宙づりのイメージの魅惑 -マグリットの絵画について
【月曜日は絵画の日】
謎が魅力的なのは、答えがわからないからです。
絵画でそんな魅力的な謎のイメージを創り出した画家に、マグリットがいます。不思議なイメージで、分かりやすいようで、どこか答えをすり抜けていく、そんななかなかない絵画です。
ルネ・マグリットは1898年ベルギー南部生まれ。18歳の時にブリュッセルの王立美術アカデミーに入学。キュビズム等最新の絵画の影響を受けます。
その後、デ・キリコの「形而上学的」絵画を見て、本人曰く泣いてしまう程の(本当でしょうか・・・)衝撃を受けて、シュルレアリスムに向かいます。
1927年からはパリに三年間滞在し、ブルトンらシュルレアリストたちと面識を得ますが、ブルトンにはなじめず、ベルギーに帰っています。
幼馴染の妻ジョルジェットと結婚し、ベルギーに戻った後は銀行員として働きつつ、制作や展覧会をこなす、劇的なことは少ない人生でした。1967年、68歳で亡くなっています。
マグリットの絵画は基本的には、通常ではありえないイメージの組み合わせ、コラージュによるものです。その意味では、シュルレアリスムの画家であるのは間違いない。
ただ、シュルレアリストのように、ある種の衝撃を与えるためにコラージュするのとは、ちょっと違う感触があります。
彼の中には執拗に何度も出てくるイメージがあります。山高帽の男、良く晴れた青空と白い雲、そして何と言っても、顔が何かで隠された人物。
この「顔が隠れている」というのは、彼が小さい頃、川に投身自殺した母親と対面した時、彼女の顔が布で隠されていたその影響という説がありますが、多分それは正しいのでしょう。
そうした彼の中の強迫的なモチーフが、かなり整然と組み合わされ、青空や背景にドカンと放り投げられるようなプリミティブな面白さがあります。
そして何よりも、タイトル。パイプの絵に『これはパイプでない』というタイトルをつけ、丁寧に文字まで加えた作品の通り、彼にとってタイトルは作品の説明ではなく、描かれたものを歪め、宙づりにするための、重要な一要素でした。
入道雲をワイングラスに入れた絵画に『心の琴線』と名付けたり、空に浮かぶ巨石の絵に『現実感』と名付けたり、作品と付かず離れず、かつ謎めいたタイトルは非常に洒落て粋で、彼が影響を受けたシュルレアリスト達と比べてもそのセンスは抜群に感じます。
そうしたセンスを持ちつつ、あくまで画面や人物の輪郭はくっきりと澄んでいるのが、余計シュールな味を見事に醸しています。
マグリットの絵画は、乱暴に分類すると二つに分けられると思っています。一つは、先に述べた新奇なイメージのぶつけ合い。青空と夜の住宅をそのまま繋げた『光の帝国』(このタイトルも美しい)は、その代表です。
そしてもう一つは、錯覚を積極的に狙った作品。
画中画と背景が見事に溶け合った『囚われの美女』や、森の中の乗馬女性をモザイク状に解体した『白紙委任状』は、ともすればあざとくなりがちな題材にも拘らず、何でもないかのような自然の光景に見える筆致や、謎なタイトルにより、あくまで上品にシュールな姿を崩さないのです。
多分マグリットは、シュルレアリストやデ・キリコほど「形而上学」を信じていないのでしょう。
見えるものは見えるもの以上の意味なんてない。そして、言葉とはイメージを説明するためのものでもない。
タイトルが絵画のある種の謎解きになるのではなく、タイトルや文字も含めたあらゆるイメージが等しく並ぶからこそ、謎に答えが出てこなくなり、宙づりのままイメージの組み合わせの快楽を味わえる。
宙づりでいることは、結構困難なことです。私たちは答えを求めがちだからです。「これは意識下の世界を描いたものです」と説明したい誘惑に駆られる画家、そしてそれを聞いて安心したい人は多いでしょう。
でも、マグリットはそうした良くも悪くも野暮ったい説明はしない。それ故に、具象的なのにクールな美が生まれるように感じます。
私が好きなマグリットの作品は『記憶』という作品です。お馴染みの青空に、幕、謎めいた球に、枯葉、こめかみに血の着いた石膏像の頭部。
記憶とは、石膏像にこびりついた血のようなものなのか。答えは出ないけど、ここには確かに「記憶」というものの捉え難さ、冷たい甘美さの質感が表れているような印象があります。
あるいは『世界大戦』という作品。青空を背景に、白いドレスの貴婦人。しかし、顔は菫色の花のブーケによって隠れている。
なぜ世界大戦なのか。彼の個人的な追憶なのか。あるいは、それによって失われた何かを表そうとしているのか。よく分からないゆえに、具体的な第一次・第二次大戦を超えた、人それぞれの追憶のイメージを強く喚起してくれる。そんな上品な情感を醸してくれるような作品が、私の好みです。
何でも自由に描けば、私たちは自由な感情を得られるわけではありません。私たちは、自分なりの認識があり、何かに答えを出そうとする。その行為に自分で縛られていると言ってもいいかもしれません。
だからこそマグリットのように、一見明白なようでいて、こちらのレッテル貼りを剥がしてくれるような作品は大変貴重に思えます。
そうすることで、そこに答えを見出そうとする私たち自身が何者かを教えてくれる。そんな、得難い、自由な芸術作品の一つのように思えるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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