印象派 -穏やかな画風の裏の強すぎる信念-
分かりやすくて美しい印象派の絵。
「なんか綺麗」な作品の裏には、画家たちの超絶なこだわりが隠れています。
今回は個々の印象派の画家、中でも印象派3大画家とよばれる3人について、彼らが追求した芸術を見てみましょう。
「光の画家」クロード・モネ
モネといえば連作です。
同じ場所を、ときには全く同じ構図で何枚も何枚も描きました。
ここで紹介した連作はほんの一部。(睡蓮にいたっては全部で200枚以上あります。)
こんなに同じ景色ばかり描くなんて、考えただけで気の遠くなりそうです…はっきりいって尋常じゃありません。
こんなに根気と根性がいる作業をしてまで、モネは一体何を表現したかったのか。
それは、時間帯による光の移り変わりや、それに伴う色の変化です。
同じ場所&同じ構図の絵でも、色が違うと印象が全然違います。
モネは朝日・日中・夕暮れと、日がな1日同じ景色を見つめ続け、その微妙な色彩の変化を一つ残さず写しとろうとしたのです。
光に対する強い思い、いや執着がなければ到底できないことです。
ちなみにモネはこだわりが強い気質だったのか、自宅の内装や庭までも自らデザインを手掛けていました。
特に庭は、花の咲く季節まで計算して、美しく見えるよう整えていたそう。
目に見えるものに徹底的にこだわる。
この姿勢がモネの芸術の源泉なのかもしれません。
「幸福の画家」オーギュスト・ルノワール
ルノワールは女性をたくさん描いたことで有名です。
淡いタッチの絵もあれば、輪郭線をはっきりと描いたものもあります。
様々な技法を試す中でも、彼は生涯、あるポリシーを貫きました。
それは「楽しい絵しか描かない」ことです。
現実の彼の人生は、楽しいことばかりではありませんでした。
生まれたのは貧しい家庭で、10代の頃から働きに出ます。
20歳くらいに画家として本格的に活動を始めますが、世間に認められるまでには約10年かかりました。
画家として活躍していた矢先、48歳で関節リウマチを発症し、しまいには自分で筆を取ることも困難になってしまいます。
しかしルノワールは病に屈せず、包帯で手首に筆を固定し、死の直前まで絵を描き続けたのです。
「人生は不快なことだらけ」と語ったルノワール。
それでも作品では「幸福の画家」を貫きました。
キャンバスの中には不幸せそうな人は1人もいません。
たとえモデルの女性が生活に困窮するシングルマザーだったとしても、彼女の苦悩は決して見せず、あくまでその美しさや笑顔に焦点を当てました。
ルノワールはどんな状況からも幸福を見出そうとしていたのです。
「バレエの画家」エドガー・ドガ
他の印象派の画家たちが屋外の景色を描く中、ドガは屋内の描写に力を入れた異色の画家です。
とても気難しい性格で、ときには他の画家と揉めながら、孤高に芸術を極めました。
ドガが特に得意としたのは動きの表現でした。
彼が好んだ競馬やバレエといった主題は、基本的に動き続けているモチーフです。
馬が駆けている様子や、踊り子がポーズを決めた瞬間、稽古場で大勢の人がざわざわしているところなど
様々な動きが臨場感たっぷりに表現されています。
こうして作品を見ると、ドガは対象の一瞬の動きを見逃さない、抜群の観察力を持っていたことが伺えます。
そんな優れた目を持っていたドガは、現実世界を超客観的に見ることができました。
ドガは作品の中で対象を美化したり、何かの意味を含ませたりすることはありません。
たとえばドガはバレリーナの絵をたくさん描いていますが、彼女たち個人個人に対する思い入れは全く見えません。
それどころか彼女たちは顔も感情も曖昧で、ただそこにいるだけです。
ちなみにドガは写真にも関心を持っていて、自身で撮影をすることもありました。
ドガの絵にも写真の影響が表れているといわれています。
やはり現実をありのままに写し取ることにこだわっていたのでしょう。
モネが現実から美を見出す天才だとしたら、ドガは現実をリアルに表現する天才なのかもしれません。
やはり綺麗なだけでは「印象」に残らない
穏やかで心安らぐ絵が多いですが、ただ綺麗なだけではありません。
穏やかな画風の裏に、画家たちの強いこだわり、つまり信念があるところが、印象派の魅力かもしれません。
そもそも印象派は最初から人気だったわけではありません。
当初は「描きかけの壁紙の方がマシ」「死体を描いたみたい」などとさんざんな言われようでした。
猛烈な批判を受けてまで、彼らが表現しようとしたものは何だったのでしょうか。
今でも大人気なモネ。
モネの魅力はいろいろありますが、そもそも「なぜこんなに素敵な絵を描けたのか」。
その秘密を探ってみます。
同じ人物を描いても、誰が描くかで別人のような印象になります。
「幸福の画家」ルノワールが描いたある女性を、別の人物が描くとどうなるでしょうか。