お金では買えない大切なもの
今回、みなさんに、お尋ねしたことがあって、このようなタイトルの記事を書こうと思います。
それは、みなさん、情報って、タダだと思っていない?ということです。
わたしは、アラビア語を大学で学んでいました。ちょうど、大学生3年生の時に湾岸戦争が勃発し、日本も大変なニュースになったのですが、(この経緯については別の記事に書きましたので省略します)、そのとき、つよく思ったのが、「知は力なり、ただし、それは開かれたものでなくてはならない」ということです。
わたしがいう「知」とは、知識や科学技術など、有形無形のすべてのものを含みます。もちろん、そこには、「情報」もはいっています。これらの知識や技術は、「力」そのものでもあります。
この命題が意味することは、「知」や「力」は正しく使わなくてはならない。「知」や「力」を持つ者の、ノーブレス・オブリージュ(名誉の責任)というべきものです。
実際、われわれの世界の99.9999999…パーセントのことは、人間界で明らかになっています。ただ、「わたし」が知らないだけです。むろん、人間が知っていることは、この地球上、あるいは全宇宙からみれば、本当にちっぽけなことです。
それを置いておいても、世界には、「わたし」が知らないことは、もう無限大にたくさんあります。
わたしは、上記の理由により、「知」を囲い込むことに対して嫌悪感をいだいています。つまり、ちょっと自分が知っていることを、さも希少価値があるかにみせかけ、「自分だけ」利益を得ようとする考え方が理解できないのです。
そのような理由から、自分が、自分以外のみなさんから学んだことを独り占めにしたくないのです。
しかし、このわたしがみなさんから「与えられた」情報は、タダかというとそうではないですよね。特に、ひとから直接、口頭で教えていただくことは、その人が血の出るような思いをして得た知恵や経験であることが多いです。
でも、だからこそ、わたしは、そのひとがわたしに託してくれた思いを大切にしたいのです。
昔の先輩は、仕事は盗むものだといいました。その意味することや重要性も、わたしは理解していると思います。
でも、明らかに、その「知」が目の前の人を救うであろうことが分かっているのであれば、わたしは差し出してあげたい。
それは、カスラムメイドで、どこかの本にあることではなく、わたしがみなさんから託されたものを、しかもオーダーメイドで、あなたのために使ってあげたい。
タダだと思えばそれでもよし。わたしが提供するものの、あなたにとっての価値をわたしにお金という形でみせてください。
もちろん、もので払うというのもありです。
ということで、当面、お布施方式で、わたしの経験や知識を、それを必要とするひとたちに生かしてもらうことにします。
P.S.
写真は、フィリピンのマニラ湾に沈む夕日です。若者たちが防波堤の上で語らっています。一体、なにを話しているんだろう。