サルバドール・ダリを考える
サルバドール・ダリ(Salvador Dalí,1904-1989/スペイン出身/商業デザイン、そして、シュルレアリスムの画家・彫刻・作家)
ダリは、シュルレアリスムの代表的な作家
シュルレアリスムの代表的な作家として知られる。
妻は詩人ポール・エリュアールの元妻、ガラ・エリュアール=ダリ。
1922年、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル(映画監督)と知り合った。
実験映画-アンダルシアの犬
1928年、ブニュエルと、シュルレアリスムの代表的映画「アンダルシアの犬」を共同制作。
アートワークの流れ
1927年、パリにて、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得た。
1929年、正式にシュルレアリスト・グループに参加した。
記憶の固執-1931-Oil Paint MoMA
目覚めの一瞬前のザクロの周りの蜂の飛行によって引き起こされた夢、1944/ Oil Paint / 510×410mm
アンドレ・ブルトンとの確執
そして、ダリの作品は、商業的になって行くと、1938年にグループから除名された。
そこには、アンドレ・ブルトンらの「ファシスト的思想」との批判もあっただろう。
1939年、ブルトンはダリの作品が商業的になっていくのを皮肉り、”Avida Dollars"「ドルの亡者」というあだ名をダリに与えた・・・
但し、当時のダリは、「商業デザイナー」という認識がスタンダードだろう。(美術史は後から語られる)
第二次世界大戦中は戦禍を避けてアメリカ合衆国(NY)に移住し、1948年にスペインに帰国する。
戦後はカトリックに帰依し、ガラ夫人を聖母に見立てた宗教画を連作した。
それらの流れのように、1982年にガラが死去すると、「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、ジローナのプボル城に引きこもってしまう・・
1989年、フィゲラスのダリ劇場美術館(Dalí Theatre and Museum)に隣接するガラテアの塔で心不全により死去。84歳だった。
この後、ランダムになりますが、何回に分けて、ダリらしい(?)作品や、(これもダリが描いた-など)幅広く、作品のコラムに続きます。
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