見出し画像

生活と制作の間でアーティストが考えていること。山中suplexと6okkenの実践——YAU SALON vol.26「いま、アーティスティック・コミュニティでは何が起きているのか」レポート

2024年5月29日夜、有楽町・国際ビル7階のYAU STUDIOを会場に、YAU SALON vol.26「いま、アーティスティック・コミュニティでは何が起きているのか」が開催された。

「YAU SALON」は、毎回、都市とアートにまつわるテーマを設定し、多彩なジャンルのゲストと参加者とが意見を交わすYAUのトークシリーズだ。第26回のテーマは「いま、アーティスティック・コミュニティでは何が起きているのか」。アーティストが集まり、知識や技術などを共有し感性を刺激し合う。さらに、その集団自体が外にも開き、国内外のアーティストともつながっていく——。今回はそんなコミュニティの実践を行う「山中suplex」と「6okken」のメンバーが集まり、互いの活動について対話した。

ゲストとして山中suplexから共同プログラムディレクターを担当する池田佳穂、6okkenから筒|tsu-tsu、津島英征、堀裕貴、山口みいなが参加した。それぞれの活動紹介にはじまり、奇しくも同日(2024年3月30日、31日)に開催された二組によるイベント「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」(山中supelx主催)、「ダイロッカン」(6okken主催)についての活動報告、後半では会場の質問も募りながらより詳しいコミュニティの実態に迫った。

当日の模様を、カルチャーやアート関係の媒体で編集や執筆を担当する編集者の恩田栄佑がレポートする。

文=恩田栄佑(フリーランス編集者) 
写真=Tokyo Tender Table


集まり、拡大し、繋がっていく「山中suplex」

はじめに、山中suplexを代表してプログラムディレクターの池田がこれまでの活動を紹介した。

山中suplexについて説明をする池田佳穂氏

京都府と滋賀県の県境、京都の市街地から車で15分の比叡山に位置する共同スタジオ・山中suplexが設立したのは2014年のこと。創設者の小笠原周、小宮太郎、石黒健一など、京都の美術大学出身で主に立体作品を制作するアーティストらが制作環境を探していたところ、もともとは白川砂(寺院など庭園に用いられる白い砂で、現在は採掘禁止)の採掘場だった廃墟と出会い、スタジオとして利用し始める。石、木材、金属を加工する立体作品の制作は、市街地では騒音や粉塵の処理という問題があり難しいが、ここでは気にせずに制作を行えるというのが決め手だった。

こうして誕生した共同スタジオ。最初は水道も電気も通っていない状態から、さまざまなアーティストが参加し、それぞれが自分の制作環境を整えることで立派なスタジオとして整備されていく。活動当初は京都のスタジオビジット(アート関係者の視察)で漏れてしまうことが課題だった。そこでメンバーは人を招き入れるためにもBBQ(ベーベキュー)などイベントを開催。さらにはギャラリーを増築して発表の場を設けるなど、外へと開くための活動を開始した。途中で山中suplexに加入した池田自身も「バーテンダーとしてイベントに参加したのが関わるきっかけでした」と明かした。

精力的にイベントを開催し、作家以外にキュレーターのメンバーも参加するようになり、知名度は広がっていった。だが、コロナ禍に突入すると、世間の流れと同じく集まることを禁止されることになる。そうしたなか山中suplexが開催したのが、会場を車で回るユニークなドライブイン展覧会「類比の鏡/The Analogical Mirrors」(2020年11月6日〜12月6日)だ。

日没後のスタジオを舞台に、スタジオメンバーに加えて、ポーランドや台湾の海外アーティストも招聘して作品を展示。鑑賞者は車に乗ったまま、スタジオ内の作品を巡っていく。反響も大きく、これをきっかけに「山中suplex」名義で準アーティストコレクティブ的な動きが加速した。

「類比の鏡/The Analogical Mirrors」展(2020)の様子 Photo by Kai Maetani

昨年は都心ヘのアプローチの試みとして、大阪市内に別棟「MINE」を期間限定でオープン。オルタナティブスペースとしてさまざまなプロジェクトを行い、定期的にトークイベントを開催した。他にも、スタジオメンバーだけではなく、メンバー以外の若手のアーティストや、スペース運営やコレクティブに興味をもつ希望者を募り、インドネシア・ジャカルタにある大型スタジオ「Gudskul(グッドスクール)」への現地視察を実施するなど、下の世代にも積極的にチャンスを与えている。

そして、共同スタジオとして始まり、外へと染み出しながら活動すること10年。山中suplexが全国各地のインディペンデントなコミュニティの実践をつなげるために開催したのが、シェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」だ。2024年3月30日、31日の二日間にわたって開かれた同イベントでは、国内外の各地でオルタナティブな活動を展開するコミュニティが集まり、キャンプ形式で各団体が蓄積してきたノウハウを共有。活動の担い手たちの交流に基づくネットワーク形成を試みる機会となった。

参加したのは山中suplexのほかに、art space tetra(福岡市)、Gudskul(ジャカルタ)、国立奥多摩美術館(東京都青梅市)、タネリスタジオ+Art Space&Cafe Barrack(愛知県瀬戸市)、飛生アートコミュニティー(北海道白老町) 、バイソンギャラリー(兵庫県神戸市)、WALLA(東京都小平市)という、バラバラの土地で活動する8組。他にも誰でも参加できる「一般参加枠」と、今後アーティスト活動や場所づくりを志す人に向けた「若手未来枠」を設け、多くの人が山中suplexに集結した。

シェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」(2024)の様子 撮影=山月智浩
シェアミーティング「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」(2024)の様子 撮影=山月智浩

イベントでは、各団体や参加者のプレゼンテーションとディスカッションが行われ、合間にはお茶会やモルック、BBQ、さらにはドラム缶風呂など、交友を深めるためのレクリエーションも散りばめられた。とくにBBQの時間では、明け方まで参加者同士の交流が続いたといい、池田は「いまの若い人たちは、コロナ禍のあいだ人と気軽に交流できなかった世代。その若者たちが夜遅くまで焚き火を囲んで楽しそうに喋っていたのが印象的だった」と当日の様子を振り返った。

こうしたイベントは、本来ならばアクセスが悪い共同スタジオではなく、市内で開催することもできたはずだ。だが、「山の中で非日常な時間を過ごすことで、参加者の距離がぐっと縮めることができた」と池田。人々が普段とは異なる環境のなかで交流することの重要性を指摘した。

「6okken」とはアーティストによる連帯

続いて6okkenからは筒、津島英征、堀裕貴、山口みいなの4名が登場し、活動を紹介した。

左より6okkenメンバーの津島英征氏、筒氏、山口みいな氏、堀裕貴氏

総勢14名のメンバーから構成される6okkenの活動拠点は、富士山を望む山梨県河口湖近くにある自然に囲まれた6棟の家だ。シェアハウス、レジデンス、民泊の3つの機能を持つアーティスト・ラン・レジデンスとして運営しており、現在、2棟はシェアハウスとして筒や山口みいな、山口遼など数名のアーティストが生活し、残り4棟はレジデンスプログラム、合宿型のワークショップ、民泊などで利用している。

6okkenの外観。敷地内に6棟の建物が立つ 撮影=高羽快
建物は富士山や河口湖が一望できる高台にある 撮影=Hee-Hee

共同スタジオとしてスタートした山中suplexとは異なり、6okkenが生まれたきっかけはシェアハウスだった。メンバーでアーティストの筒は、以前、20代のクリエイターが生活を共にするシェアハウス「F/Actory」を運営していた。当時、大学の経済学部を卒業して役者として活動していた筒は、同世代のアーティストと生活するなかで、作品の作り方や活動を経済的に成り立たせていく方法を学んでいくことになった。また、シェアハウスでは掃除当番など小さな決め事が生まれると話し、「そうした小さなことを決めていくことが明日につながっていくような手応えを感じた」という。

シェアハウスとは、そんな「家であり、学校や組合のようでもある場所」と語る筒のもとに、当時のオーナーから山梨で6棟の家を運営しないかという声がかかり、2022年9月に6okkenは始動した。

そもそも6okkenとは「アーティストによる連帯」だとメンバーは語るが、その「アーティスト」の定義は幅広い。6okkenでは、アーティストという存在を「自らが手放せばこの世から消えてしまう視点に向き合い続ける人」と定義する。実際に今回登壇した筒はドキュメンタリーアクター、山口は現代アーティスト、津島は広告代理店勤務、堀は写真作家とその立場はさまざまであり、ほかにも編集者、建築家、研究者、農家など多様な人々が所属する。

ただ、拠点となる6棟との関わり方は人それぞれ。生活をする者もいれば、津島や堀のように「みんなで集まれる別荘のような場所」と語る者もいる。普段の生活環境から離れ、都心での時間を一度忘れて、みんなでBBQをしたりして過ごすという。

6okenの内観 撮影=Hee-Hee

6okkenの活動のひとつに、合宿型ワークショップ「Experimental Camp」がある。2023年から3回にわたって実施されたこの企画では、参加者が7日間、寝食を共にして即興的な制作や議論をする。企画した山口は「発表を目的に制作するより、その手前の生活のなかで自分から溢れるものを大切にして向き合う時間をシェアするため」に合宿を開催したと話す。そして、この「Experimental Camp」の方法論を拡張したイベントこそ、今年の3月に開催した「ダイロッカン」だ。

「ダイロッカン」(2024)の様子 撮影=髙羽快

ダイロッカンとは、山梨県の後援を受けて開催された6okken初の芸術祭だ。国内外から18名のアーティストが参加、その人々が「VISION」「TOUCH」「AUDITION」の3つのグループに分かれて14日間の集団生活をしながら、それぞれが気になっていることをメンバー同士で共有し、議論を重ねていく。

例えば「TOUCH」チームの元整体師の参加者が投げかけた関心は、「整体ベットを使ってみんなで体を動かすことをしたい」というもの。これに対して他のメンバーも一緒に体を動かしてみて、アイデアや言葉でフィードバックしていく。それは目的を定めた議論ではなく、思考と体を動かしながらみんなで考えるという実践だ。

「ダイロッカン」の様子 撮影=髙羽快
「ダイロッカン」の様子 撮影=髙羽快

こうして参加アーティストたちの14日間は過ぎ、3月30日、31日にはその成果が一般公開された。会場となったのは、6okkenの近くにある広大なキャンプ場。パフォーマンスアートを中心にした展示が行われ、2日間で延べ500人が来場した。

今回のイベントのアーカイブを担当した堀は、映像や写真による記録にも力を入れたと語る。滞在中、スチールやムービー部隊も常駐しており、360°カメラを用いた空間全体の撮影も行われた。現在、今年中の発表を目指しアーカイブブックを作成中だという。

大盛況に終わるも、筒は「結果として、売り上げ的にはトントンだった」と振り返る。二日間のチケット収入は滞在制作中の経費や海外アーティストの渡航費などに充てたという。もちろん収益を得ることが第一義の催しではないが、「アーティスト・ラン・レジデンス」という活動の特徴ゆえ、アーティスト自らの制作プロセスにお金を落としてもらえないと存続できない。

しかし、「現状では、作品など形になっていないものにお金を落としてもらうことはまだまだ難しい」と筒。それに対して津島は、無理なマネタイズで活動の軸を見失うことは避けながらも、有志による持ち寄りで継続している活動のため、経済的な破綻だけには陥らないように活動をコントロールしていくことが大事だと重ねた。

アーティストとさまざまな人が行き交う制作拠点の可能性

後半は、モデレーターを務めたYAU運営メンバーの深井厚志や、会場からの質問に二組が回答した。

最初に深井が、同じくアーティスティック・コミュニティであるYAUが考えてきた「都心にアーティストの活動拠点がない」という問題意識について述べた。

YAUが拠点を置く東京駅周辺の大丸有エリアをはじめとして、都心には美術館やギャラリーといったアート活動の「結果」を発表をする場所はあっても、その過程となる制作を行う場所や、アート関係者が普段から集まれる場所が少ない。それは外から見たら、アーティストが積み上げてきた上積みしか共有できず、その前の途方もなく続く生活と地続きの制作のプロセスが都心にはない状況とも言える。だからこそ、YAUは有楽町でアーティストが制作する場所を作り、そこで生まれる可能性を探る。この話の流れで深井は二組に、「アート制作と生活の距離感をどう考えているか?」という質問が投げかけた。

モデレーターを務めたYAU運営メンバーの深井厚志氏

山中suplexは、池田と、会場にいて急遽参加することになったメンバーの陶芸作家・坂本森海も交えてこれに回答した。同共同スタジオでは、坂本をはじめアーティストが制作で普段から拠点を利用する一方で、池田はディレクターのため拠点には常駐せずに外部から仕事を進めている。また、アーティストのなかでも引っ越しに伴いスタジオを使用しなくなったが、所属自体は続けている人もいる。このように、「拠点との関わり方には人によりグラデーションがあり、それぞれの日常が交差することで、スタジオでは多様な営みが広げられている」と池田が語ると、坂本も「スタジオにいながら出会いがあって楽しいです」と続けた。

坂本森海氏

さらに今後の可能性のひとつとして、関西圏にあるスペースを移動しながらトークイベントを定期開催し、都心部へとネットワークを広げることで、最終的に本体の山中suplexに還元できるのではないかとも考えているという。

6okkenは、まず津島が都市部のクリエイティビティの消費速度について言及した。都市部ではデザインやアートなどの作品制作から発表までの速度が目まぐるしく、生活のリズムが崩れたり、精神的な疲弊に晒され続けることになるという。津島は「制作と制作のリズムは、自分ひとりでコントロールすることは難しい。リズムを緩めるための場と、リズムを速めるための場を選べるようにしておくことが個人にとって大切で、そのために6okkenの拠点をみんなに開きたい」と語った。

重ねるように山口は、自身も美術大学の大学院を卒業後、アート業界の競争や東京のスピードに疑問を感じ、そこから抜け出そうと模索するなかで6okkenと出会い、「さまざまな人がいて、日常生活に重きを置いて制作を続けていることに希望を感じた」と語った。また、美大で卒業制作の展示の後、ゴミ置き場に作品が山ほど捨てられている光景に違和感を覚え、「展示とはアーティストにとってのゴールなのだろうかと悩んでいた。そうしたなかで6okkenに参加してみると、東京から少し離れたこの場所ならば、自分のペースで生活と制作に向き合うことができると感じて。理想的な環境に出会えたのだと思いました」と話すと、会場からは拍手が起きた。

成長が止まった日本だからできる、余白のある集まり方

この日、会場には非常に多くの参加者が集まった。そのなかには若い世代の参加者も多く見られたが、イベント終盤の質疑応答ではそのうちの一人から、「若手アーティストや大学生、大学院生が自分たちで場所を作るためには何が必要だと思いますか?」という質問も寄せられた。

この問いに池田は、山中suplexが設立時から大切にしているという「フレンドシップ」と答えた。大きい立体作品や石などの素材を扱うアーティストにはマンパワーが必要な場面が多く、周囲との助けが必要不可欠だ。そのため、メンバー同士はつねにコミュニケーションを取り、助け合える関係づくりを心がけてきたという。そこで芽生えた精神はメンバー間はもちろん、外部のアーティストにも向けられている。山中suplexでは制作機材の貸し出しなども受け付けているが、こうした仕組みの背景にも上記の精神があるという。また、それはメンバーよりも若い世代にも向けられており、若手にチャンスを与えることが場所づくりにおいて大切とも述べた。

6okkenからは筒が、「日本では人口も減少していくなか、地方に空き家がゴロゴロと生まれている。余白を生むような集まり方を実践するチャンスが転がっている」と、日本の現状を踏まえた回答をした。実際に6okken自身も、活動資金は少なく、仲間集めもこれから、しかし家だけはあるという状況から始まり、現在まで活動を拡大してきた。山梨県は総住宅数​​に対する空き家率が日本一(総務省統計局​​「平成30年住宅・土地統計調査」より)である一方一方で、東京にもアクセスしやすく、同じような拠点を今後も作れる可能性は高い。

こうした状況を踏まえ、6okkenでは自分たちが拠点を作って終わりではなくて、自らの直面している経済的な状況やプロセスを共有するためのレシピブックの作成を目指しているという。このプロジェクトは再現性の高いものであり、筒は「具体的なことはみなさん一緒に考えていきましょう」と会場に呼びかけた。

最後に深井は、山名suplexのシェアミーティングを例に挙げ、コミュニティ同士を繋げること、実践と経験という知見を共有することで、それぞれの結束を強くすることの重要性を強調し、それが結果的に若い世代にもチャンスを与えることにつながるのではないかと述べた。

トークが終わった後も、会場内では登壇者と多くの参加者がドリンクを片手に談笑する姿が見られた。アーティストの生活や制作が見えずらい大都市のなかで、些細な会話や出会いが種子となり、その小さなつながりがいずれ街の凹凸のなかでひっそりとでも芽吹いていく——。そうすることで、成長を止め生きづらくなった日本社会に、ゆるやかな居場所が増えていくのかもしれないと感じさせる二組の対話だった。













いいなと思ったら応援しよう!