【創作】ジェイン・オースティンの詩篇【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が書店の棚の埃をはたいていると、ノアが声をかけた。
「ちょっとそこの本をとってくれないかな」
「いや、僕は本を出せないんだ。前に試したことがある」
「そうかな、やってみてごらん」
光一がノアの指さした方の棚の本をとると、すっと手に吸い付くように出てきて、光一は驚いた。
「本当だ」
「多分、今の君なら大丈夫だという気がしたんだ。直感が当たったね」
光一は戸惑いつつ、少し嬉しい気がした。この店に居る時は時間が止まっている気がするのだが、何か自分がそれでも変化している気がした。
それは、ノアも感じているようで、優しく微笑んでいる。前に来た時にあの獣から云われた「彼女は機械」という言葉。そこにあまり自分でもショックを受けていないのに、ほっとしていた。多分、どこかそうではないかと思っていたのだと思う。
「で、君がとった本をこれから発送するけど、ちょっと読んでみるかい?」
「うん? そうだね。どんな本?」
「イギリスの小説家、ジェイン・オースティンが若い頃に書いた詩の本だ」
ジェイン・オースティンは1775年イギリス南部のハンプシャー生まれ。短期間修道院の寄宿学校で教育を受け、文学に親しんでいた。
小説をいくつか書き始め、1811年長編小説『分別と多感』を匿名で出版。『高慢と偏見』、『エマ』と名作を続けて出版。当時から評判になり、『エマ』出版時には愛読者だった当時の摂政王太子ジョージ会って歓待を受けている。
しかし、徐々に体調を崩し、1817年、41歳で死去。死後出版された初期の『ノーサンガー・アビー』、遺作の『説きふせられて』を含めても、完成された主要な長編小説は六作。そこに、習作や僅かな短編小説、書簡が残っているばかりだった。
しかし、その長編小説は世界文学史上に残る作品と高い評価を受け、また後世映画やテレビドラマ等、繰り返し映像化されている。
「オースティンの小説の特徴は、田舎の貴族や中流社会の人々の間で繰り広げられる、恋のさや当てと、財産分与や相続の問題。要は、結婚について。
皮肉な眼でカリカチュアライズされた人物を描きつつ、丁寧な心理描写によって、何も起こらないように見えつつ、面白いやりとりが続いて、ドラマが動いていく小説だね。イギリスの片田舎でありながら、普遍的な問題を扱っているとも言えるね」
「そんな人が、詩を書いていた」
「そう、表の世界では勿論流通していない。読んで御覧」
その本は13の詩篇から成り立っていた。全て恋愛詩で、「あなた」という男性に呼び掛けられている。読んでいくと、「あなた」は、近くにいる男性だが、高貴で、優しい美青年というのが分かる。そんな彼へ熱烈な言葉が連なっている。
しかし、光一は読んでいくうちに、段々とうんざりとするような感触を覚えた。
どうしてだろうと感じたが、要するに彼を褒め称え、その美しさや善良さを褒め称える言葉がありきたりで、しかも長々と続くため、飽きてくるのだった。
そして語り手は「自分のような卑しい人間にはあなたはふさわしくない」だとか、「私については語ることはない」だとかというように、謙遜を繰り返すので、よくその立場が分からず、煩わしさも感じるほどだった。
しかし、最後の言葉は、奇妙に光一の心に残った。
前回見たクレオパトラの偽手紙のことを、光一は思い出した。
読み終わると、ノアが笑って話しかける。
「感想は?」
「彼女は小説家になってよかったと思うよ」
「そう、彼女自身の手紙も巻末にある。そこでは冷静に、自分に詩作の才能がないことを認め、今後詩は書かないと言っているね」
「どうして、小説が書けるのに、この詩は駄目なんだろう。両方書ける人はいないのな」
「難しいね。勿論歴史上、小説も詩も素晴らしい作家はいるよ。『レ・ミゼラブル』で有名なフランスの作家ユーゴーなんかはそうだね。でも、オースティンの場合、彼女の精神はとても乾いて散文的だったと言えるかもしれない。
人を観察して、心の動きを解剖して、それを記録する。これは、自分の心を装飾するタイプの詩には向いていないのかもしれないね。
もう一つ、彼女はあまり自分の気持ちをストレートに表現できるタイプではないように思える。
小説でも、繰り返し秘めた思いを抱える人物が出てくるし、彼女自身、プロポーズを一度受けた次の日に、断るという不思議な行動をとっている。理由は残されていないけど、どこか、自分の感情に素直に生きられない人だったのかもしれない」
「なるほど。でも、じゃあどうしてそんな散文タイプの人が、こんな熱烈な詩を書こうという気になったんだろう。ただの習作?」
「それはおそらくね、彼女は本当にそうした強い思いを抱えていた人だったからじゃないかな。彼女の理性と感情は、多分別のところにある。
そもそも、皮肉屋というのは、大概ロマンチストなんだと思うよ。もの凄く強い愛を心のどこかで信じたい。でも、それが届かないと分かっているから、周りを徹底的に皮肉に包んで見てしまう。遠い場所に行けない絶望を必死に和らげている、と言ったらいいかな。
彼女の小説には、卑俗な噂話好きの人だとか。無責任な人だとかを容赦なく皮肉に見る目があると同時に、強い愛を貫いて、駆け落ちも辞さない人物も出てくる。
そうした人物たちにも皮肉な眼差しは注がれるけど、何度もそんな人物が出てくること自体、彼女の中に思うものがあったんじゃないかな。でないと、凄く長い小説を何年も書き続けられないからね」
「この詩に書かれたような感情を、小説のやり方で扱うようになったということだね」
「うん、そうだね」
すると、本が急に回転して宙に浮かび、光を発した。
その光は形を変え、一閃して辺りが真っ白になる。光一が目を開けると、カウンターの上に、金色のしおりが載っていた。
金色の蔦模様の中で、とぐろを巻く蛇の絵柄だった。
ノアは、手をすり合わせて笑った。
「よかった。新しいしおりが出て来たね。ちょっとこれは行けそうな予感があったんだ」
「君に何か感じられる力が出てきたのかな」
「分からないけど、そうだったらいいね」
光一はしおりを壁に貼るノアを見ながら、ふと尋ねた。
「君も、結構皮肉な人に思える。そう考えると、ロマンチストでもあるのかな。ここじゃない、どこかを夢みているのかな」
ノアは手を止めると、光一の方を見つめる。青い目が光る。これも機械仕掛けなのだろうかと光一は思った。
ノアは微笑んで答えた。
「そう、たぶんね。君と同じように」
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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