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霧の中で口ずさむ -デヴィッド・シルヴィアンの音楽の美しさ

 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
ポップ・ソングの、ボーカル抜きのインスト・ヴァージョンというか、カラオケを聞いていると、今まで曲に抱いていた印象が変わって驚くことがあります。
 
デヴィッド・シルヴィアンの音楽は、そんなボーカルとインストの関係が大変面白い音楽です。
 
彼の作品を聞いていると、人の声の強さを改めて感じると同時に、歌というものが実は特異な音楽なのではという気にもなってくる。そんな、なかなか得難い存在です。




デヴィッド・シルヴィアンは、1958年イギリス生まれ。1974年に、実弟のスティーヴ・ジャンセンや、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、ロブ・ディーンらとバンド「ジャパン」を結成します。
 

ジャパン
中央がシルヴィアン


麗しい外見のボーカルのシルヴィアンを中心に、日本でアイドル的な人気がありましたが、音楽性は大変高度なバンド。
 
当初は、デヴィッド・ボウイの「ベルリン三部作」に影響を受けたニュー・ウェーヴ・バンドの一つでしたが、段々とねじれたポップ性を発揮し、1981年の傑作『錻力の太鼓』では、オリエンタルなエレポップに、アンビエントな曲も混ざる、摩訶不思議な音楽世界を創りあげていました。
 



1982年にバンドが解散した後、ソロになったシルヴィアンは1984年に『ブリリアント・コーナーズ』を発表。基本的には、ジャパン後期の延長線上の音楽と言っていいでしょう。しかしそこからどんどん音数が減って、研ぎ澄まされた音楽になっていきます。
 
1987年の『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』はその頂点のような作品。坂本龍一をアレンジャーに迎え、ここではチープな電子音がほぼなくなり、生楽器主体で澄んだストリングスの中を、シルヴィアンの深いバリトンの声がうねるように、呟くように進んでいきます。
 



音数が極端に抑えられ、アップテンポのビートが利いた曲もない。それでいてしなやかで、凍りついた聖歌がじんわり溶けだすかのような感触。審美的なモノクロのジャケットがイメージするような幻が立ち上がります。
 

『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』
ジャケット


坂本龍一のアレンジも、モノトーンに抑えられつつ、決して単調でなく、潤いのある透明な音色を感じさせます。太古にあった異国の情景が浮かび上がるような美しい作品。坂本が携わった作品の中で、個人的には一番好きなアルバムです。




それから佳作『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』等を経て、長年所属したヴァージン・レコードから、シルヴィアンの個人レーベル、サマディサウンドに移り、インディーズとして2003年、アルバム『ブレミッシュ』を発表します。
 
これこそ、シルヴィアンの作品の中でも、一二を争う、驚愕の美しさを持つ作品でしょう。音数は極端に抑えられ、柔らかい電子音がぼんやりと浮かぶ中、彼のダークでスローな歌が漂ってきます。
 
とりわけ三曲ある、アヴァンギャルド・ジャズのデレク・ベイリーとのコラボは、衝撃的です。
 
ベイリーは、いわゆるフリー・ジャズのギタリストで、アコギを乱れ引きし、無調というか、殆どウェーベルンの十二音技法音楽のような、緊張感と不協和音と透明感に満ちた音楽を作る人。
 
そんなベイリーが、いつもの彼の作品のように、破調の美をアコギ一本で奏でるその上に、シルヴィアンの歌が乗る。それも、一聴して殆どベイリーの音と関係ない、ゆったりとした深いメロディを持っているのです。
 
表面上は背景音楽を無視しているようだけど、どこか深いところで共鳴し合っているようにも感じる。その微妙な距離感が、揺らぎを生み出し、異様な美を生み出しています。



ソロ時代のシルヴィアン


そう考えると、シルヴィアンの歌というのは元々、背景の音楽からある意味自立した強いメロディを持っているように思えます。
 
例えば、ヒットシングル『禁じられた色彩』は、坂本龍一の映画音楽『戦場のメリークリスマス』のテーマに、シルヴィアンが詞をつけて歌ったもの。



 
しかし、あの印象的なテーマをなぞることは殆どなく、対位法的に元のメロディに絡まるかのように歌われます。
 
サラ・ヴォーンの『ラヴァーズ・コンチェルト』しかり、クラシックの曲をポップス的に歌詞を付けて歌う時、大抵キャッチーなメロディに、そのまま歌詞を付けて歌います。
 
しかし、シルヴィアンの歌は、その背景音楽のメロディから離れて溶け込まず、それでいてコード進行等、雰囲気と空気感を拒絶しない感触があります。
 
そんな彼の特性により『ブレミッシュ』では、電子音とアコギが交錯した、霧のようにけぶる静寂のサウンドの中から、深いエコーと伴に口ずさまれる歌が響いてくるのです。

そういえば彼は、浦沢直樹原作のアニメ『Monster』のエンディングも担当していましたが、そこでも蓜島邦明のサントラ風の電子音と合唱の中を、たゆたうように歌っていました。





2009年には、アルバム『マナフォン』を発表。こちらはベイリーほどの強烈なコラボはないものの、大友良英やクリスチャン・フェネスといった、前衛・エレクトロニカのアーティストが参加し、心地よい薄いノイズや電子音が響く中で、やはり暗い歌がうねるように響きます。
 



バンド時代からは想像できない場所に到達してしまいましたが、元ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカー、元トーク・トークのマーク・ホリス等、初期のアイドルバンド時代とかけ離れた、アバンギャルドな音楽をソロ活動で創るアーティストがいるのは、面白いところ。
 
シルヴィアンを含めた三者の共通点は、電子音を生楽器と同様にしなやかに扱えること、静寂への嗜好があること。そして、自身の声をビートを刻まずにスローに響かせる歌を持っていることです。
 
まるで、歌が表面的なリズムを失って溶けだして、背景音と一緒に、ノイズと静寂の中に消えていくような響きがあるのです。
 
私たちがごく自然に聞いている歌というものは、そうしたドロドロに溶けた音響の中からリズムと意志をもって立ち上がる、自然界からかけ離れた、風変わりな音楽なのかもしれません。




シルヴィアンは、2010年代以降は、ベストアルバムやコンピレーションアルバムはあるものの、以前ほど活発な活動はしていないようです。
 
しかし『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』、『ブレミッシュ』、『マナフォン』の名作を残しただけでも、その素晴らしさは決して変わることがないように思えます。
 
『マナフォン』のジャケットは、一見すると森の中の鹿を捉えた写真です。しかし、よく見ると、これは木々のコラージュで出来た「森」です。
 

 『マナフォン』ジャケット


それは、まさに歌や音響を様々に交錯させて、異界の響きを創りあげたシルヴィアンの音楽を象徴しているように思えます。是非、その美の世界を堪能していただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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