何者かになる為とやりたい事。クリエイターへの憧れと興味の分散について
消費型オタクとは私のことですが、やっぱりオタクなら何かを生み出してみたい。そう思うことはあるのではないかと思う。
熱しやすく冷めやすい私は始めたことを直ぐ辞めてしまう。世の中には娯楽が沢山あり、痛い所に目を瞑れば無限に遊べてしまうと思う。それは私が色々な事に興味を持ちやすいタイプであるから。
それだけ聞くと聞こえは良いけれど、良くないと思う所がある。熱しやすいと冷めやすいはセットであるからだ。"興味を持つ"ということは1日の時間をその興味に対して一部使うことになる。無限に時間がある訳では無いから、興味1、興味2、3...と増えていってしまう。印象が薄くなった"興味"はどんどん消えていくことになる。
そうして興味の戦いが繰り広げられ生まれたのが、浅い人間だった。気がついたら興味が分散してどっちつかずな人間になっていた。何もかも中途半端で断片的に調べた知識だけあって、何かにのめり込むようなことが出来なくなってしまったのだ。そうなると本当に大変だ。自分が何をしているのか表現できなくなってしまうのだ。何者なのか分からない。そこから非物質的なことにハマり、こうして文を適当に書き、自分の頭を整理すること。また少しでも自分を表現するために言語化活動を日々行っている。
クリエイターへの憧れ
クリエイターはすごく憧れがある。最近になり私にとってそれは2つの理由から生まれるたことであると感じた。
まず1つ目は好きだから。すごく単純なんだけれど、、。私はアニメやライトノベルとか創作物の中に10代を通して浸かってきた。後半は音楽ばかり聴いていた。辛い時期も創作物が現実に潤いを与えてくれているような気がした。それから単純に現実が見えなくなる程好きで、実際に自分が創作の世界に干渉したいと思うようになった。
2つ目は、自分を表現するため。先程自分が何をしているのか表現できなくなったと述べたが、そこから来るものである。Twitterで色々な方のプロフィールを見る機会がある。"イラストを描いています" "音楽をやってます"とかやはり創作をしている方は輝いて見える。「創作をする暇なんかあればリアルを頑張れ」という意見も、リアルを頑張っていて良いと思う。でも私はリアルに対して冷たく無気力な人間であるから中々厳しい。まぁそんな感じで生活するとリアルも上手くいかず、創作も興味の分散によりどっちつかずになる。そう言った感じで今は〇〇とかやっているよと言えなくなってしまった。現実世界では劣等生で、趣味世界でも何かをやっている訳でも無い。そんなところから自分を表現する為にクリエイターに憧れた部分がある。
ここまで書いてきたが、結局自分のやりたい事が定まる事は無い。同時並行なんてのは能力ある者が出来ることであり、大体1つを専門としている人に同時並行が勝つなんてのは現実味が無い。ある程度一定時間熱量を掛けることが大事なんだと思う。
解決しないという事で、今もその場その場でやりたい事をやるような生活だ。2023年は何か進歩のある年にしたい限りである。
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