夜風の甘いささやき -マックスウェルの音楽の魅惑
【金曜日は音楽の日】
夜には様々な表情があります。
R&B歌手マックスウェルの音楽は、柔らかい響きのバックトラックや、美しく何層にも折り重なった中性的なコーラスが夜風のようにそよいで、真夜中の甘美な雰囲気を創りあげる、そんな極上の音楽です。90年代にデビューしたミュージシャンの中でも、私の最愛の一人です。
マックスウェルは、1973年ニューヨーク生まれ。非常に内気な子で、母親は息子がPVで女性といちゃついている姿を見て、信じられなかったと言っています。マックスウェル自身、好きな女の子に、高校のプロム(卒業パーティー)に一緒に行くのを誘えなかった、みたいな記事を読んだ記憶があります。
17歳で作曲を始め、300曲以上を作り、地元の小さなクラブで演奏して評判になります。大手のコロンビアと契約して1996年、アルバム『アーバン・ハング・スイート』でデビューします。
統一された音色で、キャッチーな名曲が満載のこの名盤。全編スローなバラードを主軸に、澄んだファルセットと、優しく包むような地声が混ざって囁かれる。夜の溜息のような濃密な美しさです。
私が好きな曲は『リユニオン』。しどけなく響く前奏から、愛した女性との再会の哀感が滲み出て、サビではどこまでも伸びるファルセットとコーラスが綴れ織りになる。
気怠い真夜中の都会の、青いネオンの光と、生温い夜風に包まれているような名演です。
『アーバン・ハング・スイート』は、音楽的には、70年代のメロウな都会的(アーバン)ソウルやR&Bを再解釈したものと言えるでしょう。
スモーキー・ロビンソンの『クワイエット・ストーム』やマーヴィン・ゲイ『アイ・ウォント・ユー』、この名作の音楽的な監督を務めたリオン・ウェアの諸作等。実際、リオンも曲作りに一部参加しています。
ただ個人的には、名盤と思いつつも、それらの微妙にチープな薄いシンセの音響があまり好みに合わず、聞き返すことはあまりなかったりします。
『アーバン・ハング・スイート』は90年代半ばでプロダクションも進化し、打ち込みやエレピ等もよりふくよかな響きとなりました。
そして、スモーキーやマーヴィンのファルセットが、男っぽい色気を内包しているのに対し、マックスウェルには、どこか少年のような無垢さがあります。
そんな無垢さと、極上の柔らかい音響、優しく囁く愛の呼びかけが溶け合って、ずっと包まれていたくなるような、鮮やかな夢の絵巻を作っているのです。
セカンド・アルバム『エンブリヤ』は、よりアグレッシブな明るい響きも出てきます。2001年のサード・アルバム『NOW』は、すっきりしたシンプルなプロダクションで、全米1位の大ヒット。
この作品の驚愕は、10曲目の『ディス・ウーマンズ・ワーク』でしょう。
この曲はなんと、イギリスのプログレ歌手、ケイト・ブッシュのカバー。森の中の妖精のようなハイトーンボイスで、演劇的でエキセントリックな曲を歌う、R&Bから最もかけ離れたような人選です。
元々は、ケイトがケヴィン・ベーコン主演の映画『幸せの条件』のために、子供が生まれることへの不安や、女性の神秘への畏敬を吐露する男性の主人公になりきって書いた曲。マックスウェルは、ある日ローティーンの女の子のファンが亡くなったことを知り、彼女のために、この曲をカバーしたとのこと。
ケイトの原曲と聴き比べると、メロディを殆ど崩さず、テンポやバックのニュアンス、スキャットのタイミングに至るまで、かなり忠実になぞっているのが分かります。
ただ、ケイトの硬質なピアノではなく、前奏をハープに、そしてチェロを主体に変えたことで優しい響きとなり、そこにお馴染みの多重ファルセットが乗って寄せては返す、完璧なマックスウェルの音楽になりました。じわじわと盛り上がっていく様は、ゴスペルのような高揚感と敬虔さすら感じさせます。
白人女性のプログレ歌手が、子供を持つことにおののく男性になりきって歌った歌が、黒人男性のR&B歌手が、若くして亡くなった現実の女の子への思いを込めた歌となる。
性差や人種、文化のジャンルの垣根すら超えて、何度もメタモルフォーゼを繰り返す音楽の神秘、あるいは人から人に伝わる想いそのものの神秘や謎すら感じさせる、驚異の名曲であり、名演です。この一曲を残しただけでも、私の中で、マックスウェルは一生心に残るアーティストです。
その後マックスウェルは、やや長い沈黙期間に入り、8年後の2009年にアルバム『BLACKsummers'night』を発表します。
そして、2016年には、『BlackSUMMERS'night』を発表。そう、タイトル名は同じなのですが、「ブラック」「夏」と強調する部分を変えています。次は勿論『Blacksummers'NIGHT』で完結する予定とのこと。
音楽的にはどちらも素晴らしい秀作ですが、マックスウェルは時折こういう、音楽とはあまり関係ない妙な小ネタを仕込みます。
『アーバン・ハング・スイート』のCDでは、表ジャケットにバーコードを入れて、まるで裏ジャケのようにしたり(裏ジャケは彼の写真なので余計混乱します)、『NOW』では、CD時代に一曲目を4秒で区切って、別トラックにしたり(流石にサブスクでは繋がっていました)。
天才の気まぐれのように言われることもありますが、私は単に天然ボケな人なんだと思っています。本人は至って大真面目に考えているというか。
そもそも、少女のまま亡くなった子に対して「子供を産むこと」の神秘を讃える歌を捧げるというのは、ちょっとズレている感があるのですが、彼は本気で彼女のことを考え、真摯に誠実に思いを込めているのでしょう。だからこそ、素晴らしい歌唱の名演が生まれたのだと思っています。
そんなマックスウェルも、マイペースに音楽活動を続けているのは嬉しいことです。2001年、2009年、2016年と来たから、そろそろ周期的には?アルバムも届けてくれるはず。
近年の作品では、きらきらと輝くシンセの音色や、塩辛いブルース色も出てきたり。かつての濃密な夜の匂いの代わりに、より立体的で深みのある表情が出てきました。
2024年のシングル『シンプリー・ビューティフル』は、70年代のメンフィスソウルの貴公子、アル・グリーンの名曲のカバー。
歌唱はかなり直接的にアル・グリーンぽく、所々、サム・クックのような力強さもあります。使い込まれた上質な革靴のような、鈍く妖しい輝きも感じることも。
2024年現在51歳ですから、これから歌声自体は衰えることがあっても、歌唱力はどんどん深みとコクが増してくることでしょう。
そして、優しくメロウに囁く夜の音楽性が、色づきながらもその本質が変わっていないのが、何より嬉しい。元々音楽性が強固に固まっているタイプであり、この先新奇な何かを作ることがなくても、より美しく研ぎ澄まされた歌を創ってくれるはずです。
私は、ディアンジェロのように、マッチョな肉体を誇示しつつ、脈打つ太い血のリズムを持ち、社会問題にもリンクする音楽家を尊敬します。でも、軟弱に愛を囁く優男の方が、どちらかというと好きです。
なぜならそこには、しなやかな音楽で偏見の垣根を超えて、誰かに誠実に思いを届け続ける、人間の魂としての優しさと愛があるように思うからです。その愛が、夜風となって包んでくれる心地よさ。マックスウェルを聞く喜びとは、私にとってそういうものです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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