花嫁の飛翔 2
ただし、ここは正確には修道院ではなく、敬虔な半聖半俗の女性であるベギン Begijn たちが集まって、慎ましやかな信仰生活を送る、一種のコミュニティーであり、ベギンホフBegijnhof、つまり文字通りには「ベギンの園」と呼ばれていた。
住んでいるのは未亡人が多かったが、良家の子女が精神修養のために一時的に寄宿するケースもあり、みんな精神的な姉妹として穏やかに暮らしていた。
フアナはこのベギンホフの雰囲気がすぐに好きになった。
中心をなす広い中庭には木々が並び立ち、地面のあちこちに花々が植えられている。
その草木の手入れをしている女性、そこを散歩する女性、木のベンチに座って編み物をしている女性…、それぞれ自由に自然な過ごし方をしている。
身支度を整えたあと、尼僧院長の住居へと案内されるフアナに、彼女たちは笑顔で静かに挨拶する。
だれも、フアナが何者なのかなどとは全く気にする様子はない。フアナは、これまでになかった不思議な居心地のよさを感じた。
朝食の席で一通り初対面の挨拶などを済ませたあと、フアナはそのことを尼僧院長に話してみた。
「ここでは皆さん、神のもと平等ですから」と、尼僧院長はうなずく。「ときに、私のことはマリーMarieと呼んでください。もとはフランスのソワソンSoissonsの出なので。もっとも、マリアでもメアリーでもけっこうですけど」
「はい、マリー」フアナは尼僧院長の笑顔につられて微笑む。「私のことも、フアナでもジョアンナでもけっこうです」
「まあ、愉快な方ですのね」マリーは静かに笑い声をたてる。「あら、失礼。ほんとうの尼僧院でこんなふうに笑ったりすると顰蹙をかいますわよね。こんなふうだから妙な新興宗教とか異端とか、いろいろと誤解を招くこともあるのかもしれません」
「異端…ですか?」フアナはちょっと悲し気な顔をする。「まさか、そんな…」
「ええ、あなたのような人なら誤解したりはされないでしょうけど、ベギン会には神秘主義的な面もあるものですから…」
「神秘主義?」
「はい、私たちは教義や戒律もたいせつにしますが、それと同時に一人ひとりの精神のなかに神秘なエンライトメントenlightmentをもたらしてくれる瞑想を重んじています」
「その瞑想とやら、私にもできるでしょうか?」
「もちろん。おのぞみでしたら、今日にでもどうぞ」
「ぜひ、お願いします」
「はい。ただ、瞑想によるエンライトメントには個人差がありますし、その日その時の本人の心身の状態によっても異なってきます。ですから、焦らないで、あまり気を張らないで、自然体で臨んでみてください」
「はい…」続けて、うっかり〔お姉さま〕と言うところだった。
尼僧院長には、それだけの風格と慈愛が感じられた。だが、実際にそう言ってもよかったのだ。ここでは全員が精神的な姉妹だったのだから。
それはともかく、フアナにはマリーが暗に示唆してくれている意味内容を察するだけの知識と洞察力とがあった。
瞑想によるエンライトメントとは、おそらく神との直接的な交感による啓示のことなのだろう。
しかし、それは通常の教会の権威を軽視することになりかねない。信者たちは、あくまでも教会に属する聖職者たちを介してのみ神とつながりが持てる―それが当時のキリスト教の主流派のドグマだった。だからこそ、教会が免罪符などというものも発行する権利が認められていたのだった。
さらには、そうやって信者個人が自力で真理に触れ、深い知を得ることもできるという考えそのものが、主流派からは最大の異端として敵視されているグノーシス主義に通じるものと誤解される恐れは十分あるだろう。