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言葉をリズムで踊らせる -魅惑のセルジュ・ゲンズブール
詩は短いゆえに、内容は勿論のこと、リズムが重要になってきます。
ロックが出てきた後のソングライター・詩人は、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル、ルー・リード、パティ・スミス等、言葉をどのようなリズム、スピードで包むかという、そのトーンを繊細に組み立てていました。
シャンソンにとどまらない幅広い活躍をしたセルジュ・ゲンズブールは、そんなソングライターの中でも独特なリズムを持ち、そして彼自身の人生を含めて、変わった美を私たちに体験させてくれます。
セルジュ・ゲンズブールは、1928年、パリ生まれ。本名はリュシアン・ギンズブルグ。ユダヤ人で画商だった父に影響され、幼少期から絵画や音楽に興味を持っていました。
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戦中は何とかナチスによるユダヤ人狩りを逃れ、戦後、絵画を学びつつも、古典的な絵画が好きで、同時代の前衛絵画についていけず、困窮の中で、ギターやピアノ弾きのバイトをします。
小説『うたかたの日々』で有名な、小説家で詩人、作詞家でもあったボリス・ヴィアンがキャバレーで歌う様に影響を受け、自分でも作詞作曲をするように。
1958年、『リラの門の切符売り』で歌手デビュー。地下鉄の駅で切符を切り続ける駅員という意表をついた題材でスマッシュヒット。他の歌手への曲提供も続け、1965年、フランス・ギャルに提供した『夢見るシャンソン人形』が大ヒットします。
女優ブリジット・バルドーと浮名を流し、『ボニー&クライド』等の名曲を創ると、1968年からは、ジェーン・バーキンと交際。
69年には、彼女とのデュエットで『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をリリース。あからさまな性行為の喘ぎ声を連想させるこの曲は、スキャンダルになるも、これまた大ヒット。
80年代以降は、いち早くレゲエのリズムを取り入れ、また、ジェーンとの子供シャルロットとの近親相姦を匂わせる『レモン・インセスト』をデュエットしたり、少女への異様な幻想と妄想が跋扈する『シャルロット・フォーエヴァー』や『スタン・ザ・フラッシャー』等、ビザールな映画も監督しています。
ジェーンとも別れ、アルコールと煙草による不摂生、テレビに出る度にひと騒動を起こす等、スキャンダラスな人生を最後まで貫き、1991年、62歳で亡くなっています。
ゲンズブールの音楽の特徴は、死ぬほどシニカルな歌詞を、弾むリズムに乗せて吐き捨てることだと思っています。
初期の『リラの門の切符売り』や『唇によだれ』では、まだ伝統的なシャンソンの型を保ちつつも、ぶっきらぼうな歌い方には、破格のふてぶてしさがあります。
これが飛躍したのは64年の『ゲンズブール・パーカッション』。タイトル通り、ジャズとサンバを混ぜたような無国籍でエキゾチックなパーカッションが入り乱れ、異様な熱気に包まれたエキゾ音楽に。
そして、ソリッドなロックとなったバルドーとのデュエット作を経て、ロック時代の集大成となる、ジェーンとの共同での大傑作、68年の『メロディ・ネルソンの物語』へと至ります。
どす黒いオーケストラの旋律とエレキギターの暗い音色を溶け合わせたジャン・クロード・ヴァニエの素晴らしい編曲にのせて、殆ど呟くように、少女と中年男の致命的な恋愛が語られます。
こうしてみると、彼はとにかく時代の最先端のリズムを見事に取り入れていることに気づきます。そして、それが言葉を飾る方向に行かないような感触があるのが興味深いです。
彼は作詞家でもあるのだけど、フレーズを一つ一つ大切にするタイプかというと、ちょっと違う。時折出てくるナンセンスな言葉遊びもそうですし、歌詞の内容が、伝えたいことを自分で否定するようなところがある。
代表作『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は改めてへんてこな歌詞です。ジェーンが「愛している」と囁くとセルジュが「俺も(愛して)いないよ」と応じる。
愛しているという言葉なんて、まるで信じていない。この部分以外は生々しい性行為の描写だけに、その虚無的なやりとりが心に残ります。
あなたはどうか知らないが
ジャヴァネーズを踊りながら
おれたちは愛し合っていた
その曲の間だけ
人生は愛がなければ
生きていく価値はない
しかしそれを望んだのはあなただった
おれの愛する人
ひたすら否定を重ねて、後に何も残らない、暗い歌詞を、魅惑のリズムで吐き捨てていくこと。その探究心は、生涯変わらなかったように思えます。
そう考えると、レゲエ時代に物議を醸した『祖国の子供たちへ』も、彼としては一貫した作品だったのかもしれません。
レゲエのリズムでフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』の歌詞を一部呟き、サビは『武器をとれ、エトセトラ』とコーラスが重なる。『武器をとれ、市民よ』という歌詞の前にはこう書かれていたと本人が主張しても、これは怒られるためにやっているようなものでしょう。
案の定コンサートに退役軍人が押し掛け、ゲンズブール本人が一人で登場すると、アカペラで元の国歌を歌い、会場で大合唱になったという、何とも言いようのないエピソードがありますが、彼にとって言葉は、それだけでは大した意味はなく、その呟きがリズムで跳ねることに快感を覚えるのではないかという気がします。
権威的な言葉、お互い通じ合う愛なんて、信じない、ただ、自分の手に入れられない愛や絶望、人生への虚無を垂れ流していくだけ。なぜなら、人生は死に向かう緩やかなダンスじゃないか。リズムを変えて、退屈しないように踊り続けるだけさ。
そんな孤独な男の呟きが、紫煙の彼方から響いて来るようです。
実際、彼の人生にはある種の絶望が付きまとっています。音楽評論家、渡辺亨氏の名著『音楽の架け橋』には、素晴らしく美しいゲンズブールへのインタビュー体験記が載っていますが、そこで彼は、幼少期にユダヤ人迫害に遭い、路上に血が流れていた記憶を語っています。
また、バルドーとの破局(彼女の夫は大富豪でした)が、実はかなりゲンズブール本人にとって堪えていたのは、多くの関係者の証言を集めた『ゲンズブール 出口なしの愛』(ジル・ヴェルラン著)に書かれています。
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は、当初バルドーとのデュエットでしたが、破局のため、バルドーがリリースを拒否しています。今では聞けますが、ふわふわ漂うゴージャスなストリングスに乗って、色っぽく肉感的なバルドーの溜息が刻まれる傑作です。
これをリメイクする際、かなり削ぎ落されたチープなロックコンボと、色気とはちょっと違うジェーンの儚い囁きに180度変えてしまったのは、失ったものへの彼の意識を考えさせられます。
ゲンズブールは言葉や音に必要以上に力を込めず、どんどん捨てていく。それがたまらなくクールでありつつ、そうした態度の奥底に、多くの人が感じたことのある、失われた愛への痛みや絶望が響いているからこそ、今でも新鮮な響きを纏っているのでしょう。
そういえば、以前出ていたベストアルバム『ゲンズブール・フォーエヴァー』には、彼のこんな言葉が載っていました。
死んだ後のことなんかどうだっていい
死んだ後なんてくそくらえ
死んだ後が私に何をしてくれた?
ゲンズブールらしい悪態であり、きっと誰もが一度は思うこと。それをリズムと共に吐き捨てて、生きること。そこに、人生の絶望のフィルターを通した美が生まれてくる。ゲンズブールの作品の魅惑はそんなところにあるように思えるのです。
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