恐る恐る...「バービー」を見て
事あるごとに私は「フェミニズム映画」に対して
一方をサゲて、一方をアゲるだけの物語に意味はなく
お互いに”敬意を払う”ものこそが前向きで意義のある作品だとして
「Hidden Figures」のように史実をベースに人種性別に対して強く心沸き立ち、男女どちらも最高でどちらも悪い部分がある。ということを描き
「Last Night In Soho」のように、受けた被害から憎しみに囚われて他者を攻撃する人間が、最後にはそれらの悲劇を繰り返させないよう若者の背中を押す。と陰陽の両面を描いている。
そんな素晴らしい傑作「フェミニズム映画」を挙げているのですが
では「バービー」はどうだったでしょうか。
端的に言うと不完全燃焼でした
ケンが性愛と実存に悩み、家父長制に囚われ、最後には自己の確率を果たす。というこの流れ自体には何の文句はなかったのですが…
問題…というかどうしても男性視点からすると、ケンや現実の男性もまた、家父長制やトキシックマスカリティの被害者になり得るし
その家父長制の呪いを断つには…まで描かれていれば傑作と言えるものでしたが…
そもそもバービーの世界というものは基本的には女性のためのもので、「毎晩レディースナイト」であることは本当に問題なのか?という疑問も…
もし現実が女性が過半数以上の重要な役職に就いていて、男性に対してセクハラを行いがち…ということであれば、ラストの「毎晩レディースナイトじゃなくていい」という結論に納得はいきますが
現実はその逆で、女性が割を食ってることの方が多い中で「男性にも配慮を」という部分をクライマックスに持ってくるのはズレているというか
訴えるべき&現実を変えようとする最終的なテーマは
”家父長制≒資本主義”に絞るべきだったのでは…?
さらにいえば、ケンが現実の男による家父長制の呪いに掛かる要因はアメリカの負の部分…と言ってしまえば簡単ですが
反ルッキズムや個人の趣向を当然としよう。という話の中で
”筋肉”って悪いことなの…?とか
マンスプレイニングと「オタク特有早口」との違いって…?とか
そこはあんまりポジティブじゃないんだ…とか
構造上の対立軸として「バカで支配者として描かれる男性像」の偏見というか、そこには不寛容というか無理解なんだ…と
(そうじゃない男性キャラを一人出せば済むのに)
最終的に伝えてるテーマには好意的に受け取ったし、多くのパロディネタや笑いどころも多く、ビジュアルやケン達のダンスもとても楽しめたのですが
そこに至るまでの細かい描写と
対立側の現実にある問題の定期や滑稽さの描写に比べて、女性自身側に対しての自己批判性の無さはどうしても引っ掛かってしまい…
それって結局、殴ったら殴り返す…のループになっちゃわない?と
発露の先にある問題がチラついてしまい…
というのも、1994年の「シンプソンズ」では
バービー人形に内蔵された「数学の授業って大変」という音声が物議を醸した「ティーン・トーク・バービー」という一件をモチーフにした回がありまして
それは偶像による刷り込みと、資本主義の問題。
そして「俺は18~49才の白人男性、どんなバカなこと言ってもみんな話を聞いてくれる」という最高の皮肉台詞
もちろんそれだけにとどまらず、うっすら消費者側も切りつつ、最後には自立した女性というものが僅かなりとも波及していく。という
しっかり各方面を斬りつける厳しくも温かい名作回があります!
こちらの第5シーズン14話「リサvsマリブステイシー」は
どこよりも自立した女性を描き(ながらも内情は差別的で)
もっとも(支配的な)資本主義を体現した
ディズニープラスで見れるので是非こちらをこそご覧ください
とはいえ監督のインタビューとかを見て、全然男サゲを意図的にするつもりはないのはよく伝わりましたし
私が見ていて嫌な気持ちになった部分が現実に存在しているのは疑いようのない事実で、自分はそうならないよう意識と努力している”つもり”なので
そこは他人事というか、そういうクズがいる。と俯瞰して見るべきだよね….!
あと予告編では分からなかったバービーにある意味相互干渉的に影響を受ける母親の存在はよかったし
何者でもないバービーが至る結論というか結果と、そのオチも素晴らしいし
文句というか男特有の居心地の悪さみたいなものを除けば
かなり楽しめました。
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