File.50 コロナ禍で挑む。後輩たちのために、新たな可能性のために 庄司知世さん(ホルン奏者)
オーケストラやオペラ、アニメや映画の劇伴音楽、そしてポップスのバンドサポートなど幅広く活躍しているホルン奏者の庄司知世さん。楽器を始めたばかりの頃は指導者もおらず、情報もなかなか手に入らない生活を送っていた。現代の小中高生はネットからたくさんの情報が手に入り恵まれている反面、誤った情報を鵜呑みにしてしまう危険性もある、と警鐘を鳴らす。自身の経験を踏まえ、子どもたちに寄り添った情報発信に取り組んだコロナ禍の日々、そして多重録音という挑戦によって開かれた可能性について聞いた。取材・文=鉢村優(音楽評論)
——中学校でホルンを始められたそうですが、楽器との出会いはどんなものでしたか。
中学に入学して、 仲の良い友達がみんな吹奏楽部に入部するというので、なんとなく入ったのが始まりでした。楽器紹介での先輩の演奏を聞いて音が気に入ったテナーサックスを第一希望にしたら、希望者が私だけだったのですんなり決まると思いました。ところが、希望者が殺到したアルトサックスからあぶれた子たちが、テナーサックスやバリトンサックスに次々収められ、なぜか顧問の先生は私のことは後回し。ほかの楽器もどんどん決まっていく中、なぜか最後まで放っておかれて、私に残された選択肢はホルンか打楽器の二択になりました。楽器体験でたまたまホルンは音が出たので、先輩や顧問の先生から「絶対ホルンが良い」と猛プッシュされました。部員も少なく、私がやらなければ学年でホルンが0人になってしまう状態だったので、先輩達も必死だったと思います。じゃあホルンで良いですと、周囲に流されてなんとなくホルンを持ったことが始まりです。
——ホルンは部活の先輩や学校の先生に習ったのですか。
個人レッスンにはつかず、ほとんど先輩に習いましたが、偶然の出会いもありました。顧問の知り合いの指揮者の方が年に数回指導に来てくれていたのですが、その先生はなんと元ホルン奏者で、かつてはプロ吹奏楽団にも所属していた方でした。時間がある時はホルンを吹いてくれたり、楽器の取り扱い方などを教えてくれたりしました。
卒業する頃、その指揮者の先生に高校のオーケストラ部ではホルンではなく打楽器にしようと思うと告げたら「ホルンはオーケストラの花形だよ、せっかくオーケストラ部に入るなら絶対つづけるべき」と言われ、言われた通り高校でもホルンを続けました。そしたらもうびっくりするくらいホルンが大活躍で、そこからやっとホルンが大好きになりました。
プロの道に進むことを決意するきっかけになったのは高2の引退公演です。ホルンに大きなソロがあるドヴォルザークの交響曲第9番を演奏したのですが、ソロがなかなかうまくいきませんでした。
高校では金管トレーナーさんがいたので、その方の指導を仰ぎ、地道に練習して、なんとか本番は成功しました。そしたらカーテンコールの時に指揮者の先生が真っ先に私を立たせてくださって、とても嬉しかったのを覚えています。そこでたくさんの拍手を浴びた時に「これからもずっとホルンを吹き続けていきたい」と強く思うようになりました。そして終演後、金管トレーナーさんが真っ先に私のところにきて、強く肩を叩きながら「お前!うちの音大来い!!」と言われ、「はい‼︎」と思いっきり返事をしてしまい……そこから大慌てで準備を始め、その金管トレーナーさんの出身校である東京音大に進学しました。
高校のオーケストラ部で
——コロナ禍の中、noteやYoutubeでホルン初心者、吹奏楽部生向けの連載をされていましたが、庄司さんの中高での経験がきっかけになったのでしょうか。
部活には楽器の指導者も来ないし、外部の情報もなかなか手に入らない中学校生活を送っていたので、気持ちはわかる方だと思います。プロのホルン奏者なんて一人も知らず、「先輩のホルン、神!!」みたいに思っていました。
SNSも今程発達していなかったので、先輩の教えが全てという感じでした。そういう子達って今でもたくさんいると思います。先輩が後輩の面倒をみていること自体はとても良いことだと思うのですが、たまに間違った内容がその部活内で脈々と受け継がれていってしまうことがあるので、正しい情報が子供達に広く伝われば良いなと思って始めました。
今の子たちは、検索すると本当にたくさんの情報が出てきて羨ましいです。ただ、変な情報も混じっているので、なんとか正しい情報を精査してほしいなと思います。
——さまざまなコンテンツを発信されていますが、中でも一番反響があったのはどのコンテンツでしたか?
一番反響があったのは、「アートにエールを」に応募した多重録音作品でした。見知らぬ方がわざわざコメント付きでリツイートしてくださったりして、「あぁ、誰かに届いたんだ、嬉しいな」と、純粋に作ってよかったと思えました。音楽家以外の方からもたくさんコメントいただけて嬉しかったです。 さらに、憧れのプレーヤの方がコメントしてくださっただけではなく、その後お仕事に誘っていただき共演させていただけたという夢のような出来事がありました。作りたいものを作って発表しただけなのに、まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかったです。コロナ禍でもめげずに活動していたことが、報われた気がしました。
——AUFの応募書類で「多重録音にずっと取り組んでみたかった」とお書きでしたが、多重録音が気になったのはどんなきっかけだったのでしょうか。
多重録音は、大学の先輩でずっと取り組まれている方がいて、「面白そうだな」と思ったのがきっかけです。アンサンブルのアレンジもできるようになりたかったし、自分で編曲して録音する、ということにずっと興味があったのですが、機材もスキルも時間もなかったので、なかなか手が出せずにいました。そんな中、コロナで仕事がほとんど無くなったので、この状況を逆手に取り、自己研鑽の一貫として思い切って取り組めたのがとてもよかったと思っています。慌ててもどうしようもない、だったら、時間がある時にしかできない、ずっとやりたかったことをどんどんやろう!と完全に開き直っていました。 普通、仕事がなくて暇だと凹みますが、当時みんな同じ状況でしたしね。今後も時間があれば、大好きな曲を自分でたくさんアレンジして録音していきたいです。
「楽器を始めたばかりの子どもたちに正しい情報を」という問題意識は、長らく独学で楽器を練習し、いまやプロとして活躍する庄司さんならではのもの。「楽器ケースの開け方」から始めるほど丁寧に段階を踏むところからも、後輩達への温かなまなざしがにじむ。コロナ禍で生じた時間を、自らの挑戦だけでなく子どもたちの未来に投じた熱い「先輩」の背中である。
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庄司知世(しょうじ・ともよ)
東京音楽大学卒。フリーランスのホルン奏者として都内のオーケストラを中心に全国で活動している。クラシックのみならず、ミュージカル、ポップス、レコーディングなどジャンルを問わず幅広く活動している。
これまでに、ミュージカル『ラ・マンチャの男』、『マイ・フェア・レディ』、『マタ・ハリ』に参加。星野源、SEKAI NO OWARI、the HIATUSなどのライブや、アニメ『鬼滅の刃』、大河ドラマ『いだてん』などのレコーディングにも参加している。ズーラシアンブラスお友達プレイヤー。
Twitter @tomoyo1007shoji
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