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【創作】ポーの四番目の推理小説【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が注文のあった伝票を基に、棚から本を出していると、誤って何冊か落としてしまった。
それらの本は、床に落ちる寸前、ふわふわと浮かんだのだが、一冊だけ、ぱたんと音を立てて、床に落ちた。
「ああ、ごめん」
「大丈夫だよ。この店にあるものは、傷つけないよう、衝撃を吸収する仕様になっているから」
「でも、これはそういうのが無さそうだ」
「どれどれ」
ノアは光一から、その落ちた薄い冊子を貰うと、しげしげと見つめた。薄いクリーム色のその冊子をぱらぱらめくると、首を傾げる。
カウンターの中から、赤いフレームの鼻眼鏡を取り出してかける。そうして読むとようやく合点が言った顔で笑って言った。
「ああ、エドガー・アラン・ポーの未発表短編だね。これはねえ、値がつけられないから保護仕様がかけられないんだよ」
「非売品ということか」
「そう、ある持ち主に事情があって預かっているものでね。でも面白いものではあるね」
「エドガー・アラン・ポーって、推理小説の元祖と言われている作家だよね。江戸川乱歩がのペンネームの元にするくらい、好きだったっていう」
「そう、そんな作家の、未発表の推理小説だよ」
エドガー・アラン・ポーは1849年、アメリカのボストン生まれ。大学を卒業し、当時はまだ勃興期だったジャーナリズムで生計を立てようと決意している。
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雑誌に様々な短編や詩、評論を発表するも、生活は困窮し、賭博や酒で身を持ち崩していく。1849年に40歳で死去。
しかし、『アナベル・リー』、『大鴉』といった、曖昧で幻想的な詩はフランスの象徴主義詩人たちに深く影響を与える。また、短編も死後早くから評価され、『黒猫』等は芥川龍之介ら、日本の大正時代の作家たちのモチーフとなった。
何より、『モルグ街の殺人』、『マリー・ロジェの謎』、『盗まれた手紙』の三作で探偵オーギュスト・デュパンを登場させ、事件を探偵が解決する「推理小説」というフォーマットを創ったことは、そのジャンルの興隆を含めて、重要な文学的遺産と言える。
「そんな彼が、探偵デュパンを出した四作目の小説がこの『毒入りチェリーの謎』だ。とある理由でお蔵入りになった短編で、彼の死後、デスクの引き出しから見つかって、好事家たちの元を渡った」
「面白そうだ。まさに、幻の短編だね」
「そう、勿論表の世界では流通していない。読んで御覧」
探偵デュパンの親友の青年士官ヘンリーは、戦争で勲章をもらって除隊し、故郷にいる婚約者のヴァージニアの元へ帰還する。純粋無垢なヴァージニアと、彼女を育てている優しい叔母は、ヘンリーを歓迎する。
折しも、ヴァージニアの祖父が亡くなり、莫大な遺産をヴァージニアが相続することとなっていた。旅行中のデュパンも招待された。
ヘンリーの帰郷をお祝いするパーティーでは、ヴァージニアの遺産相続をよく思っていない親戚のウィルソンや、ヴァージニアの親友だが、最近夫が破産したユーラ、怪しげな占い師、マダム・ミレンらが集まってくる。
そんな折、ヴァージニアがテーブルにあったチェリータルトを食べると、血を吐き、その場で亡くなってしまう。それを見たヘンリーは。。。
「ん? これは途中で終わっているの?」
「そう、実は未完の作品なんだ。殺人事件が起こったところで終わってしまう」
「そうかあ、残念だなあ。ここまでは面白かったのに」
「この四作目は、それまでのデュパンものと違って、実際に探偵の目の前で事件が起きる。それまでは、デュパンが、新聞で観たり依頼されたりしていたからね。今ではお馴染みの、このタイプも、ポーは考えていたということだね」
「しかし、どうしてここで途切れてしまったんだろう」
「まあ、様々な理由があるだろう。でも、恐らくは彼の妻に原因があるような気がする」
「妻?」
「そう、彼の従妹で、13歳の時に結婚した幼な妻。名前はヴァージニアだ」
ポーは、20歳で軍隊を除隊した時に、ボルティモアにある、叔母のクレムと、彼女の娘で6歳のヴァージニアに出会っている。
未亡人となって困窮していたクレム叔母をポーは助け、ヴァージニアに慕われることに。雑誌編集や文筆業で苦闘を繰り広げていたポーにとっては、憩いの場所だった。叔母の反対を何とか押し切って、ポーは26歳、ヴァージニアが13歳の時に結婚する。勿論ヴァージニアは年齢を偽っていた。
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結婚後のヴァージニアは、同時代の人からも、「天使のような美しさ」と呼ばれる女性だったが、肺病に冒されていく。
「彼の伝記に、こんなエピソードがある。ある時、ポーは桜の木に登って、さくらんぼをとっていた。ヴァージニアは下で、白いエプロンを広げて、その実を受けていた。
しかし、突然、ヴァージニアは吐血して、白いエプロンは真っ赤に染まった。それを見たポーは、ヴァージニアを家の中に連れて行った。
これは、小説の事件、というより、視覚的な意味での原風景と言えるのではないかな」
「なるほど。しかも、妻と全く同じ名前で、設定も現実と似ているね。でも、彼はどうしてわざわざそんな設定にしたんだろう。ひょっとすると、心の奥底で、妻に対して、ある種の殺意を持っていたのかな」
「いいや、それは考えにくい。色々な証言を見ても、ポーはヴァージニアを愛していたし、1847年に、闘病の末にヴァージニアが24歳で亡くなると、ポーは飲酒が増え、傍から見ても異常な状態になる。二年後に亡くなっているよ」
「なら、どうして?」
「寧ろそのことが原因のように思える。なぜなら、この作品はヴァージニアが亡くなる直前に書かれたものだからだ」
ノアは指を組み合わせ、思案気に語った。
「ちょっと想像してみよう。ポーは、いつも締め切りに追われていた。で、何とか話を捻りだそうと、前に手掛けた「デュパンもの」の続編を思いつく。とはいえ、看病に追われ、ストーリーが思いつかない。
ようやく、殺人事件にデュパンが立ち会うことを思いつく。夢中で一気に書いたものの、ふと読み直すと、あまりにも、現実に似すぎている。不吉過ぎて、デスクに仕舞う。
そして、ヴァージニアは、ベッドの上で安らかに息を引き取る。彼が書いた小説の中では、誰かに殺され、現実では病に冒されて、ヴァージニアは死ぬ。
いや、本当にそれは病だろうか。もしかしたら、現実のヴァージニアは、誰かに殺されたんじゃないだろうか。もし、自分と結婚しなかったら、ヴァージニアは、もっと楽な生活をして、治療もできたのでは?」
「想像が止まらなくなるんだね」
「そう、そうしたとき、小説の中で、本当の犯人なんて描く必要があるだろうか。それで、この作品の犯人まで書く必要を感じなくなってしまったのではないか。まあ、妄想だけど、やはり現実との一致は不吉なものがあったんだろうね」
「でもそう考えると、そもそもどうして彼はわざわざ現実のような設定にしたのだろう」
「まずは、余裕がなかったことが考えられる。それ以外にも、もっと言えば、自分の中の恐怖を形にするという欲望があったのかもね。犯人が、ぺらぺらと、警察の前で、嘘の証言を饒舌に語るようなものだ。そう、それは、『黒猫』のストーリーそのまま。
つまり、ストーリーを書くとは、自分の現実に起こったことの、証言でもあって、その中で自分が犯人であると告白するものでもあるのかもしれないね」
「僕たちもそんなストーリーを生きているんだろうか」
ノアは、その言葉を聞くと、ふっと笑った。
「そう、生きること、この世にいることは、あらゆるストーリーを生きることだからね。私たちは、現実や妄想、フィクションとしたあらゆるストーリーを繋ぎ合わされた中を生きて、自分というものを知っていく。だから、この未完の推理小説は、ポー自身の空白になった肖像画と言えるのかもね」
ノアは、そう言うと、ぱっと冊子を手放した。黄色の表紙が、赤くそまっていく。
「間違えて売らないようコーティングしておこう」というノアの言葉を聞きながら、光一は、血を吐いて死んでいった少女たちに思いを馳せていた。
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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