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深い霧に包まれた歌 -ティム・バックリィの音楽の美しさ


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
歌声というのは、あらゆる「楽器」の中でも最も強力で、空気を一変させるものです。それは、人間が誰かに伝えようとする最も原初的な思いが、直接込められたものだからなのでしょう。
 
シンガー・ソングライターのティム・バックリィは、私が大変好きな歌声の持ち主です。しかし、彼の遺した作品を思うと、音楽と声の関係について色々と考えてしまいます。




ティム・バックリィは、1947年、アメリカのワシントンD.C生まれ。カリフォルニアに移住して、バーやクラブで歌った後、1965年には新進気鋭のエレクトラ・レコードと契約。ちなみに、この時最初の妻と離婚しており、彼女との間に生まれた子供が、後の歌手ジェフ・バックリィです。
 

ティム・バックリィ


1966年にアルバムデビュー、そして67年の『グッバイ・アンド・ハロー』は、チャートアクションこそ平凡なものの、最初の名盤になります。
 


ティムの歌声は、深い霧から響くような潤いに満ちた、滑らかなヴェルヴェットボイスです。ゆったりしたメロディでもだれず、ハイトーンで盛り上げる場面でも、決して汚いシャウトにならずに、どこまでも美しく伸びていく。
 
そしてどんな場面でも気品と、少年のような初々しさ、暖かい優しさがあります。
 
名曲『ワンス・アイ・ワズ』での高揚しつつも、青白い炎のような澄んだ輝きを失わない叫び、そして『モーニング・グローリー』でのしみじみとした呟きは、数あるシンガー・ソングライターの名曲でも上位に来る美しさでしょう。




しかし、『グッバイ・アンド・ハロー』には、それだけでは収まりが付かないものが既にあります。
 
『ファンタスマゴリア・イン・トゥー』での哀愁に満ちた旋律、ベトナム戦争を歌った歌での強烈な効果音、『ハルシネイションズ』での、ひゅーんというダウナーな響きには、明らかにドラッグの影響と共に、通常のシンガー・ソングライター的な音楽では満足しきれない彼の感情ものぞかせます。
 
69年のサード・アルバム『ハッピー・サッド』はジャズの影響が見え始め、ゆったりとした長尺曲の中に、彼の歌声を浮かべるような独特な曲調になってきます。とりわけヴィブラホンの硬質な響きには、個人的に、ボビー・ハッチャーソン等の「新主流派」と言われる清新なジャズの息吹を感じたり。
 



それが最大限の効果を表したのが同年のアルバム『ブルー・アフタヌーン』でしょう。
 
アコギとまろやかなエレピの響きが混じり、親しみやすいメロディも持ち併せ、タイトル通り、陽が差し込む凍てついた冬の午後のような雰囲気でまとまった傑作です。




しかし、この路線は徐々に微妙に色彩を変えていきます。
 
『ロルカ』、『スター・セイラー』と、ファンキーで長尺なナンバーに、お馴染みのアコギ弾き語りが混じる、異様なムードのアルバムになります。
 
とりわけ『スター・セイラー』は、様々なエフェクトを掛けられた叫びに彩られた、アッパーなサイケ色の強い作品。
 
マイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』辺りに影響を受けたと思しき箇所もあります。これはロック界の一大奇人フランク・ザッパのレーベルからの作品であり、どことなく、ザッパ的なフリーキー且つ、フリークな感覚もあったりします。
 
そんなアルバムを出し続けても全く売れず、1975年にヘロインのオーバードーズで死亡。28歳の若さでした。




彼の後期の音楽を考えると、改めて歌声というものの微妙さを考えてしまいます。
 
彼は音域が広く、ビザールな曲でも歌い上げることは可能です。しかし、そうした曲に声が合っているかと言えば、どうしても口を濁してしまいます。サウンドとして面白くても、彼の無垢な歌声と摩擦を起こしているような曲が、とりわけ後期は多く感じます。
 
『ビッチズ・ブリュー』は、歌がないジャズだからこそ、強烈な原色の色彩絵巻を繰り広げられたところがある。

あるいはザッパの場合、バンドのボーカルは大親分ザッパを始め、テリー・ボジオ、エイドリアン・ブリュー、キャプテン・ビーフハートと、何があっても死ななそうな、ふてぶてしい声の連中ばかりであり、だからこそ、めくるめくハードな展開で強烈な風刺を利かせるザッパの音楽に合っているのでしょう。




声には、音色だけでなく、音楽の「性格」を決めるような力があって、それは、エフェクト等で隠せるものではないように思えます。
 
ティムの優しい歌声は、歌い上げ系のバラードや、シンガー・ソングライター的な素朴なメロディが非常に合う声であり、もっとポップな歌を歌わせても自分の表現にして、尚且つ感動的な作品になった気がするのです。
 
そうした曲を書けなかった、あるいは書かなかったのは、恐らくは彼の嗜好であり、当時最先端だった新しいジャズやフリーフォームのサイケ音楽という、声の資質に合わせるのにかなり難しい部分に、踏み込んでいった。
 
言葉はあまりよくないのですが、可憐なルックスのアイドルが、自分の嗜好でギンギンのロックをやっている感じというか。

自分が好きなものと、自分がなりたいもの、自分がなれるものは、必ずしも一致するものではないということなのでしょう。





突如として途切れたティムの音楽の冒険ですが、生前一度しか会わなかったという息子のジェフ・バックリィに、その歌声は受け継がれます。
 

ジェフ・バックリィ


1992年にライブアルバム『Live At Sin-e』、1994年にアルバム『グレース』を発表。レナード・コーエンからアラブ音楽まで父以上に雑多な音楽的嗜好を持ち、父そっくりの超絶的な歌い上げ能力と、美しい呟きが同居する天使の歌声の持ち主でした。
 


大手のコロンビアとの契約であり、ティムが見ることの出来なかった景色に到達できるように思われたのですが。。。
 
1997年、川で泳いでいる際に溺死。30歳という若さで、父と同様の悲劇的な最期でした。




ティムが生きていたとしても、シンガー・ソングライターには合わない80年代のプロダクションの時代をサバイブできたとはちょっと思えません。彼の遺した作品は、砂の中からダイヤモンドの粒を探すような感じになっています。
 
それは、名曲『ワンス・アイ・ワズ』に描かれたような、青春の彷徨の末であり、本当に美しいものは、そうやって全てを見失う霧の中に隠れ、誰かのために輝くのを待っているのかもしれません。
 

あなたはもう
忘れてしまったのかもしれない
僕たちの全てのくだらない夢のこと
気づくと僕は探しているんだ
夢の廃墟を通り抜けて
笑い合った日々のために
走り抜けた時のために
瞳の中の魔法と
言葉の中の静寂と共に

そして僕は時々思う
ほんの少しだけ
君は僕のことを
思い出してくれるだろうかと

『ワンス・アイ・ワズ』



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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