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クリムトとシーレ 〜華やかな女性美と生々しい肉体〜【比べて楽しむ絵画】

歴代の巨匠たちが共通して描いてきたモチーフがあります。
それは、女性です。

19世紀末のウィーンでも、女性を描いて人気となった画家がいました。
その画家は、グスタフ・クリムト そして エゴン・シーレ

2人には共通点がたくさんあります。
女性の作品をたくさん残したこと
女たらしなところ
そして、同じ年に亡くなったこと

2人は親子ほど年が離れていますが(クリムトが年上です)
シーレはクリムトを敬愛し、クリムトはシーレの才能を絶賛していました。

同じ時代を生き深い関わりを持った2人でしたが、その作風はまるで正反対です。



「美しい」女性を描いたクリムト


クリムトの描く女性は、主に2種類あります(私の独断と偏見による)。
一つは装飾の一部としての女性
もう一つは官能を体現した女性です。

1 装飾としての女性

クリムトの主な顧客は、上流階級のご婦人方でした。
彼女たちがクリムトに描かせた肖像画がたくさん残っています。
しかし、たとえモデルが実際の人物であったとしても、画面の中の彼女たちにはあまり実在感がありません。

『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ』
クリムトの父親は金彫師。その影響か、クリムトの作品には金が多用されます。
この絵は発表当時、「ブロッホというよりブレッヒ(ブリキ)」と揶揄されました。
夫人が身にまとう衣服は、金でコーティングされた寄木細工のようです。


『エミーリエ・フレーゲの肖像』
服を着ているというより、身体の周りに模様が張り付いているかのよう。
彼女はウィーンの売れっ子デザイナーで、いわゆる成功者でした。
クリムトの生涯の伴侶であり、彼と30年に及ぶ交際を続けました。


『フリッツァ・リトラーの肖像』
モデルは政府高官の妻です。
直線的な背景はモンドリアンの抽象画のよう。
椅子や窓の模様が特徴的で、人物の顔よりも存在感があります。


いずれの女性も整った顔立ちとスタイルで、肌は滑らかです。
見目麗しきその姿は豪華にデコレーションされ、華やかさが引き立っています。

顔が写実的に描かれる一方、衣装や背景は平面的です。
そのため人物が画面から浮遊しているようにも見えます。
(むしろ衣装や背景の方が、人の顔より強い存在感を発揮しています。)

クリムトが描いたのは、女性が現実社会を生きる姿ではありません。
作中の女性はときに豪華な装飾の一部であり、画面を美しく彩るために存在しているかのようです。

2 官能的な女性

クリムトは、常に複数のヌードモデルをアトリエに待機させていました。
彼は生涯独身でしたが、たくさんの女性と関係を持ち、婚外子が14人いたともいわれています。
そんなクリムトにとって、性愛は重要なテーマでした。

彼の作品には、アンニュイで蠱惑的な、
もっといえばエロティックな女性がたくさん登場します。

『ユディトⅠ』
ユディトは新約聖書の登場人物。敵将を誘惑して斬首し、味方を戦勝に導いたとされています。
敵将の首は画面の隅にわずかに見えるだけ。強調されているのはユディトのなまめかしい姿です。


『ダナエ』
ダナエはギリシア神話に出てくる女性。黄金の雨に姿を変えた主神ゼウスと交わります。
作品には女性器や精子のシンボルも描かれ、性的な要素が強調されています。


『水蛇II』
彼女たちの住処は、鮮やかに彩られた水の底。美しい身体をさらけ出しまどろんでいます。
肉体は人間の女性のそれですが、その世界観は幻想的です。


女性はこちらを誘惑しているようでもあり
快楽を与えられて恍惚としているようでもあります。
それでも印象に残るのは、性というより美しさです。

彼は神話寓意幻想の世界に女性を描きました。
(実はクリムトのデッサンにはかなりあからさまな表現があったりするのですが、)仕上がりはあくまで優美で艶やかです。
エロスを情緒的に描いており、甘く美しい官能が表現されています。



生々しい身体を描いたエゴン・シーレ


エゴン・シーレはクリムトを師と仰ぎ、一時はクリムトを模倣するような作品を作っていました。
ですが次第に独自の画風を確立していきます。

シーレはクリムトの代表作、『接吻』を下敷きにした絵を描いています。
比べるとよく分かりますが、その描き方はクリムトとはあまりに異なっています。

クリムト『接吻』
クリムトの作品の中で最も有名かもしれません。
きらめくような金色と衣服の模様が印象的です。


シーレ『枢機卿と尼僧』
表現されているのは愛というより、背徳的な性欲。尼僧の驚いたような顔が妙にリアルです。
見てはいけないものを見てしまったかのような、落ち着かない気持ちになります。


シーレの場合、女性を豪華に飾り立てたりはしません。
背景は『枢機卿と尼僧』のように暗く塗りこめられているか、もしくはとてもシンプルです。

『踊り子モア』
無地の背景の上に、様々な色がパッチワークのように敷かれています。
色とりどりの衣装と同時に、踊り子の暗く淀んだ目に惹きつけられます。


『ヴァリの肖像』
シーレの恋人、ヴァリの肖像画です。
白い背景、黒い服といった地味な色合いの中、ヴァリの赤毛と青い目が目立っています。  


画面には青や紫、赤など意外とたくさんの色が使われていますが、カラフルな印象はありません。
華やかさとはかけ離れています。
暗い色調のせいなのか、色むらの残る荒い筆致のせいなのか、女性のまとうオーラは陰気です。

クリムトは「美しい」女性を描きましたが、シーレが描いたのは生きている身体でした。

『赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿』
角ばった骨に乾いた肌が張り付いているかのよう。
その身体は鋼のような鋭い輪郭線で形どられ、薄汚れたような色で彩られています。


『左足を高く上げて座る女』
家でくつろいでいるかのように無防備な姿勢ですが、その目は明らかに鑑賞者を意識しています。彼女の視線は強烈で、思わずこちらが目をそらしたくなるほどです。


目を引くのは女性たちの骨ばった身体つき、そして肌の描写です。
ところどころかすれたような絵の具の跡があり、アザや傷跡のようにも見えます。
クリムトは肌を淡く滑らかに描きましたが、それとは全く違う、ゴツゴツとした質感が伝わってきます。


シーレの作品には、女性たちのヌードや際どいポーズがたびたび登場します。
その描写は官能的というより露悪的です。

『頭を下げてひざまずく女』
女性は顔すら見せていません。ポーズはあまりに意図的です。
太腿と臀部を見せるためだけに作られたような作品です。  


『オレンジの靴下を履いて立つ裸の女』
女性は身体つきこそ貧相ですが、全てを曝け出し画面の真ん中に堂々と立っています。
胸も陰部も露わになっていますが、それより目立つのは、薄い肌から透ける骨の線です。


当時、性や隠部の描写は、比喩や間接表現でごまかすのが常識でした。
そんな中、シーレの描写はかなり露骨です(女性器が丸見えになっている作品まであります)。
あまりに刺激的だったため、シーレはわいせつ画(つまり自分の作品)を頒布した罪で逮捕されたこともありました。
しかしシーレ曰く「(作品が)猥褻となるのは、見る側が猥褻である場合に限られる」のです。

シーレは、人間の持つ本能(性)を、まざまざと見せつけてきます。
そこにはクリムトのような情緒や美はありません。
肉体がただあるがままに描かれているのです。

彼女たちはあまりに生々しく、アトリエでどんな顔してどんなポーズを取っているか、ありありと想像できてしまいます。
モデルが目の前にいるかのような実在感があるのは、彼女たちが一切美化されていないからこそです。
病的で痛々しくも見える彼女たちですが、確かに血が通っているのを感じます




同時代を生き、共に多くの女性を描き、師弟のような関係の2人。
それでも彼らの作品は、かくも異なっています。

優れた絵は単体で観ても楽しめますが、他の絵と比較しながら見ることで
それぞれの画家の人生観や哲学がよりはっきりと見えてきます。
「比べて楽しむ」ことで、新たな発見があるかもしれません。

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