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フィールドワーク・現地調査をおこなう上で重要なこと【マインドセット】

フィールドワーカーとして大切にしている5つのポイント

私がフィールドワークもしくは現地調査をおこなう上で重要だと考えることを5点あげるとすると、重要度順に下記のようになる。

1)誠実であること、
2)自分の立ち位置=外部者であることの自覚、
3)現地に入る理由が明確であること、
4)地域の重層性を意識し、周辺に目を配ること、
5)偶然を必然にかえる後じまい、が挙げられる。
以下にそれぞれを詳述する。

1)誠実であること:

フィールドワークや現地調査の地域や調査対象(モノ、ヒト、無形文化など全て)、調査目的などがなんであれ、一番重要なことは、調査者が自分自身に対しても現地に対しても誠実であることである。もともとのきっかけが学術研究であれ仕事であれ、調査資金を出すクライアント、調査者である私、調査対象を代表する現地のヒト(ビト)を少なくとも、3者の利害関係が衝突するのがフィールドワークの常である。

その中で、委託者であるクライアント(外部のみならず自分であることも含む)と現地のヒトビトとの間に立つ調査者は、必然的に狭間に立つ存在であり、特に、調査の進捗や結果、目標のためにクライアントと現地のヒトビトとの利害が相反する場合には、自分がどちらの側の人間であるのか思い悩み、他者のみならず自分の気持ちまでも偽らなければならない場面に追い込まれる可能性が常にある。

私が職業として社会調査などをおこなう開発コンサルタントの一番最初に教えられたことは、「うそをつくな」ということであった。

2)自分の立ち位置=外部者であることの自覚:

自分の職場や住んでいるところを調査する場合であっても、フィールドワークや調査というコンテクストにおいては、調査者である自分は、調査対象に対して常に絶対的に外部者であることを自覚すべきである。いくら気心の知れた友達であれ、なんの利害関係もないなかでの雑談・おしゃべりと、フィールドワークの一環であるインタビューの中での会話を同質のものであるととらえることは、事実の誤認のもとであり、時には信義則や調査倫理の逸脱となりかねない。

文化人類学的な長期的な調査や、調査目的を最初の時点で定めようとしないフィールドワークにおいては、調査対象であるインフォーマントとの信頼関係の熟成(ラポール)を、調査を円滑に進めるための潤滑油として推奨する考え方もあるが、特に海外における仕事としての調査やフィールドワークを考える際には、一部の特定のヒトとの過度な親密な関係は調査の全体や、さまざまな利害関係者が同じ地域に重層的に存在する場合においては有害ともなりうる。

特に開発援助などの、外部からの資金や技術を持った専門家の介入の現場では、主に調査のフィールドワークに従事する開発コンサルタントや開発NGOの専門家は、資金提供者であるドナー、業務内容の範囲をきめるクライアントなどの性格により、政府側もしくは住民側など、特定の一部の立場からフィールドワークを行うことがある。その場合に、クライアントやドナーの立場からある方向性をもった調査結果を求められる場合が少なくない。

その場合、調査される側にとってみれば、明らかな特定の意思を背後にもった外部者であることは見た目にも明らかであって、純粋な学術研究であっても、調査結果が調査者や調査対象のヒトビトの意図しないところで、特に政治的に使われることは十分意識しておく必要がある。つまり、調査者がどんな意図であれ、調査対象者にとってはいつまでたっても外部者なのである。

またその調査を、調査する側と調査をされる側の、間にたつチェンジエージェントとして、利害対立するとされる両者を‘つなぐもの’として、双方が利用しようとすることは日常的に起こっていることであり、調査者がその渦中に知らず知らずにも巻き込まれていることは決して珍しいことではない。

逆に、外部者として、調査する側、される側の利益の調整や、同じ調査対象の内部での権力関係の調整などに調査者本人の意図をもって介入することも可能である。同時に、「外部者としての役割や介入」を、調査対象のヒトから期待されることは、よくあることでもある。このような外部者ならではの、力の自覚と立場の優位さについて、調査者本人が自覚していることは当然のことであるといえる。

また同時に気をつけなくてはならないのが、調査をする側、調査をされる側と想定されているヒト以外の、双方が意図的にせよ無意識にせよ、外部者にみせまいとするヒトやモノがある可能性が非常に高いことを忘れてはならない。これは、犯罪にかかわることや社会構造など地域の構造的な暴力や、障害者や被差別民の存在など、当面の調査やフィールドワークの対象ではないと、そのことを知るヒトが意図的に隠していることはよくありうる。

このように、外部者である調査者が容易に知ること自体が難しい「見えないヒトビト」がいるということを前提に調査対象に向き合わなければならない。

3)現地に入る理由が明確であること:

上記の1)、2)から必然的に導き出されることとして、なぜ外部者である調査者が、調査対象=現地にいなくては、いかなくてはならないのかについて、調査者側に説明責任があることを理解しなくてはならない。自己の研究が目的の場合でも、クライアント、調査者である自分と調査対象との関係について、クライアント、調査対象のヒトビト、そしてなにより自分自身に対して、それぞれ自分自身の言葉で、現地に入る理由を常に考えておく必要がある。

これは、必ずしも一つだけの理由や一つの言葉しかだめという意味ではなく、それぞれの立場のヒトに対して、それぞれが納得できるであろう大義はあらかじめ持っておくほうが、調査者の立ち位置について糾弾されたときに、自分のみならず自分が調査で関わったヒトビトの利益を守ることにつながる場合があるからである。

4)地域の重層性を意識し、周辺に目を配ること:

特にクライアントが自分でない場合、否、自分であっても、フィールドワークや現地調査は、時間とお金の制限を持ったプロジェクト形式でおこなわれるのは通例であり、その調査自体が、その枠内で所与の成果を収めるように、最初から研究や調査の枠組みが決められていることが多い。

その場合に、いくら短期間で、予算的にも行動範囲が制限させられたとしても、一フィールドワーカーとしては、調査対象の、全体的な理解が求められる。

ここでいう全体的とは、理性的かつ論理的な意味での、調査目的や調査対象と当初定めた対象を取り巻く物理的なモノ、ヒト、コト、そして忘れてはならないのが、その同じ場所におけるトキ(時間)という四次元的な理解、さらには身体感覚、いわゆる視覚、聴覚、触角、味覚、嗅覚など五感を通じた調査対象の理解である。

どうしても現地滞在期間が短い場合、現時点でも、ヒト、モノ、コトの観察や調査だけに時間を取られ、それ以上の想像力を働かすことは困難であるが、まさにその場所で過去に何があったのかを知ることが、現状を理解するのに決定的な裏付けや理由である場合が少なからずある。特に、現時点で見えないヒトは、過去の何かがきっかけで、その場における存在を、現状をみせようとするヒトに意図的に不可視化させられている場合が多い。

また、五感に代表される身体感覚については調査や研究のアウトプットとしてあらわされることはあまり重視されていないが、クライアントやその他、調査結果をシェアしたいと思う外部の人たちに対して、臨場感やリアリティの再現という意味においては、圧倒的なわかりやすさとなる。

全体的な把握というものは、現地に行くことができる調査者にしかない特権でもあり、いかなる調査の枠組みであれ、調査者が意識しておくべきことである。

5)偶然を必然にかえる後じまい:

調査や研究が、そもそもプロジェクトという枠組みをとる限り、調査対象との接触は、原則、一期一会のものとなることは必然である。もちろん、研究者や職業調査者の場合であれ、同じ場所に時間をおいて、何度も訪問して継続的な調査を行う場合や、違う調査でもたとえば対象機関レベルでの担当者として10年、20年と人間関係を続けていることは全然珍しいことではない。

ただし、調査やフィールドワークのあり方によっては、調査対象から二度と来てほしくないと拒絶される場合が少なからずある。そもそも、調査対象の選定、その調査やフィールドワークにいく調査者が選ばれたこと自体、偶然であり、調査対象との関わりも、その時にたまたまの偶然で重要なインフォーマントにあったりあわなかったり、調査のプロセス自体も計画通りにいかず偶然に左右されることが通常である。

その中で、出会ったヒトビトに対してできることは、1)誠実に、2)自分の外部者として立場を理解してもらったうえで、3)現地にそれなりの正当性を持って入り、4)公正で公平な外部者としての分をわきまえることが、結果として、このヒトにあってよかったという調査対象のヒト、モノ、コトに対しての誠意となりうる。

結局、とどのつまりは、ヒトとしての付き合いが求められているのであり、調査者や研究者である以前に、生まれや育ちがいくら違ったとしても、一人の人間であるという共通理解なくしては、フィールドワークや調査はなりたたないと私は考える。

それが、たとえ偶然の出会いであったとしても、結果として未来からみたときに、必然の出会いであったと調査者本人にとっても調査対象のヒトにとっても、互いにそう思えることは調査者冥利につきるであろう。

少なくとも、一期一会の偶然は、双方にとって貴重な必然であったと思えるようなフィールドワークや調査を心がけるべきである。

2016年1月22日 柴田 英知

初出:開発民俗学への途・・・共有編
http://www.arukunakama.net/kaihatsu_study/2016/01/post-ca01.html

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