見出し画像

関係する「生」を音にする 〜YAU公募vol.1「音楽の方法」より

2024年度、YAUの新たな試みとして公募プログラム「YAU公募」が始動しました。4月から5月にかけて「YAU CENTER」での発表を想定した企画が応募され、YAU運営メンバーによる審査を経て3組のアーティストやコレクティブが選出。同年8月から12月に渡ってそれぞれの企画発表を実施しています。
3組それぞれの企画発表の模様を、編集者の安東嵩史さんの視点からお届けします。


文=安東嵩史
写真=築山礁太

安東嵩史
編集者/境界文化研究者/ドラマトゥルク。TISSUE Inc.代表。
「移動と境界から表現と社会を考える」を旨として主に出版・美術・公共企画などの分野で活動。トーチwebにて『国境線上の蟹』不定期連載。
IG / X @adtkfm

2023年11月に現在の国際ビルに移転したYAU。この移転で最大の着目点は、同ビル1Fにスペース「YAU CENTER」が開かれたことだと言うべきかもしれない。

YAUが立地する丸の内は、皇居に近接して整然と区画が設えられたオフィス街である。そのほとんどにビルが建っている。ビルとはすなわち、不動産的力学に四方を規定された空間。そして、このYAUが立地する「大丸有」(だいまるゆう=大手町・丸の内・有楽町)エリアは2002年、特例容積率適用地区の第一号に指定され、いわゆる空中権売買が日本で最初に可能になった場所でもある(*1)。

1974年に前川國男の設計によってこの地に建った東京海上日動ビルは、計画時に「皇居を見下ろす高さのビルを建てるとは」と批判された。その後、はるかに高いビルが林立するようになり、前川のビルは高さの面では埋もれていく。だが、都市空間におけるこの建物の最大の価値は高さではなかった。ここには前川建築らしく、容積を削ってまでふたつの広場が設定されていたのだ。企業の敷地内に公共性のある場所を設定することで師のル・コルビュジエが構想した「輝く都市」のアーバニズムを担おうとしたこのビルも今は解体され、2028年竣工を目指して作業が進むレンゾ・ピアノの新ビル計画に広場はない(*2)。

区画ごとの要件があらかじめ設定された空間が空中にまで隙間なく配置され——すなわち所属や商用といった所定の条件を満たさなければ人が他の区画に入り込むこともできない——高度に管理された現代都市において、YAU CENTERは広場でこそないが、皇居に面した一階の路面という不動産的価値の高いスペースを地域に開き、このエリアで働く人々をはじめとした外来者がふらっと入り込み、思い思いの時間を過ごすことを目的として構想されている。短い期間の運用であり、それが十分に達成されるときばかりではないが、要件設定者の恣意を極力減じて不確定の何かを呼び込もうとするアプローチはこれまでのYAUにもみられなかったものである。

それをさらに特徴づける初の試みとして、2024年8月から12月にかけ「YAU公募」の企画発表が行われている。これは3組のプロジェクトを公募し、試行と実践の場としてここを使用するという企画である。音楽の方法運営委員会、Tabula Press、林翔太郎という3組が採択され、すでに荒井とTabula Pressの企画は終了している(林の企画は12月に実施)。いずれも参加者は一般に募集することを軸に構成され、YAUのアートマネージャーの管理や関与も限定的なものである。

不確定性をあらかじめ包含したうえでこの場所で行われる取り組みが、場所と制作、「まち」と「区画」、管理と自由といった諸概念を、果たして再定義する力を持つのか。そんなことを考えながら、三つのプロジェクトに並走しつつレポートをしていく。

今回は第1回、サウンドアーティストの荒井優作を発起人とする音楽の方法運営委員会のプロジェクト「音楽の方法」について考える。

(*1)2012年の東京駅赤レンガ駅舎の復元にあたり、東京駅が使用しない空中部分の容積率を移転(空中権売買)することで周囲のビルの高層部分を上積みしたのが最も著名な例。
(*2)あるのは柱とガラスで囲われた「パブリック・スペース」。この場所が真に開かれた場所になるかどうかは、非常に興味深い点である。

ひとりで作れるものを、それでも他者と作る

電子音楽家として作曲・トラックメイキングを行う荒井は、DTM(デスクトップミュージック)の手法で制作される音楽の多くが、しばしば「ベッドルーム・ミュージック」と称されるように、極私的な空間で生まれることに着目する。他者や周囲の空間と何ひとつ共有せずして音楽を作ることはいまや十分に可能である。もちろんそうして作られた音楽が瞬く間に多くの人々との間に回路を築いていく例も多々あるが、いずれにせよ、それが生まれるのは個人的な占有空間である。

その場所で、(多くは)ひとりで制作をしているという行為そのものが、どのようにしてか音楽の中に流れ込んでいる。
それを踏まえて荒井が構想したのは、「ひとりで作れる音楽を、それでも他者と作る」試みである。

本プロジェクト「音楽の方法運営委員会」発起人の荒井優作

本プロジェクトは8月3日(土)/8月4日(日)と8月10日(土)/8月11日(日)という2日1セットのプログラムを2セット組み、各週の土曜日をゲストを迎えてのレクチャー/ワークショップ、日曜日はAbleton(エイブルトン)というDTMのソフトウェアで実際に音楽を作っていく集団制作にあてるという構成。土曜日のゲストには、第一週はダンサー・コレオグラファーのハラサオリ、第二週はDJ・演出家のspeedy lee genesisが登場し、各週にはそれぞれ8人の参加者が集った。荒井の求めに応じて参加者でありつつ準オーガナイザーのような立場でこの場にいたサウンドアーティストの木村和希を除いて、日常的に電子音楽を制作している者はほとんどいない。

第一週の初日・8月3日は、まずハラによるレクチャーから始まる。自身の振付作品『P wave』(*3)の映像を紹介しつつ「揺れている/揺らされている」というふたつの動態の中に己があること、すなわち己の中にも能動と受動が共存していて外界との関係の中でどちらかひとつだけの側にいるという状態は決してないという「中動態」の概念が語られる。

ここにおいて、外界を構成しているものは主に空間と、他者である。言うまでもなく舞台芸術は演者や演目が同じであれば同じものが再現されるわけではなく、舞台とそれを内包する建造物の空間性、実は刻々と変化する身体を持つ演者同士や観衆との相互力学など、さまざまな関係の上に成り立っている。そして、程度の差はあれ現代においてあらゆる芸術は何らかの関係を前提として成立している以上、その意識は音楽を構想することにも適用されうる。

ハラサオリによるレクチャー・ワークショップの様子

それを示すのが、続くワークショップだ。まず参加者は複数名のグループに分かれ、正方形の盤上で「こっくりさん」のように指先でコインを動かす所作を交互に行う。それぞれ任意のルールを自ら設定し、それに従ってコインを動かすのだが、他の参加者のルールを知ることはできず、他者のルールを想像しながら自分のルールに基づいてコインを動かしていくという、側から見るとややビザールな光景が繰り広げられる。

ハラサオリによるレクチャー・ワークショップの様子

次に、自分自身の身体を使って、3名ないしは4名で横に並び、それぞれ前進/後退/停止/立つ/しゃがむといった動作を先ほどと同じく自分のルールで行うワークへと移行する。その間、参加者は思い思いに前進したり後退したりしながらも、常にちらちらと視界に入っては消える他者の存在によって意識は何らかの作用を及ぼされることになる。やがて、誰かが前進すればつるべのように誰かが後退するといった、規則性ともまた違った因果が場に立ち上がる(筆者はこの様を見ながら、ミキサーのフェーダーを思い浮かべていた)。それが終わったら、今度は横移動も加えたり、人数が増えたり、任意のポーズを取ったり。タスクは増えるものの、他者の動きを感知しながら自分のルールに従って動くという基本設計は変わらない。

ここへきて、参加者は明確に、自分自身の動きが自発的なものでもあると同時に他への応答であることを身体性で理解する。他者という自分の思うようには動かない存在を意識しながら何らかの調和を見出そうとする、しかし傍からはその規則性や法則性を見出せない精神と身体の律動が、YAU CENTERの空間を満たす。

ハラサオリによるレクチャー・ワークショップの様子
ハラサオリによるレクチャー・ワークショップの様子

このYAU CENTERは通りに面した壁面が大きなガラス壁になっているため、土曜の丸の内を歩く在勤者や買い物客が、興味を引かれつつも奇異のまなざしを投げながら通り過ぎていく。規則正しくスクエアに切り分けられた市街の、これまたスクエアな一角で繰り広げられる、およそ整然とは縁遠く見える(一方、個々の内的世界においては何らかの必然性を帯びた理路のかたちとして表出している)動きに、道ゆく人々はこのエリアのコードと違った何かを読み取る。そこから「街」とは何かと思考が拡張する者も、もしかしたらいるだろう。参加者においては、一瞬にすぎないが外的な視線と交錯することで、この場所がより広い開かれの可能性を帯びた場所であることを意識した者もいるはずだ。

ワークショップの最中、荒井はほとんど場に介入することなく、どちらかというと参加者に近い立場でワークを楽しんでいる。後日荒井に話を聞いた際、第一週・第二週ともに初日のワークについては「なるべく自分にとってもアンコントローラブルな状態であるのがいいと思った」と前置きしながら、「集団を経由することが個に影響を与える場面は確実にある。個であることや孤独であることと、孤立していることは違う。そうした感覚を大事にしたい」と語った。外的環境と必ず相互に影響し合っている状態の中でこそ個としての規範やルールも力を保ちうるのだという、荒井の基本姿勢がここに伺える。

(*3)2024年初演。地震によってしばしば人間の身体や生命から社会意識までもが揺さぶられる日本という場所性に立脚しつつ、揺れの中で人間の心身が何を発し、何を受け取るのかを再検討する内容。タイトルは地震の際に最初に感知される地震波=Primary waveから取られている。

不確定性を担保するためのルールメイキング

初日のワークの残響は、そのまま2日目の集団制作にも持ち込まれる。ここではAbletonの操作を説明しつつ、大まかなルールだけが示された。

YAU CENTERでの参加者の様子
  • 参加者ふたりでペアになる。ひとりはBPMを120とし、もうひとりがBPM80で作る。

  • 前日のハラのワークショップでは何を意図してコインを動かしたり自分が動いたりしたか、またその際に自分の設定したルールなどを紙に書き、ラップトップに貼る。

  • まず10分間、自分のラップトップで音楽を制作。そのあとペアの相手とラップトップを交換して、音楽を作る。

  • 再びラップトップを交換し直し、最後に10分それぞれの音楽を作る。

これを見てわかるように、制作プロセスの半分以上は他者に委ねられている。自分の設定したルールを他者に理解できるように言語化する、それを他者がどう解釈するかはコントロールできないということを受け入れるといった、いわば己の思考を開いて手放す過程を通じて、参加者は意図と外的要因のバランスをとってゆく。ワークショップで体験した、他者によって制限され、また他者によって駆動される心身のイメージを音にしてゆく作業である。

ラップトップでの音楽制作の様子

荒井自身は2日目の制作について「場をゲストに委ねることができた初日に比べて、どうしてもソフトウェアの使い方を教えたり、ルールを定めるなどして自分がある程度コントロールをしなければならないことの葛藤があった」と語る。だが、木村は「このルールメイキングがなければ場は成立していなかった」と評価する。「完全に自由にするのではカオスになってしまうし、ルールを厳密に決めすぎると面白くなくなる。けれど、このルールの自由度の設定が巧みだったことで、参加者にいい促しができていたと思います。最終的に発表されたものに、お互い他者であることの不確定要素がちゃんと入っていたので」。

完成した音は以下より実際に聴くことができる。(木村とYAUスタッフのペアにより作成した音源)各位の作品の試聴を終えて、参加者からは制作中の思考がさまざまに語られた。

〈どううまく補正するかを考えていた。(ペア相手から音源を渡された際に)規則が作られている状態だったから、まずはカオスを作ってから整頓するというふうにした〉

〈昨日のワークショップでは、それぞれは意思をもって動いていた。みんなめいめいに動いているからぶつかったりバグが発生する、それが規則と不規則、美しいと思った。(今日の音源は)規則的なリズムに不規則なバグが入るイメージをペア相手に話して作ってもらった〉

〈キーワードは、オートマティックと自意識の行き来だった。相関関係があるけど、その関係自体が揺れるような〉

ラップトップでの音楽制作の様子

このように、表現は違えど参加者たちが感得したのは、ある状態とある状態の間にある揺れ、またはある状態からある状態への揺り戻しのイメージである。状況がある極に流れていこうとするとき、相互関係の中においては必ずそれを緩和、あるいは相対化する力学が働く。ワークは目の前にいる他者と直接に働きかけ合いながら行われるものではあったが、それが仮にひとりの部屋であったとして、制作を行うとき、人は無意識にせよ己の現在地を他者や環境との相互関係の中に設定しているのだということを、多くの参加者が感じたのではないだろうか。

人間を取り巻く社会的な関係の総体としてのベッドルーム・ミュージックとでも言おうか、「自室」にいてなお我々は決して孤立してはいないこと、の証左としての制作について、参加者の思考が大きく深まったように感じられた。

経験を「語り合う」ということ

二週目も同様の流れでワークと制作が行われた。この週のゲストであるspeedy lee genesis(エスリー)がかつて「ディスコミュニケーション」という言葉を使っていたことを、荒井は印象的に振り返る。「彼の言うディスコミュニケーションというのは、単に話が通じないということではなく、発話される前の『個』の存在を音楽に見出すことなのだと自分は解釈しました」。明確な「個」の自己認知に至らない、いわば無意識に選び取るものや経験されることから、音楽の源流を探ることができるのではないか。この週の制作は、その探求のようなものになった。

エスリーによるレクチャーの様子

エスリーが初日のワークに持ち込んだのは、「音楽遍歴を語る」という行為である。参加者それぞれが音楽遍歴の中でエポックであった瞬間や、成長過程のときどきで自分に大きなインパクトを与えた音楽体験を語り合っていく。

〈大学で入ったテクノ研究会〉
〈彼女の影響で聴き始めたマリリン・マンソン〉
〈野球部の応援〉
〈BAYFMの道路交通情報をきっかけにフュージョンを聴くようになった〉
〈生活音などを重ねて加工して音楽っぽいものができることに気づき、一から作らなくても元あるものを加工して作ることができるんだという転機があった〉

口々に語られる「音楽」の体験。全員にその生活世界において経由してきた個別の経験があり、ひとつとして同じものはない。だが、それは孤絶した状態で生まれたのではなく外界との関係によって生じたものに他ならず、そして他者の口から発話される記憶に触発されて己の中からも言葉が溢れてくるという意味で、この場所でも外界との関係が現在進行形で発生している。

木村はこのワークを振り返って「教える/教わるという権力構造がないフラットな状況下で、何かを学んでいるのか、何かを作っているのかわからなくなる感じがよかった」と語っていた。そこに共通して存在していたのは、音楽遍歴を語っている人間が〈何に〉影響されたかではなく〈なぜ〉それに影響されたのかを聴く態度であったように感じられる。〈なぜ〉が新たな音楽との出会いを促すのであれば、〈なぜ〉が新たな音楽を作らせることもある。その過程はほとんど、音楽のプロセスと同様である。語る(奏でる)ものの中で〈なぜ〉は再帰し、聞く(聴く)ものの中で〈なぜ〉はいったん己の理解に分解され再構成(再演)される。

YAU CENTERでの参加者の様子

荒井は「一口に音楽といってもポップスから実験音楽までありますが、そもそも『この形式こそが音楽なのだ』というものはないと思っています。すでにある音楽の構造をなぞるというよりは、それ自体を自分で生み出している人が好きだし、そういう音楽が好きなんですよね」と語る。外形的な構造をトレースすれば音楽になるわけではなく、生の時間が招来した動機や必然性によっていつしか形をとるものを音楽と呼ぶ。他者の生に対するそのような態度が、このプロジェクトを形作っている。

囲いこみをすり抜ける「関係」としての音楽

2日目の共同制作は前週同様にAbletonやサンプリング用のフリー音源のダウンロードサイトの説明をした後にペアでの制作となったが、ルールは少々変更されている。

  • ペアとなってお互いに音楽遍歴の転換点や自分の作った音楽について説明し合う。

  • ペアの共通項を探す。

  • ペアのキーワードを言語化する。

  • その後20分間、おのおの自分でベースとなる音源を制作する。

ここでは参加者は前回のようにラップトップを交換することもなく、自分と他者の経験を交換する。それはペアに共通する言葉、すなわちまったくの他人同士の経験の結節点を探し、それをめいめいの解釈によって音源にしていく作業となった。

互いの経験を開示し合う中で〈反抗期〉〈伸縮性〉〈安心〉といったキーワードが生まれ、それに基づいておのおの制作に入る。そのとき念頭におく経験は、もはや自分だけの経験ではない。目の前のペアの経験、その人間に流れ込んだ別の経験・別の時間が必ず作用し、応答として音源ができあがる。

ラップトップでの音楽制作の様子

それが終わると各ペアで各々の音源を流しながら、そのキーワードになった理由や各自の経験を語り、さらにもうひとプロセスが加わる。

  • 共有された全員の音源を使って楽曲を制作する(一部分だけ切り出して使ってもOK)。

音楽というアートフォームは、直線的にタイムラインが進む時間芸術であると同時に、例えば数えきれないほどの楽曲に忍び込んだブルーズコードや四つ打ちのリズムを考えればわかるように、過去に誰かが奏でた音へとさかのぼりながらまったく同時にそれぞれの作者や演者による新たな創発が行われるというユニークな再帰構造も備えている。そして、サンプリングという技法は過去の音楽を「このように解釈せよ」というドグマから解放し、次なる創発につなげるための技法として成立してきた。

ここで共有された音源も同様である。誰が誰のことを考えて音源を作ったかという情報は、一旦ここで相対化される。言葉を変えれば、意味や情報の囲い込みが、一旦ここで解かれる。仮に情報としての背景をまったく知らないさらなる第三者がそれを用いて楽曲を作ったとしても、その音源から感得した何らかが作曲者の意識においてまた新たな回路をひらき、新たな関係、あるいは関係からの解放のきっかけとなる何かを導くこともあるのだ。

最後に、制作された楽曲を「誰が作ったかは明かさずに」皆で聴きながら意見を述べ合う時間が設けられた。どの参加者が、誰のどのような経験に感応し、何を創発したのか。楽曲に流れ込む無数の関係、無数の〈なぜ〉を想像し合う時間は、いわゆる完成楽曲とされるものが実はありうべき唯一の解というわけではなく、さまざまな取捨選択の分岐の果てに暫定的に存在するものだという意識を改めて持つことにもつながったはずだ。

4日にわたって行われた一連の制作は、構想段階では街に実際に出てのフィールドレコーディングなども考えたというが、結果的にはYAU CENTERの空間内に留まった。しかし、身体的な移動が伴わなかったことにより、制作意図や動機を己のみで囲い込むのではなく他者の存在を意識しながらできるだけ開示していくというプロセスがよりエッセンシャルに共有されることになり、「ひとりで作ること」「自分の空間で作ること」の中に流れ込む膨大な外界との関係を制作者自身が意識する、またとない機会になったのではないか。

「僕は人が音楽を作るという営みが好きなんです。そこらを歩いているおばあちゃんから、ゴリゴリにかっこいいアーティストまで、いろんな人が作った音楽が聴きたいと思っています」という荒井にとっても、日常的に音楽を作っているわけではない人々が楽曲を作る、そのプロセスを見ることができたのは非常に有意義だったようだ。

YAU CENTERでの参加者の様子

会期中は、必ず打ち上げが行われたことも付け加えておく。日比谷公園や日比谷ミッドタウン前などでめいめいに飲み物とつまみを持ち寄る野外飲みスタイルだが、区画された空間からオープンスペースへのダイナミックな移動と、その場所での思考の交換というある種のイニシエーションもまた、各週における初日のワークと2日目の協働制作の間の、重要なスイッチになったと感じる。

この間、一度も「大丸有」エリアの中で打ち上げは行われず、場所は常に隣接する日比谷エリアだった。そもそも、そうした区分を誰ひとり意識すらしていなかったであろうし、それが生活者の感覚である。形式しかり、空間しかり、土地しかり、誰かが何らかの形で囲い込もうとしても、生はその囲いを軽々と越境する。その心身の律動の存在を意識することそのものが、「音楽の方法」を見つけることなのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?