砥部焼とは。 日常で輝く美しさ、その歴史と特徴
愛媛県経済労働部 産業支援局 産業創出課 技術振興グループ 担当係長 首藤喬一さん
手作り・手描きの美しさ
砥部焼文化を科学技術で支える
―砥部焼が生まれた歴史的な背景を教えてください。
砥部は砥石の産地として古来から有名な場所でした。伊予砥(いよと)と呼ばれ、東大寺・正倉院文書には、観世音菩薩像を作る際に「伊予の砥」を用いたことが書かれてあります。長い間、砥石は庶民にとっても刃物の研ぎに欠かせない道具でした。砥部焼(磁器)としての歴史は、大洲藩が藩の財政立て直しのため、砥石くずを使った磁器作りを進め、1777年に杉野丈助が磁器焼成に成功したことが始まりです。
―砥部焼とはどのようなものか。特徴はありますか。
一言で言えば、砥部町を中心に作られている焼き物でしょうか。白地に呉須(藍色の顔料)で絵付けされたものをイメージされる方が多いかもしれませんが、色や形も様々。100軒近くの窯元さんがそれぞれの個性を発揮した作品を作られています。
―首藤さんが考える、砥部焼の魅力は。
やはり手作り・手描きであることでしょう。昨年度まで砥部の窯業技術センターに勤めていましたが、センターに行くまでは、砥部焼は家の食器棚にいつの間にか入っているもので、誰が買ったのか誰からもらったのか、それさえも分からない。生活に馴染みすぎていて興味をもっていなかったのですが、多くの人の作品に触れ、その制作の過程を知ると、「これは自分のために作ってくれたんじゃないか」と思うほど心揺さぶられる作品に出合い、手に入れざるを得ない(笑)、という経験を何度もしました。
砥部の職人たちは先人の知恵を学びながら、それぞれが手仕事の技術を磨き、素晴らしいクオリティの作品をたくさん作っています。みなさん、デザインや使い勝手などお好みはそれぞれでしょうが、実際に砥部を訪れ作品を見てもらったら、必ず気に入る器に出合えると思います。
―首藤さんの仕事はどのような内容ですか。
窯業の基盤となるような坏土(はいど)と呼ばれる陶磁器の素地を作るための粘土や釉薬の研究、調査や試験など、窯元さんの困り事を主に科学技術面からサポートする仕事です。
―課題や新しい取り組みはありますか。
昔は壺や花器などの調度品が売れていたので、大きなものを作ることで磨かれる技術がありました。今の人たちは、大きな物は売れないので作らない。時代の流れの中でニーズのあるものを作っていくというのは当たり前ではありますが、一方で技術が継承されないという危惧もあります。また、私たちの仕事で言えば、作るところまでではなく販売するところまでお手伝いしなければという思いがあります。
何が正解で何が良いと簡単には言えませんが、砥石・陶石の産地という焼き物作りに恵まれた土地で約250年続いてきた砥部焼という文化をつなげていくために、今必要なことを模索し続けています。
首藤喬一
実は人前で話すことは得意ではないが、砥部焼をより広めたいという思いから、アートコミュニケータとしての学びを深め「ひめラー」としても活動中。
【インタビュアー】ひめラー:山口聡子