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青春の風が薫る -ビートルズ『ラバー・ソウル』を巡る随想
【金曜日は音楽の日】
ビートルズのアルバムの中でどれが好きか、というのは愛好家の中でも意見が分かれるところでしょう。初期のパワフルなロックから、後期のカラフルな音楽まで、音楽性を常に変え、殆どアルバムに外れがないため、多様な楽しみがあります。
私は長年『リボルバー』や『マジカル・ミステリー・ツアー』(厳密にはオリジナルアルバムではありませんが)を上位に挙げていました。
2017年から続く、ジャイルズ・マーティン(ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子)による後期アルバムのリミックスで、改めてその魅力を再発見し、今はというと、6枚目の1965年のアルバム『ラバー・ソウル』にちょっと気持ちが傾いたりしています。
初期の勢いと、後期の音楽性の開花の両方のいいところを備えた、良い意味で折衷的な名作です。
一曲目『ドライヴ・マイ・カー』の痙攣したようなリフと、太いベース、軽やかなドラムのコンビから、アルバムは始まります。
アッパーなナンバーでありながら、どっしりと構えて、過去アルバムのオープニング曲のような勢いに満ちたものではないことにすぐ気づきます。ポール・マッカートニーの饒舌でメロディアスなベースが凄まじくうねりつつ、サビの「ロックンロール語」(意味が不明な叫び)もばっちり決まって、キメラのように奇妙で面白い曲。
二曲目『ノルウェーの森』(そういえば村上春樹のタイトル続きになりましたね)は、シタールがみょーんと鳴りつつ、アコースティックなつづれ織りの響きが美しい曲。
二曲とも歌詞は、グルーピーと思しき、謎めいてぶっとんだ女性との性的な関係が題材で、初期の単純なラブソングではなくなっています。
『ユー・ウォント・シー・ミー』、『ひとりぼっちのあいつ』と続くうちに、爽やかなのにどこか憂鬱な落ち着いた曲調と歌詞に染まっていく。
特に後半、『ガール』の哀愁に満ちたフォーク歌謡から、『君はいずこへ』の、ドライヴの効いた爽やかなアコースティック・ロック、『イン・マイ・ライフ』のノスタルジックな語り口と続くのは圧巻で、まさに青春の息吹に満ちています。
どうしてこのようなアルバムになったのか。研究書等で良く言われるのは、アイドル的なライブツアー・映画撮影と忙しかった彼らが、まとまったレコーディング時間がとれて(それでも一か月程度ですが)、今までにないくらいに音楽を磨くことができたこと、そして多様な音楽をインプットできたことでしょう。
アッパーな部分はモータウンのR&B、フォーキーな部分は、ボブ・ディランに影響を受けつつ、総体としてはビートルズとしか言いようのないアルバムになっています。
『ミッシェル』ではフランス語まで出てきますが、コード進行からみてもシャンソンに影響を受けているとは言えない、でもシャンソンとフォークの中間のような、不思議な曲。
『恋をするなら』は、特大のヒットを飛ばしていたバーズっぽいフォーク・ロックの質感ですが、あくまでそれは器で、バーズの乾いたコーラスよりも、もっと全体的に潤んで、くぐもったような響きがあります。
そう、アルバム全体が、どこか湿った感触なのも珍しいところです。
エレキギターのリフは前作『ヘルプ!』の乾いたきらきらな音よりも落ち着いています。リンゴのドラムも心なしか暗い響きで、そこに間断なく敷き詰められたコーラスが響いて、『ノルウェーの森』という、曲の邦題にある意味ふさわしい、ウッディーで、森の中を彷徨っているような、吟遊詩人の感じがあります。
前作『ヘルプ!』との違いは、リンゴが歌う『消えた恋』が、カントリーの曲調でありながら、前作のカントリー・カバー『アクト・ナチュラリー』より遥かに湿った憂鬱な歌唱になっていることからも分かります。前作のセッション曲だった『ウェイト』や、やはりカントリー的な『浮気娘』も同様。
まあ、ジョン・レノン曰く「『ラバー・ソウル』は(鎮静効果のある)大麻に染まった作品」とのことで、ドラッグの影響も勿論あるのでしょう。
次作の『リボルバー』ではLSDが投入され、全編アッパーにキマって、からっからに乾いた極彩色の絵巻になるわけですが、そんなことからも、この統一された、仄かに色づいた森の中のような響きは、かなり貴重に思えるのです。
ビートルズが偉大だったのは、ロックンロールから始まり、このアルバムのようにフォークやR&Bといった異ジャンルを積極的に吸収し、やがてはサイケで難解なプログレやヘビメタの元祖のようなハードなジャンルの萌芽になる独自の音楽を作ったこと。しかも、それらが全てポップな意匠をまとっていたことだと思っています。
『イエスタデイ』のようなクラシック音楽や、はてはインド音楽までとりいれながら、そのジャンルの王道からはちょっとずれたポップソングになってしまう。ジャンルのエッセンスが香るだけで、どんどん変化し続ける音楽。
そんな変化の真っ只中の統一された響きが『ラバー・ソウル』にはあります。
デビューから3年経ち、アイドル的な人気にも倦んで、自分たちの方向性を模索していた 時期でもあったのでしょう。
まるで思春期を迎えて大人になる直前の、どこか憂鬱な青春の雰囲気をもまとった一回限りの作品になっている。今の私にはそれがとても美しく響いてくるのです。
作家のプルーストは、こんな言葉を残しています。
全てのドストエフスキーの小説が『罪と罰』と名付けられるように、フローベールの全ての小説も『感情教育』と名付けられる。
プルーストのようにビートルズの作品を一言で表すとしたら、それは『ラバー・ソウル』(Rubber Soul)だと思っています。
ローリングストーンズが、黒人のブルース・マンに揶揄された『プラスチック(まがいものの)・ソウル』という言葉をもじったこのタイトル。
それは「魂」(Soul)を持った音楽でありつつ、「ゴム製の」(Rubber)という、ちょっとまがい物感も出しつつ、「恋人の」(Lover)という響きもどこかに含み、「ゴム靴底」(Rubber sole)をずらしている、ポップな語感の言葉です。
それはつまり、「カブトムシ」(Beetle)をずらして「ビート」(Beat)を効かせた、ビートルズ(Beatles)にふさわしい、極上のポップアートとしての音楽を表す言葉であり、そんな彼らの迷いを含めた青春の美しい瞬間を捉えたアルバムのように思えるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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