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静寂を磨き上げる -ECMレコードの音楽の魅力


 
 
現在公開中の映画『ECMレコード サウンズ&サイレンス』を観てきました。
 
2009年制作ですが、今年ECM創立55年を記念して、日本で劇場公開されたドキュメンタリー映画です。
 


ECMレコードの創業者にしてプロデューサー、マンフレート・アイヒャーと、所属アーティストたちの制作現場を追った作品。ECMの歴史については全く触れませんし、出てくるアーティストも、キース・ジャレットやパット・メセニーのような有名どころはいない、ワールド・ミュージック系の音楽家ばかりです。

それでも、個人的に大好きなアヌアル・ブラヒムやアルヴォ・ペルトの演奏や姿を見て、美しいサウンドを劇場の大音響で浴びられたのは大変良かったし、ECMの面白さを再認識しました。




マンフレート・アイヒャーは、1943年ドイツ生まれ。コントラバスを学び、クラシックのオーケストラに参加したり、ジャズベーシストとして演奏したりもしています。彼が1969年に創立したレコ―ド・レーベルが、ECM。その名前は、「Editions of Contemporary Music」(現代音楽シリーズ)の略とも、アイヒャー本人の名前(EiCher, Manfred)から来ているとも言われます。


マンフレート・アイヒャー


 
このレーベルが飛躍したのは、1974年のチック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』と、1975年のキース・ジャレット『ケルン・コンサート』。

前者は、フュージョンの先駆けとなる薄暗く透明な電化ジャズ、後者は全編ソロピアノの美しい調べで、どちらも、ジャズでありながら、旧来の夜の紫煙と熱気に満ちたジャズと違う、静寂な響きに満ちた作品で大ヒットします。

 
ジャズ系だけでなく、1984年からは、「ニュー・シリーズ」として、ペルトのような現代音楽、クラシック音楽も手掛けるようになり、2024年現在でも旺盛に活動。既にレーベルの作品は、2,000枚を超えるとのことです。




ECMレコードの特徴は、元はあるジャーナリストの評言という「沈黙の次に美しい音楽」というレーベルのフレーズに集約されるでしょう。
 
ジャズであれクラシックであれ、柔らかい残響が響き、常にどこか静寂の感触がある。それが、聖歌のような神秘と敬虔さ、ほんのりとしたエキゾチズムを香らせる。
 
そして、抽象的でモノトーンの写真、デジタル且つ古代的な簡素なフォントのアルバムジャケットが、そんな雰囲気を更に強くします。アートと音楽の見事な共鳴です。
 

ヒリヤード・アンサンブル
『エレミヤの哀歌 タリス宗教曲作品集』
ジャケット


映画でも描かれていましたが、アイヒャーは、ただのレーベル・オーナーではなく、プロデューサーとして、音楽を「創る」立場でもあります。とりわけ、あの静寂なトーン、柔らかいリヴァーブは、数秒単位の細かな指示や、彼独自の感性によるものだというのが、よくわかります。





そういう部分は、アルフレッド・ライオンが率いた60年代のブルーノートに似ている気がします。統一されたアートワークの趣味の良さ、音のトーンにまでこだわる姿勢。
 
しかし、違いも大きい。アイヒャーが演奏家、しかもクラシックとジャズを両方本格的に演奏できたことは大きいでしょう。ライオンはあくまでジャズ愛好家であり、ジャズという枠組みを外さなかったのに対し、アイヒャーは、どんどんジャンルを超えていく。
 
おそらくは「沈黙の次に美しい音楽」という「完璧なライトモチーフ」(アイヒャー)が決まった時、アイヒャーの中で、追い求めるものが明確になった。それはジャンルにとらわれない「サウンズ&サイレンス」という響きなのでしょう。
 
そして、それを様々な形で取り出すために、多くのミュージシャンの多彩なジャンルの音楽を集め、アイヒャーの感性で響かせる。
 
それゆえ、80年代以降ははっきり言ってジャズ・レーベルとは呼べないと思います。何せ現代音楽に、ディノ・サルーシのようなタンゴから、クラシックではバッハやベートーヴェンのみならず、メンデルスゾーン(!)まで録音しているのですから。


ヴァレリー・アファナシエフ
『シューベルト・ピアノソナタ』
ジャケット




そういえば、『レコード・コレクターズ』2024年11月号のECM特集で、立川芳雄氏が、キース・ジャレット『ケルン・コンサート』について、面白いことを書かれていました。


そこで聴けるのはピアノのみによる殆ど即興の演奏だが、良くいえば、一つ一つの音の存在感が強調された思索的な音であり、悪くいえば、クラシック音楽の常套的なフレーズをジャズ風に加工した音だとも言える。 


これはその通りで、ECMの音楽にある両側面を言い当てています。それは、例えばECMでアンドラーシュ・シフの弾くベートーヴェンのピアノソナタを、残響を生かした哲学的な音と思うか、もったいぶった間を入れた停滞した音楽と思うかでもあります。
 
私は正直言ってジャレットやシフへの見方は厳しくなってしまうのですが、別のECM作品は堪え様もなく好きだったりする。それはつまり、アイヒャーの静寂への感性は好きで、それが出てくるミュージシャンによっては、波長がずれることがあるということなのでしょう。
 
これだけ多くの作品があるから、仮に一つが合わなくても、別の作品に嵌ることはあり得ます。是非、その極限まで磨き上げられた美しい静寂の音楽の海に飛び込んでいただければ。そのどこかに、人それぞれ必要としている響きがあるように思えるのです。




最後に、私が好きなECM作品を5つ挙げたいと思います。ジャズ系ではなく、ワールド・ミュージック、クラシカル系です。
 
 
ヤン・ガルバレク/ヒリヤード・アンサンブル『オフィチウム』

 
グレゴリオ聖歌の合唱に、抑制されたサクソフォンを溶かし込むという驚愕の発想の大ヒット作。
 
ガルバレクのサックス音が大きすぎるように感じたら、そのサックスの最高音に合わせ、合唱の言葉が分からなくなるギリギリまで音量を下げていただければ。

すると、塊のように響くヒリヤードアンサンブルの合唱の霧の中から、澄んだソノリテの音が柔らかく響いてきます。新しい神秘の響きと言いたくなる、類稀な音楽です。




エレニ・カラインドルー『永遠と一日』
 


ギリシャのテオ・アンゲロプロスの映画音楽を手掛けていたカラインドルー。その中でも、最もメランコリックで、色彩豊かで、ある種の軽やかさもある作品。ロードムービーなので、夜の電車やバスの中で聞くと、その哀愁が身体に染み渡ります。




アヌアル・ブラヒム『サハールの旅』


チュニジアのウード奏者による、ピアノとアコーディオンとのトリオ作品。まろやかなアラブのエキゾチックな香りの中、気怠く暑い風の音が響いてくるかのようです。
 
 



パウル・ギーガー『アルス・モリエンディ』

 
興味深い作品はあれど、割と地味な前衛音楽家だったギーガーが大化けした作品。とてつもなく重い響きの自作曲に、バッハのコラールのアレンジが挟まり、闇の中で異形の怪物の呻きと妖精の溜息が交錯するような、強烈な音楽となりました。




ブルーノ・ガンツ『ヘルダーリン』

 
ただのジャズレーベルでは、絶対出せないであろう作品。ドイツの狂気の天才詩人ヘルダーリンの詩を『ベルリン・天使の詩』で有名な俳優ガンツが柔らかい声で次々に朗読して、間に異様な響きの音楽がBGM的に数秒挟まるだけです。
 
そして、最後には、強制収容所を題材にした『死のフーガ』で知られる詩人パウル・ツェラン本人の朗読音源が出てきます。ヘルダーリンとツェランの詩はどちらも沈黙と光に満ち、アイヒャーの音楽の根幹にある美を定義しているようにも感じます。ジャンルを超えた美しい作品です。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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