始めました。わずか数か月のことですが、その中で感じていることをお話しします。
標題の言葉と似たような言葉で、「勉強」と「仕事」という言葉があります。そうですよね、なぜか、ついつい私たちは、このような使い方をしませんか?
この「仕事」をするのに、何を「勉強」すればいいのですか。
この「勉強」をすることが、(将来の)自分の「仕事」に何の役に立つのですか。
「勉強」したって、「仕事」の世界では、まったく役に立たない。などなど。
別に、ことばそのものが悪いわけでもないのに、かわいそうな使われ方だと思いませんか。「勉強」も「仕事」も、日常生活を送るうえで、非常に大切なことばですよね。
わたしのキャリアセミナーでは、「勉強」や「仕事」ではなく、「学ぶ」ことと「働く」ことについてお話をします。
もしかしたら、「勉強」や「仕事」は、生きていく上で、やらなくてもいいことなのかもしれません。しかし、「学ぶ」ことと「働く」ことは、人として生きていく限り、意識しているのか意識していないかにかかわらず、絶対に必要なことです。
しかも、「学ぶ」ことと「働く」ことは、よりよく「生きる」ことに直結しています。
つまり、「生きる」ために、「学び」と「働く」が必要なのです。
「強いて勉める」ことや、「仕える事」は、それぞれ、「学ぶ」ことや「働く」ことの一つの局面にすぎません。
歩く仲間では、自分の足もとを見直そうとしている仲間を応援しています。そのためのメソッドを、ともに学びませんか。