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光と影のレリーフ -レンブラントの美しさについて


 
 【月曜日は絵画の日】
 

巨匠の晩年というのは、不思議な感触があります。
 
時間がそれ程残されていないのを自覚しつつ、簡素で、それでいて長年の経験がにじんだ、味わい深さともまた別の表現になる。
 
オランダの画家レンブラントの晩年の絵画も、またそんな不思議さに満ちています。




レンブラント・ファン・レインは1606年、オランダのライデン生まれ。

大変頭が良く、ライデン大学で法学を学んで、法律家になるのを期待されるも、本人は画家の道を目指します。

 

34歳の自画像
ロンドンナショナルギャラリー蔵



20歳にならないうちに、工房を出て独り立ちし、旺盛に製作を始めます。『テュルプ博士の解剖学講義』で高く評価され、集団肖像画を始めとして注文が殺到、神話画、エッチングを含めたあらゆるジャンルを手掛けます。
 
しかし、子供を次々に失くし、1642年に、『夜警』を完成させるも、同年、妻のサスキアが亡くなります。
 
そして、絵画の題材になるとはいえ、美術品を買いあさる浪費癖と、投機による失敗もあり、破産しています。
 
もっとも、晩年まで旺盛な制作意欲は変わらず。工房によって多くの弟子と、大量の油彩画、版画を遺し、1669年、63歳で亡くなっています。




若い頃のレンブラントの絵画は、見事な構図と端正な色彩の饗宴です。
 
『テュルプ博士の解剖学講義』は、集団の構図として大胆かつ大変美しく、俯瞰気味の視点と、人物が連なる楕円形の位置のバランスが絶妙です。従来の集団画とは違うものを創る、この絵で驚かせたい、という野心も見え隠れします。

『テュルプ博士の解剖学講義』
マウリッツハイス美術館蔵


 
実際『夜警』の美しい構図、真ん中の人物に焦点を当て、バランスの取れた構図にしている等、描かれた当時は(特に奥の人の顔が分かりづらく)不評だった作品でも、後々その価値が認められる等、安定した実力の持ち主でもあります。
 
そして、光と影の素晴らしい効果。闇の中から、一つの光源からの柔らかい光によって仄白く浮かび上がる人物像は、同時代のルーベンスと比べて、抑えられた色彩による敬虔さと静謐さに満ちています。


『夜警』
アムステルダム国立美術館蔵




しかし、レンブラントは、オランダ絵画の流れとしてみると、実は、結構異端な存在なように見えます。
 
オランダ絵画と言えば、何といってもその精緻な静物画、そして日常を描く風俗画。
 
オランダ(ネーデルランド連邦共和国)は、1648年の八十年戦争終結以降、黄金時代に突入していました。
 
スピノザやライプニッツといった哲学にもある、その合理的な精神と自由な気質により、交易が盛んになり、イギリスが台頭するまでヨーロッパをリードしています。
 
商人気質の豊かになった市民たちが家に飾るために、裸の神々が出る神話絵ではなく、自分の身の回りの静物や、長閑な風景、日常の光景の絵が好んで取引されます。
 
勿論時代によってかなり異なりますが、オランダ絵画には、フェルメールやフランス・ハルス等、比較的物語色の強い画家でも、クールな質感で、ウォームな日常を捉えていく感覚があります。

それは、19世紀のゴッホにまで受け継がれていく資質と言えるかもしれません。


ファン・ロイスダール
『漂白場のあるハールレムの風景』
マウリッツハイス美術館蔵


しかし、レンブラントは神話の場面を多く描き、風景画もほぼなく、静物画は一つも残っていません。場面の情景は非常に感傷的で、言ってみれば古臭い。

実はオランダの新時代の勢いに最後まで乗れなかった人な気がします。

 

『売春宿の放蕩息子』
ドレスデン美術館蔵
左は最初の妻のサスキア、
右はレンブラント自身と言われている


しかし、肖像画が得意なことや、エッチングや素描等が多く、オランダを超え普遍的なヨーロッパの巨匠と認知されたのは幸いでした。
 
多作であること、同時代には古臭いと思われていた形式を活用して、普遍的な美を生み出したということ。

そういう意味では、古臭いフーガをバロック時代に応用して、宗教曲をアップデートしたバッハ、あるいは、古いフォークやブルース、アメリカーナの質感を積極的に取り入れて独自のフォーク・ロックを創ったボブ・ディランと同じタイプのように思えます。


版画『病人を癒すキリスト』
アムステルダム歴史博物館蔵




興味深いのは、彼が晩年になるに従って、段々とそのフォルムが崩れていくことです。
 
どこか引っ掻いたような線と、分厚く塗られた質感。そして更に薄暗くなった画面。
 
『ユダヤの花嫁』や、『放蕩息子の帰還』といった傑作では、若い頃の流麗さは消え、ただ静謐な琥珀色の光が画面を満たす。くすんだ光の中から、太古の彫像のレリーフのように、人物が浮かび上がります。

 

『ユダヤの花嫁』
アムステルダム国立美術館蔵


なぜこのような効果になったのか。もしかすると、若い頃から影と光の交錯を描き続けたその果ての境地だったのかもしれません。
 
ぼんやりとした光に照らされ、人がうっすらと浮かび上がる時に、ある種のノスタルジアと神秘が現れる。
 
その効果は、『夜警』等の油彩画だけでなく、殆ど人が判別できるぎりぎりまで暗い画面で縁取られた版画でも、追及されてきたものでした。




自分はもう新しい時代の流行に合わせるなんてできない。風景や、象徴を込めただけの物体の絵なんて描きたくない。
 
ただ、この光と影が織り成して人間を輝かせること、その単純だけど深遠な美しさだけを追求したい。
 
年齢を重ね、細部を書き込む余力はなくなった代わりに、簡素な筆で最大限の効果を出せる匠の技を身に付け、かつて何度もキャンバスに刻み付けた影と光が溶け合い、その中から、愛、悔恨といった普遍的な感情が浮かび上がる。
 
一見薄汚れているように見えつつ、アルカイックな明晰さもあるその画面は、古代の素朴で理想的な芸術に近づいた、驚くべき近代芸術の一つと言えるでしょう。


『放蕩息子の帰還』
エルミタージュ美術館蔵



レンブラントは、非常に精力的で、破産するくらいには強欲な人間でもあったはずです。そして、そんな人間であるがゆえに、光と影の効果を生涯追求し続け、最後に静謐な境地に至ることができた。


『自画像』
ロンドン・ケンウッドハウス蔵
59歳頃の肖像画


 
人は変化する生き物です。変化とは、過去の積み重ねと偶然があり、それらが融合してある種の必然となって出来上がるものなのでしょう。
 
そうした人間くさい過程を経るからこそ、本当に人間にとって重要な普遍性だけが残る、至高の芸術となる。レンブラントの絵画は、そんなことも現代に伝えているように思えるのです。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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