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遠い部屋の風景 -ハマスホイの絵画の魅力


 
 
【月曜日は絵画の日】
 
 
絵画でも音楽でも、静寂を表すのは、喧騒以上に難しいことかもしれません。色や音は、それだけで沈黙を乱すものだからです。
 
デンマークの画家、ハマスホイの絵画の美しさは、これ以上ないほどの静寂に満ちている点にあるように思えます。ごく自然に、精神というか、自分の深いところを連想させるような沈黙は、大変貴重な美しさのように思えます。




ヴィルヘルム・ハマスホイは、1864年、デンマークのコペンハーゲン生まれ。15歳でコペンハーゲンの王立美術アカデミーに入学しています。
 

ヴィルヘルム・ハマスホイ自画像


教師の一人が「奇妙な絵を描く生徒がいる。彼のことを理解できないが、重要な画家になることは分かっている」という言葉を残していますが、その言葉通り、灰色の曖昧なトーン、謎めいた人物の身振りは、初期から晩年まで一貫していたものでした。
 
1891年に、親友で画家のピーター・イステルズの妹、イーダと結婚し、新婚旅行でパリを訪れています。1898年には、コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に引っ越しをして、以降多くの室内画がここで生み出されています。
 
彼の生涯に大きな事件は基本的になく、徐々に名声は高まり、王立アカデミーの評議員になったり、詩人のリルケと知合って評価を受けたりするも、あくまで北欧中心での評価にとどまりました。
 
1915年、51歳で死去。日本では殆ど知られていなかった画家ですが、2008年に国立西洋美術館で大回顧展が開かれました。以降、一定の知名度を持って、展覧会やいくつかの本が出されています。

『背を向けた若い女性のいる室内』
ラナス美術館蔵


いくつかの風景画を除けば、ハマスホイの特徴は、何と言っても室内画。それも、ストランゲーゼ30番地の決まったアパルトマンの光景です。
 
白い壁に、窓枠。机やストーブのような最小限の家具に、黒いローブを纏った妻イーダの姿。それは、しばしば後ろを向いていて、表情が読み取れない。

これだけの要素しかないのに、全く飽きることがなく、どれを見ても、一定の静寂なトーンの中に絵画を味わう喜びが満ちています。

『室内』
テート美術館蔵


それはまず、彼の構図が素晴らしく美しいということがあります。
 
ドアや窓を正面からとらえ、画面を幾何学的に区切り、入れ子状の模様にする。床と壁のバランスも安定している、落ち着いた室内。
 
そして、そんな構図が、ふんわりとした筆致で、柔らかい灰色のトーンでまとめられているのも効果的です。
 
これが、オランダ室内画のように厚塗りのリアルな筆致だったり、色とりどりの家具があったりすると、その構図が少しあざとく感じられるかもしれない。
 
しかし、色彩も限られたぼんやりとしたトーンのため、絵画全体から静寂さが生まれるのです。

『ピアノを弾くイーダのいる室内』
国立西洋美術館蔵


彼の人生で興味深いのは、絵画自体は、ほぼ一か所の室内を描いているのに、意外と?旅行をしていることです。
 
新婚旅行のパリではルーブルに行ったり、同時代の画家たちの展覧会を観たりしています。イタリアで古代美術を吸収し、ロンドンに行ってこの霧深い都市を気に入って生涯何度も訪れています。

1887年には、ドイツ、オランダ、ベルギーを訪れ、フェルメールをはじめとするオランダ室内画や、クノップフやメルリといったベルギー象徴派も吸収しています。
 
彼は生涯寡黙で口下手なのはイメージ通りなのですが、これも意外と、若い頃はかなり戦闘的な姿勢で、王立美術アカデミーと対立し、展覧会を拒否されると、仲間と「落選展」を開いて、パトロンを見つけています。
 
また、新婚旅行のパリで観た「印象主義と象徴主義の画家たち」という展覧会(モーリス・ドニやボナールのようなナビ派が中心だったようですが)について「屑鉄のような作品ばかり」と断言し、「失敗に終わってほしいと願っています」とまで書いた手紙を残しています。
 
そして、好きだったのが、ホイッスラーだったというのは面白い。
 
統一された色彩感、現実に即しつつ余計な主題を入れない静寂さ等、なるほど確かにこのイギリスの唯美主義の画家の影響はハマスホイの作品にこだましています。


ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント』
オルセー美術館蔵


こうした諸々の点から思うのは、ハマスホイは、決して世捨て人的に自分の家の部屋と妻の後姿を書いたのではなく、自分から積極的にモチーフを取捨選択して、あの室内画に到達したのだろうということです。
 
人物は後姿で感情が読み取れない。だから主題は曖昧になって、ただ室内の構図と、そこに差し込む光だけが浮かび上がる。
 
家具は時には不自然なまでに大きくなり、あるいは机の脚が消えたりして、生活臭やリアリズムがなくなり、不可思議な空間となる。
 
そうなることで、窓やドア、光そのものの美しさが見えてくるようになり、私たちはこれほど謎めいた空間を身近に持っていたのかということを知ることになります。


『陽光の習作』
デンマーク・デーヴィスコレクション蔵


ハマスホイは、意志をもって、ひたすらすべてを削ぎ落します。ここまでトーンを抑えて、モノを減らして独自の場所を創造するのは、描き込む誘惑に負けない強靭な意志が必要でしょう。
 
それらはすべて、存在しないどこか遠い場所、私たちが普段生活する空間とは違うけど、どこかに持っていて、空っぽなのに懐かしいような部屋を創造するためにある。
 
その遠い場所は、静寂に満ちています。
 
静寂とは、抽象的なものではない。絵画であれ音楽であれ、作品が抽象的になればなるほど、鑑賞者は、そこにノイズやトーンを積極的に読み取ろうとします。
 
現実に即しつつ、何を意味しているのか読み取れる限界まで削ぎ落されたハマスホイの絵画は、抽象に陥るぎりぎりの、現実から抽出された理想的な光景のようなもの、つまりは光と静寂を見事に刻み付けているように思えるのです。


『室内、ストランゲーゼ30番地』
ニーダーザクセン州博物館蔵
脚が2本しかないピアノや
不自然な机の位置等、現実から離れた作品




ハマスホイの絵画は、ある意味極端な、審美主義作品とも言えます。
 
ホイッスラーの技法や方向性を受け継ぎつつ、ホイッスラーにはない曖昧さと、過激なまでに厳密な構図により、古代の建築や肖像のような古典性をも身に付けるようになっています。
 

『手紙を読むイーダ』
個人蔵
フェルメールの影響と研究の跡が伺える


身近な部屋を描くだけで、これほどまでの古典性と普遍性を創造することができる。

フィクションでもそうなのですが、改めて、何を描くかというのは、作品にとって第一の条件ではないように思えます。物語であれ、絵画であれ、実のところ、ひとはそこまで新奇な題材で驚いたりしない。多分それは100年前でも今でも変わりません。
 
大事なのはそれを描くトーン、そして、そこからどんな場所に読者・鑑賞者を連れて行きたいかという、制作者の意志なのでしょう。

現実から抽出された静寂を味合わせるハマスホイは、その意味で、最も過激で、耽美で、幻想的とも言える画家の一人なのかもしれません。

是非その、私たちから遠く離れた、けれども多分誰もが内面に持っているであろう、静寂の部屋の光景を体験していただければと思います。



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