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孤独な優しさの音楽 -カーペンターズを巡る随想
【金曜日は音楽の日】
カーペンターズは、日本で最も売れた洋楽アーティストの内の一組であり、私も大好きなアーティストです。
多くの人に愛され、そして今でも決して古びないエバーグリーンな輝きを持った音楽だと思っています。
カーペンターズは、ピアノとアレンジ担当の兄のリチャード・カーペンターと、ボーカルで時折ドラムも披露する妹のカレン・カーペンターによるデュオ。
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左:カレン・カーペンター
右:リチャード・カーペンター
カリフォルニアで育ち、早くからピアノを弾いて音楽活動に興味を持っていたリチャードと、ドラムを演奏できたカレンは、バンドを組んで、様々なオーディションやコンテストに参加し、デモテープをレコード会社に送ります。
A&Mレコードのハープ・アルバートの目に留まり、1969年にデビュー。そして、1970年にバート・バカラックの名曲をカバーした『遥かなる影』が、チャート1位になる大ヒット。
その後も『愛のプレリュード』、『雨の日と月曜日は』、『イエスタデイ・ワンス・モア』と1970年代前半には特大のヒットを立て続けに飛ばし、その品行方正なイメージと音楽から、多くの家庭や子供達にまで受け入れられる、国民的アーティストに上り詰めます。
しかし、現実は、リチャードの薬物依存が進み、母親からの愛情に飢えていたカレンの摂食障害も深刻なものになっていました。
弱りきっていたカレンは、不幸な結婚の後、1983年に心臓麻痺によって32歳で死去。カーペンターズの音楽もそこで途切れることになります。
ボーカルのカレンの歌唱が、カーペンターズの大きな魅力であることは間違いありません。
深く柔らかいアルトヴォイスで、完璧にシンコペーションを利かせつつ、べとつかずにさらっと歌い上げる。テレビショウのようなライブでも音ブレやずり上げが全くない。
名曲『スーパースター』では、リハで最初に歌ったテイクがあまりにも素晴らしく、そのまま完成テイクになったという逸話もある程の、抜群のボイスコントロールを持っています。
そして、彼女の声を生かしつつ、バカラックや、ロジャー・ニコルス、ポール・ウィリアムズ等様々な外部アーティスト作品を取り入れ、ポップな曲や、歌い上げ系のドラマチックなバラードを、リチャードがアレンジ。全体が品よく纏められています。
カーペンターズの曲は、まずリチャードのカクテルピアノが入り、オーボエやハーモニカ、時にはハープの澄んだ響きに導かれ、カレンの深い声が合わさって溶けていきます。しなやかなベースとドラムが入り、爽やかなコーラスやストリングスが添えられる。
ストリングスは薄い雪化粧のように歌に纏わりつくだけ。シナトラやナット・キング・コールのゴージャスなオケと比べれば、その違いが良く分かります。
セッションドラマーとして名高いハル・ブレインのナチュラルなドラム一つとっても、カーペンターズは、決してオールディーズでもロックンロールでもなく「ロック・ミュージック」時代のアーティストだったのだと思います。
と同時に、実はかなり「核」が見えづらい音楽でもあると思っています。
例えば有名な『トップ・オブ・ザ・ワールド』は、スティール・ペダルも入ったカントリー音楽風でありながら、ストリングスや、落ち着いたエレピは、微妙にカントリーから外した感覚があります。
コーラスを重ねて飛翔していくサビも、カントリーの長閑さを超えており、何よりカレンの、どこで息継ぎしているのか分からなくなるような流麗な歌声で、カントリーのイメージは消えてしまう。ジャンルの上澄みだけ掬って、別物にしてしまう感覚。
あるいは『ジャンバラヤ』。本来は郷愁といなたさを持ったこの曲のカバーは、様々なエフェクトや掛け合いを添えつつも、いかなる意味でも南部情緒やエキゾチズムを味わえない、楽しいのに奇妙に漂白された、ある意味ストレンジな演奏と歌唱になっています。
実のところ、アレンジャーとしてのリチャードは本質的には「やりすぎ」な人なのだと思います。
大衆的とは少し違い、時々殆どプログレッシブ・ロックの如く曲を解体して、凍らせてしまうところがある。ビートルズの『涙の乗車券』を、原曲のハードで酩酊したロックから、端正な静けさに満ちたロックバラードにしてしまう発想そのものが、彼の音楽への距離感を示しています。
そして、カレンが素晴らしいヴォーカリストであるのは間違いないですが、あらゆる歌唱を完璧にできる分、実はどこか情感のなさに繋がってしまう部分がある気がするのです。
カーペンターズの売上が下がってきたころに製作された、カレンのソロアルバム『遠い初恋』では、リチャードと離れ、フィル・ラモーンという当代一のプロデューサーの下、アダルトコンテンポラリーなバックで歌うものの、どうにも合わず、アルバムもお蔵入りになってしまいます。
愛情に欠けて育った人間が、決して本心を言わずに相手に壁を作ってしまうように、リチャードとカレンは、音楽で素直に感情を迸らせることに、どこか距離を置いているようなところがあります。心を開かずに笑顔のままでいる優等生のような佇まい。
カレンの歌声に常につきまとう暗い影。リチャードが編曲したあのオーボエやハーモニカの寂しげな響きは、孤独な人間の独白のようであり、時折みせる面妖なのに無臭のアレンジは、素直に思いを伝えることを拒んでいるようでもある。
まるで『愛にさようならを』の、殆ど自殺寸前の孤独な歌詞のように。
私は愛にさようならを告げる
私が生きようと死のうと誰も気にかけない
何度も何度もチャンスを逃して
愛は通り過ぎてしまった
私にわかるのは愛なしに生きる方法だけ
見つけることなんてもうできない
そんなお互いの孤独な資質を無意識に分かっているからこそ、カレンの揺るぎない歌声を最大限生かそうとして、リチャードのやりすぎてしまう部分が抑制され、カレンの暗い部分を、リチャードのアレンジがほんのり彩ることができた。
お互いの気遣いと信頼の絶妙なバランスが、カーペンターズの音楽の核になっていたのではないでしょうか。
だからカレンが亡くなった時、リチャードは大切な妹と一緒に、彼自身の音楽も永遠に失ってしまったように思えるのです。
その後のリチャードは、ソロアルバムを何枚か出すものの、基本的には、カーペンターズの延長線上にあります。未発表音源を含めたカタログの品質を確保し、パブリックイメージを守りつつ、名曲を再アレンジして、ツアーをしたりしています(2023年にも来日しました)。
はっきり言えば新しいことはしていないけど、決して否定されることではないと私は思います。
人はいつまでも革新的でありつづけることなどできない。過去の自分たちを支持してくれた人を裏切らないでいるのもまた、誠実なことです。そして、カーペンター家の兄妹が創りあげた音楽は、そうするに値する、素晴らしい遺産でした。
カーペンターズの音楽は、凛と張ったカレンの歌声がリチャードによって柔らかく彩られ、誰もが覚えのある孤独の味を含みつつ、全体として仄かに光が差すような、ひとりひとりの個人のための音楽となっています。
そういう意味で、今後も多くの人の心に残っていく音楽のように思えるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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