地元に残っていたら僕は今頃なにをしていただろう
『地元に残っていたら僕は今頃なのをしていただろう』そんなことを最近考えていた。
僕は中学校へと上がると同時に、京(東京)へと上がった。
父が仕事で東京に転勤になったとき、父に『東京行く?』と聞かれた。
そのときの僕は、きらびやかな東京を思い浮かべ、『行く』と答えた。
それが、始まりだ。
地元の友人と離れ離れになるのは、名残惜しかったが、日本代表である東京に興味があったから、途中で投げ出さずに東京に行った。
そこから、東京にある中学を卒業し、高校では地元の大学ではなく、都内の大学を志望した。
そして、今も東京にいる。
ちょっと前に、地元の友達が『東京行くから会わないか』というLINEをくれた。
彼と会って、小学生のときのようにだべっている中、地元で小中高を育った彼から地元話をいろいろ聞いた。
彼の周りの意外な話や納得感がある話を聞く中、口には出さなかったが『地元に残っていたら僕は今頃なにをしていただろう』と、ふと考えた。
バタフライ効果を考えたら、途方もない思考だが、一つ、確かに思ったことがあった。
それは、父の転勤という、イベントがなければ自分は地元から離れなかっただろうということだ。
悪い意味ではなく、周りに流されて、地元の専門学校や大学を志望し、自分の意志から東京に出ようとすることはなかっただろう。
そうなる可能性があった未来を想像するのは、なんだか楽しい。
色々なあったかもしれない未来を想像するのは楽しい。
その行為自体が『未来は無限にある。だからこそ、未来は決まっていない』ということを、僕に信じさせてくれるからだ。
それを信じることでわくわくが生まれる。
僕が歩く道はカタカナのトの形をしていた。
このまままっすぐ行くこともできたけど、曲がることもできた。
僕は曲がった。それだけだ。
ときには今みたいに、直進していた未来に思いを馳せるのもいいかもしれない。
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