王子の中庭 4
「なんだ、そんなことだったのか」フェリペは軽く流す。
「おいおい、おまえはこのブルゴーニュ公国に生まれ育ったお坊ちゃんだから、そんな気楽なことを言うが、ハプスブルク家ときたら、神聖ローマ帝国皇帝とは名ばかりの、貧しい地方領主に過ぎなかったのだよ。こんな豪奢なタペストリーや高級織物などを輸出して繁栄している国とはわけが違う。なにしろ、わが父フリードリヒ三世の日常は、庶民に近いほど簡素な暮らしぶり。ご自身、野良仕事までなさっていたほどでね」
「わあ、面白い!」フェリペは野良仕事をする皇帝の姿を想像して拍手する。
「確かにね」マックスも陽気に笑う。「それまで私も父上のことを気弱で不甲斐ない男とばかり思っていた。事実そういう面はあったのだが、でもそれだけではなかった。体面のためとはいえ、婿として、そしてブルゴーニュ公国の護り手として出立する息子である私のために、八方手を尽くして金策にかけずりまわってくれている父上の姿を見ていると、本当に頭が下がる思いだった」
「ふぅん…」幼いフェリペには父の言っている意味はよく分からないようだった。「お金を集めるって、そんなに大変なことなんだ?」
「そうだよ」マックスは我が息子の方へと片手を延ばして頭を撫でる。「なにしろ、ウィーンからブリュッセルへの道のりは遠い。途中、神聖ローマ帝国配下の国々や諸都市を通るわけだが、あまりに貧相な様子だと、ただ恥ずかしいだけでなく、それぞれの国王や領主にあなどられて攻め滅ぼされるきっかけにならぬとも限らない。いいかい、よく聞いておくがいい。お前もいずれはブルゴーニュ公国の領主として、そのきびしさを身をもって味わうことになるだろう」
「そっか…」さすがのぼんぼんも少し考えさせられた様子だ。
「ようやく父上が工面してくださった路銀と家来たちとともに出立することになったときは、ほっとすると同時にはやる気持ちでいっぱいだった。だって、いつフランスのルイ十一世が攻め入ってくるかもしれないのだからね」
「そうなの」と、マリアが口を添える。「私も最初はそのことばかり危惧して夜も眠れなかったの。ところが、マーガレットが『さしあたって心配することはないわ』と言ってくださったの」
「どうして?」それまで黙ってみんなの話に聞き入っていたマルガレーテが訊ねる。「お祖母様はいつだって単なる気休めを言うような人ではないのに」
「そうね、あなたはお祖母様のこともよく理解しているのね」マリアは娘の顔を笑顔で見てうなずく。「実は、ルイ十一世は、単に領地を奪い返そうという意図だけでなく、ご自身もご子息を私の婿がねと思召していたらしいの。ご子息といったって、当時わずか六歳の男の子だったのだけどね」
「六歳!」フェリペはあきれ顔だ。「お母さまはその時何歳だったの?」
「二十歳よ」マリアはあっさりと答える。「でも、よくあることよ」
「ほらね、わかってきたかい?」マックスは息子を諭すように言う。「王族・貴族の結婚なんて、たいていはそういうものなのだよ。おまえだって、いつ縁談がくるかわからない。もちろんマルガレーテもね。しかも、相手が何歳年上か年下かわかったものじゃないんだよ」
「そう。私は幼いころから騎士物語が大好きだったから、純粋な恋愛にあこがれてた」マリアは静かに回想するように言う。「自分にはこんな夢のような恋愛なんてできないのかと思うと無性に悲しくてね…。そういう私の思いを知っていたからこそ、お義母様はいざとなるまで事実を話してくださらなかったのだと思うわ」
「事実って?」マルガレーテが訊く。
「実は、お義母様はルイ十一世との交渉のために特使を送ってくださっていたの。私と先方の六歳の王子との婚約の打診という名目でね。もちろん、時間稼ぎのための偽装だったわけだけれど、特使は巧みに交渉を引き延ばしていてくれたの。マクシミリアンとその軍隊が到着するまでにね」
「そうだったんだね…」マックスも初めて知ったらしく、考え込んだ様子だ。「すまなかったね、すぐに駆け付けてあげられなくて…。なにしろ、父上が工面してくれた金子も、道中ケルンで底をついてしまってね…。貧しいということは、なんと不甲斐なくも悔しいことなんだろうとつくづく我が身が嫌になったよ…」