女性写真家キャリー・メイ・ウィームズと社会的アート
女性アーティスト:キャリー・メイ・ウィームズと社会的アート
キャリー・メイ・ウィームズ(Carrie Mae Weems, 1953- /アメリカのアーティスト・写真家、そして、教育者)
キャリー・メイ・ウィームズの写真、映画、ヴィデオは、人種差別、性差別、政治問題、そして、個人的アイデンティティなど、アフリカ系アメリカ人が直面している深刻な問題に焦点を当てている。
「政治と同様に、芸術における私の主な関心事は、国内のアフリカ系アメリカ人の地位と場所にある」-Carrie Mae Weems
そして、アメリカの有色人種、特に黒人女性の体験について、社会的なアートを制作し、問題提起を続けている。
その作品は、範囲が広く、写真以外に、テキスト、ファブリック(織物)、オーディオ、デジタル画像、インスタレーションビデオで活動する。
ただ、前述のように、その写真が、あまりに著名だ。
それは、1990年代初め、写真プロジェクトThe Kitchen TableSeriesを通じて注目されている。
by Carrie Mae Weems
略歴とアートワーク- Carrie Mae Weems
1953年、ポートランド(オレゴン州)で生まれる。その後、1965年頃には、ストリートダンスを開始している。
1969年、16歳で唯一の子供である、娘(フェイス C.ウィームズ)を出産している。
1970年、サンフランシコでモダン・ダンスを学び、ダンサーとしてなる。
そこでは、異文化をつなぐ手段としてダンスを多文化表現の手段として使っている。
1972年-、20代前半、ウィームズは組合主催者として労働運動に政治的に積極的に活動した。
1973年、その彼女が誕生日プレゼントとして受け取ったのは、ウィームズにとって、最初のカメラだった。それは、この労働運動に使用されるためだった。しかし、その後、このカメラは芸術的な目的で使用されることになる。
(註)当時は、Nikon Fシリーズが、プロの報道フォトグラファーの間では必須だった。それは、Nikonの製品が機械機構の品質管理がなされており、まず。壊れることはなかったからだ。ただ、Nikon F2/F3になって露出計が内臓になると、その部分は、モリブデンオイルを使っても、極寒には耐えられなかったが、プロであれば、どの状況で、アイリス(絞り)とシャッタースピードは直感で合わせる事が出来た。それよりも、プロとして、大切ところは、人との挨拶や人のつながりだった。それは、映画や放送の世界でも同様だが。話がそれました・・・
1981年、カリフォルニア芸術大学(バレンシア)でBA(文学学士)、その時は、28歳だった。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校でMFA(美術修士)
Shawn Walker,Beuford Smithなどのアフリカ系アメリカ人の写真家による影響で、写真を追求するようになっていった。
1983年、ウィームズは「Family Pictures and Stories」(家族の写真と物語)と呼ばれる写真、テキスト、話し言葉の最初の作品を制作した。このプロジェクトで彼女の家族をテーマのモデルとして使用している。
1988年のAin't Jokin’シリーズでは、人種的なジョーク(鏡の自分)と内面化された人種差別に焦点を合わせている。
Ain't Jokin’シリーズ
1989年、American Iconsのシリーズも内在化した人種差別だった。
American Icons シリーズ
2000年以降も、グローバルに、インスタレーション、ミクストメディア、ビデオプロジェクトの作品を展開している。
Louisiana Project(2003)、Roaming(2006)、Museums(2006)、Constructing History(2008)、African Jewels(2009)、Mandingo(2010)、Fade to Black(2010)、Equivalents(2012)、Blue Notes(2014-2015)・・・・・
それらの展示(収蔵)も実に数多い、メトロポリタンミュージアム、MoMA、MoCA、TATE..etc、そこでのキャリアから、受賞も数多い。
また、ハーバード大学(Harvard University )やウェルズリー大学(Wellesley College)他でのフェローシップ、アーティスト・イン・レジデンス、客員教授の役職も得ている。
それは、名誉職と言うより、後継者を育成したい思いがあるからだろう・・・
Carrie Mae Weems
そして、ただ、現在形のキャリー・メイ・ウィームズは、「黒人の経験は実際には主要な表象ではなく・・むしろ複雑で、次元的な事で、人間的な経験と社会的な周辺へ」と移行している。そして、それは、女性写真家のディアナ・ローソンに影響も与えれている・・(このパラダイムシフトは、次回に続きます、お時間の許す折に)