覇道日記 〜初路面運転頂上緊張〜 9/11
昨日、仮免許に受かって今日、初の実技教習in路面。
自動車学校から出る瞬間からメチャクチャ緊張した。
思ってたよりも20倍ぐらい緊張した。
歩行者、自転車に気を常に配りながら、後ろの車、前の車と同じスピードで標識を確認しながら進む。
やらなければならない事がシームレスに襲いかかってくる。
自動車学校では「バイクの割り込み確認」など形だけやれば良かった事を真にやらなくてはならない。
さもなくば、簡単に人を轢いてしまう。
運転中に感じたが、「人間不信」があるかもしれない。
例えば、優先道路は当然、優先車線にいる側が優先される。
自分が優先車線にいて、ちょっと前にいる車が優先車線に入ろうとしている。
ルール上自分が先に行かなくてはならないが、「もし、前の車が自分の車に気付いてなかったらどうしよう」と考えてしまい、停止してしまうことが多々あった。
仮にも僕が【合理的経済人】であれば、「自動車の運転者は当然ルールを知っているしそのルールを守るはずだから、優先道路に自分がいる状況でちょっと前の車が割り込んでくるわけない」と考えて、進むのだろう。
だが、自分は残念なことに【不合理的経済人】である。
多分前の車の人もそうだろう。
だから、「全ての人間が100点の動きをする」を前提にするのではなく、「全ての人間は80点の動きを取り、たまに30点の動きをする」と考える。
人間の合理性に対し疑義を呈しているわけだ。人間が。
命題「人間は合理的である」が【真】ならば、人間を信じていないことになる。
人間不信ってわけだ。
多分、今自分が持ってる「他者の運転を信用できない感覚」は遅かれ早かれなくなるのだろう。
そうならば、我々は物事を学び、順応することによって、「人間の合理性」を悟るのだろう。
それから、他人を信用できるようになるのだろう。
まあ、その結果、灯台下暗し的な不合理性を見落とし続けるのだろう。
鼻から人間を信じることも、信じないことも不合理性をもたらす。
人間不信が0度ならば人間過信は360度。
いい塩梅にしないといけないね。
それがとてつもなく難しいんだね。
基準がないから。
極端に振り切ることがかっこいいとされるけど中庸的な立場にいることが1番難しいことではありそうだな。
チャーオー。
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