おとぎの国で歌う詩人 -ドノヴァンの音楽の魅惑
【金曜日は音楽の日】
御伽噺というのは、単に幻想的なだけではできません。そこには、ある種の善良さと、倫理も必要になる。
ロック音楽の中で、御伽噺を創りあげることができたアーティストの一人で、私の好きなのはドノヴァンです。60年代に彼が残したアルバムは、今でも驚くほど斬新なおとぎの国の音楽になっています。
ドノヴァン・リーチは1946年、スコットランドのグラスゴー生まれ。学校をドロップアウトして、各地を放浪すると、やがてロンドンのフォーク・クラブでギター1本で自作の曲を歌い、注目を集めます。
テレビショーにも出演し、1965年シングル『キャッチ・ザ・ウィンド』でデビューすると、チャートの4位まで上昇します。
この頃のドノヴァンの音楽は、基本的にはアコギ一本で弾き語りの、フォーク・ミュージックです。そのトップ・リーダーのボブ・ディランが『風に吹かれて』で、「答えは風に吹かれている」と歌ったのに呼応するように、「風を掴め」と答えたわけで、ディランのイミテーション的な扱いも受けたようです。
しかし、初期のアルバムを聞いていると、そこにはとても収まり切れない、変わった資質がすでに出てきています。
シュールでドリーミーな歌詞に、ジャジーでポップな編曲も美しい『サニー・グッジ・ストリート』、ヒットした『カラーズ』は、愛する人を色に喩えて童謡のようにシンプルに歌い上げます。
そして、こうした夢想的な資質は、数々のビート・グループを手掛けたミッキー・モストをプロデューサーに迎えて花開きます。
1966年7月、シングル『サンシャイン・スーパーマン』が全米チャート1位に。その驚きのサウンドで、一気に時代の最先端に躍り出ます。
コンガとシタールにハプシコードが絡み、熱帯の森にいるかのような湿った粘っこいブルース・ロック。そこに、まどろんでいるようなヴェルヴェット・ボイスで、女の子へのファンタジックな思いが綴られます。
その曲が収められたアルバム『サンシャイン・スーパーマン』は、驚くべき一大絵巻です。
ストリングと重たいギターサウンドが交錯する、サイケデリックな音像の中、王妃グィネヴィア(アーサー王伝説に出てくる王妃)や、大気の妖精シレスト等、ここではない場所のファンタジーに染まった、真夏の白昼夢のような美しさです。
今ならシンセ的なエフェクターで何とかなりそうなところを、エレキギターやベースに、アコースティックな楽器をひたすら重ねることで成り立っているサイケ像です。現在聞いても斬新で、他に何も似ていない、おとぎの国のロックになっています。
ちなみに、『サンシャイン・スーパーマン』で編曲をしたのは、ジョン・ポール・ジョーンズ。そして、重たく、痙攣するようなギターは、ジミー・ペイジ。
そして、その後シングル『ハーディー・ガーディー・マン』では、2人に加えて、ドラムにジョン・ボーナムが参加。つまり、レッド・ツェッペリンの4人のうち3人がサウンドを創りあげているわけです。
プレ・ツェッペリンのような音像の感触もあり、名曲『魔女の季節』や、『ハーディー・ガーディー・マン』の、ダウナーで重たいサウンドは、ツェッペリンにも通じるものでしょう。
ドノヴァンはその後順調に音楽活動を続けていきます。
『メロー・イエロー』や『ハーディー・ガーディー・マン』のシングルは、全米トップ10に入り、『夢の花園より』という、ファンタジックな二枚組大作アルバムもリリースしています。68年にはビートルズのインド旅行に同行。
暇を持て余した一行のために、アコギのフィンガーピッキングを教えたりしています。ドノヴァンのピッキングの腕前はとても達者で、美しいそのオブリガードを聞くのも、彼の音楽の楽しみの一つです。
69年には、アルバム『バラバジャガ』を発表。あからさまなヒッピーイズムは後退し、ポップソング風味は熟しました。
アコギを背景に輪唱が美しい『ハピネス・ランズ』や、朗読から『ヘイ・ジュード』的なドラマチックなサビに移る『アトランティス』など楽曲は粒ぞろいで、私はこのアルバムが一番好きです。
ここで、プロデューサーのモストらがいるパイレコードとの契約が終了。
そして、一気にスターダムから降りることになります。
1971年の『H.M.S. ドノヴァン』は、イェイツら詩人の児童向けの詩に曲をつけて歌唱する、アコースティックな大傑作なのですが、全く売れず。
その後も色々と試行錯誤してアルバムを出すものの、話題にすらなっていません。各種配信を見ると、近年も時折アルバムを発表していますが、正直言って出来はかなり厳しいです。
スキャンダル無しで、ここまでスターダムから落ちてしまったアーティストは、結構珍しいように思えます。
レーベルを変えたことは大きかったものの、根本的には、彼の感性が時代とずれてしまったことが大きいのでしょう。
そう思って60年代の彼の曲の歌詞を見ると、その「夢想」というのが、「夢の少女」に結びついていて、「彼女」のことを思うことでほぼ成り立っていることに気づきます。
その夢のような存在は、子供のように無垢なものであり、それゆえに『H.M.S. ドノヴァン』のような傑作も創れるのでしょう。しかし、激動の60年代を終え、ヒッピーイズムの限界と挫折を味わった人々からすれば、あまりに夢想的すぎました。
デヴィッド・ボウイは、ドノヴァンのことを「レコード業界で会った中で、もっともいい人」と証言していますが、まさに「いい人過ぎる」面が、彼自身の首を絞めてしまったような気もします。
そのボウイやT-REXのマーク・ボランの初期作品は、かなりフォーキーな、それこそヒッピーイズムにまみれた、ビザールで幻想的な音楽の側面があります。
そんな彼らは、70年代を迎えると、一気に電化して、エレクトリックなブギをまとい、煌びやかで刹那的な幻想を歌うグラム・ロックとして大ヒットを飛ばします。
ドノヴァンもこの方向で再生できなかったのだろうかと思いますが、ショービズ界を冷徹に泳ぎきることが出来たボウイやボランと違い、ドノヴァンは、根本的に放浪の吟遊詩人だったのでしょう。
そんなドノヴァンですが、60年代のアルバムは、どれも口ずさみやすい佳曲揃いです。特に、フォークロック期の『サンシャイン・スーパーマン』、『ハーディー・ガーディー・マン』、『バラバジャガ』辺りのアルバムは、今聞いても新鮮なアレンジが施された作品集になって、お薦めです。
また、彼は、まどろむような、人懐こい声質で、良く伸びる柔らかい歌声で、クルーナーとしても一流だと思っています。
私は10代の頃、周りに誰も聞く人がいない中で、彼の音楽を聴き続けていましたが、それは、真に本物の「逃避」の音楽だったように思えます。強烈なまでの夢想は、また、時代の人々の願望と混ざって、鮮やかな花を咲かせていたのでしょう。
これから一作ぐらい、アコギ一本で、仙人のように枯れ切った、どす黒くも幽玄な音楽を残してほしいとも思いますが、彼自身の無垢な夢想が本物であった分、それを変えることもおそらく難しいのでしょう。
その驚異的な音楽は、今でも時代を超えて、誰かに発見されるのを待ち続けているように思えます。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
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善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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