悠久の時を知る遺跡群
愛媛考古学協会 会長 岡田敏彦さん
焼き物の里としての源流
そして歴史を紐解く古墳群が語るロマン
―このエリアには重要な古墳群があるそうですね。
大下田(おおげた)古墳群といって、1号墳から15号墳まで、実は15の古墳群が存在しています。もともとみかん山だった場所の木を切って、総合運動公園などを整備する際に発掘されました。その後、削られて施設が整備された場所とそのまま残された古墳があり、残されているもののいくつかは見学できるようになっています。実は近くに埴輪が置かれた0号墳も発見されていますが、私有地なので発掘はされていません。
―岡田さんはどのように関わっていたのですか?
このエリアが発掘されていた昭和47年から52年までの5年間はずっと携わっていました。早朝から夕方まで作業をし、宿舎に帰ってから資料をまとめ、その後、全員で喫茶店に集まって情報共有しながら翌日の作業を調整したら1日が終わるという、発掘にどっぷりの毎日を過ごしていました。以来、さまざまな発掘作業に関わり50年になります。
―そんな岡田さんから見た、この大下田古墳群の重要性や面白さはどんなところでしょうか。
周辺に広がる古墳群では5世紀には方墳、6世紀には円墳、7世紀には方墳と形が変化します。大下田古墳群の中にある6世紀中頃に造られた円墳は、横穴式石室なので潰れているものも多いですが、25メートルの直径をもつ大型の円墳からの出土品は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に保管されるなど、国の歴史的にも重要な意味をもつものが発掘されています。また大下田山の頂上部にある3号墳は2基の両袖式横穴式石室があり、入り口をふさぐ方法も一枚岩のもの、石積みされたものと様式が異なっていたり、純金の耳環が発掘されたりと興味深い点がたくさんあります。
また、キャンプ場の北側や運動公園と動物園の間にある古鎌山などの周囲には窯の跡が多数あり、須恵器や、時代は不明ですが珍しい備前焼のような炻器(せっき)が見つかっています。現在の砥部焼と同じ登窯様式という点も注目すべきポイント。焼き物に適した粘り気のある土があり、水があり、そして燃料となる森林があることが焼き物の生産に適した土地であることを裏付けていたのではないかと思います。古墳時代は窯周辺で燃料となる木々がなくなると、50年ごとに窯の移動を繰り返しながら須恵器を焼いていたと考えられます。
―現在の砥部焼の原点を感じられたり、遥か昔の生活が垣間見えるようで胸が躍りますね。
見落とされがちですが、大下田古墳群はフィールドワークできるようになっています。もしかしたら須恵器のかけらなどを見つけることができるかもしれませんが、持ち帰らないようにしてくださいね。発掘作業当時の写真や古地図などを見ながらツアーができたらいいなと考えています。
岡田敏彦
東温市文化財保護審議委員・砥部町文化財保護審議会委員・松前町文化財保護審議委員・伊予市文化財保護審議委員・公益財団法人愛媛県埋蔵文化財センター評議員を務める。高校生の頃から発掘作業に従事するなど、記憶と共に当時の貴重な資料などを保持している。
【インタビュアー】ひめラー:加藤 翔、早川晶子