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Artist Note vol.4 小林健太
「Art Squiggle Yokoyama 2024」では、「アーティスト・ノート」というコンセプトを掲げ、各参加作家に本フェスティバルの準備段階で、まだ頭のなかにしか存在していなかった展示についてのインタビューを行いました。作品に込める思い、悩みや葛藤、インスピレーション源についてなど、まさに「Squiggle」の最中にいたアーティストの声がここには綴られています。
次のフェーズヘと向かう写真家の試行錯誤が
垣間見られる架空のスタジオ
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複数のシリーズを一堂に集めた展示空間のテーマがあれば教えてください。
展示会場からインスパイアされて自然と湧いてきたテーマは、「スタジオ」です。実際はスタジオ をもっていなくて、パソコンのなかの仮想空間を想像上のスタジオとして見せたいと考え、作品を整然と並べるというより、雑然とアイデアが散らばっている感じにしています。今までやってきたことにどんな意味があったのか振り返りながら再編集しました。
新旧ないまぜのセレクションになりますか?
そうですね。初期から続けているカラー作品のシリーズ〈#smudge〉やRICOH社のUV積層プリンター、StareReap 2.5を使って、鏡を支持体にしたモノクロ作品、Photoshopのブラシツールで描いたストロークのかたちに切り抜いたアクリルの作品など、いろんな時代のものが混ざっています。
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小林さんがイメージを加工して描くストロークは、 ひとつのシグネチャーとして確立されていながらも、PhotoshopやCGなどさまざまなソフトを使い、メディアも印画紙、鏡、アクリルなど多岐にわたるなど、常に挑戦する姿勢がブレないですよね。 近年はより身体を使うことに意識が向かっていると思いますが、きっかけがあったのでしょうか?
とてもシンプルな答えなのですが、デジタルの基本構造を見つめたときにデジタルでできる表現の限界を感じました。もともと絵を描いていたので、昔から素材のディテールを注意深く感じる訓練をしてきたこともあり、それぞれの素材がもっている物理的な特徴が、人に対して呼び起こすアクションや情動があるように感じています。絵の具なら油や水で溶いて筆で伸ばすとか、アクションペインティングのように飛び散らすとか。Photoshopを使ってイメージを拡大していくと四角いグリッド(ドット)が出てきますよね。 隣のドットとの情報の差の連続によってイメージが成り立っていると気づいたときに、表現の幅も感じられるけれど、同時に限定的なものなのかもしれないという感じもしたんです。
ドットの質感を見ながら、まるで絵のように描かれているんですね。
そうですね。2016年に上野の国立科学博物館で開催された「世界遺産ラスコー展」を、指や手を使って描かれた絵に興味があったので観に行ったのですが、そこで洞窟壁画のなかに9マスのグリッドが紹介されていたんです。生き生きとした動物たちの絵と同じ壁面に描かれたそれは、概念をどう伝えるかに重きを置いた知性の全く異なる質感を感じて、衝撃を受けました。それは、グリッドという幾何学の歴史を意識した最初の瞬間でもありました。
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グリッドの歴史について、考えたこともありませんでした。
何となくデジタル以降のものと思っていたのですが、そんなわけがなかった。何万年も前に大自然のなかで生きていた人類も、グリッドを使って何かを表現していたわけですから。象形文字や街並み、歴史的なシンポルなど、グリッドを探し出すと至る所に存在しています。グリッドの概念をひとつの基本要素として、科学や文化は発展してきたのではないでしょうか。人類の歴史におけるグリッドのシステムや概念の意味に関心が向いたときに、デジタルだからグリッドやピクセルが面白いという感じではなくなっていきました。
小林さんは、デジタルの世界にリアリティを覚える世代だと思います。デジタルを使った表現の原体験があれば教えてください。
中学校のときに、AdobeのFlashというアプリを使ったウェブサー ビスで、雪の結晶をつくってシェアするものがありました。そこでインターネットを介して、 海外の人たちからもフィードバックがもらえたんです。その体験は今でも残っていますね。パソコンのなかでつくったものが、インターネットを経由して国境を超え、いろんな人と創造できるのはすごくクリエイティブですし、現在行っている海外との仕事もその体験の延長線上にあると思います。インターネットは、現実的にはネガティブな側面もありますが、理想としてのポジティブな側面はこの体験に根ざしています。
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Photo: 市川森一
自在に操れるデジタルの世界での表現を、現実世界に寄せていくのはとてもチャレンジングなお題ですよね。
デジタルの世界に生きる時間に入り込みすぎて、自分自身の身体の感覚が置き去りになっていると指摘してくださった方がいて、言葉としては仰っていることが理解できるようでも、実感として全くわからないと最初のころは感じていました。その方から身体との向き合い方を教えていただくなかで、少しずつですが、体の感覚を置き去りにしていたことを実感していきました。 歴史を遡ると、デジタルな感覚や頭のなかの視覚的な世界を介して外の世界を見ることは、いわゆるデジタルネイティブと呼ばれる自分たちの世代だけの特徴なのかといったら、実はそうじゃない。自分たちのずっと前からグリッドを基盤に発展してきた歴史があり、わかりやすくいえば、頭のなかのデジタルな価値観と、身体の感覚のより複雑で繊細な価値観との共存や葛藤が人類史全体を貫くテーマになっている。そういったことも教わりながら、自分はまだ迷いのなかにいて、これまでの作風を出発点にしながら、学んだことをどのように活かせるのか模索しているところ。今は具体的な案やビジョンはなく、むしろ表現するよりも、インプットをする時間を大切にしたいと感じています。
Interview Date: 2024/06/26
Text by Naoko Higashi
PROFILE
1992年神奈川県生まれ。写真家、アーティスト。立体、パフォーマンス、CG、VR、NFT、ファッションなどメディアを横断しながら写真表現を拡張する。主なグループ展は、「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」(水戸芸術館、茨城、2018)、「COMING OF AGE」 (パリ、フォンダシオン・ルイ・ヴィトン、2022年)など。サンフランシスコアジア美術館に作品が収蔵されている。
About "ARTIST NOTE"
会場では、それぞれの作家ごとに用意されたテーブルの上に普段制作に使用している道具やアトリエにあるもの、影響を受けた書籍などが並ぶほか、インタビューや制作プロセスが垣間見れる写真などが掲載された「アーティスト・ノート」が2枚置かれています。会場を巡りながらそれらを集め、最後にはご自身で綴じ、自分だけの一冊をお持ち帰りいただけます。
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