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一人の歌をみんなの歌に -ベル・アンド・セバスチャンの音楽の魅力


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
私たちが何かを創る時、多くの人に届けたいという思いがどこかにあるのだと思っています。
 
90年代にスコットランドのインディーズバンドとしてデビューしたベル・アンド・セバスチャンは、インディーズの立場から、個人的な思いを載せた歌を「人に届ける」ために愚直に創り続けて、多くの人に受け入れられたバンドです。


近年のベル・アンド・セバスチャン
右端がスチュワート・マードック


ベル・アンド・セバスチャン通称ベルセバは1996年、スチュアート・マードックとスチュアート・デイヴィッドが中心となって、スコットランドのグラスゴーで結成されたグループ。バンド名は、犬と少年の友情を描いたフランス映画からとられたとのこと(後に日本公開もされました)。
 
アート系の大学の音楽ビジネスコースで、アルバムの制作のため、二人の地元の友人4人を更に集め、自主製作盤『タイガーミルク』を出します。
 
同じ1996年、インディーレーベルのジープスターからセカンドアルバム『天使のため息』をリリース。スチュアート・マードックの繊細なボーカルとアコースティックな質感のサウンドが光る、好アルバムです。



 
80年代のネオアコの感触を持ち、ザ・スミスのような虚無的な歌詞と、ニック・ドレイクとも比較される、ダウナーな囁きのようなボーカルが目立つフォーク・ロック的な作品でした。




そんな音楽が色づくのが、1998年のサード・アルバム『The Boy with the Arab Strap』。スチュアート・マードックの作詞作曲・ボーカルだけでなく、メンバーのイゾベル・キャンベルがふわふわした囁きのボーカルで曲を提供し、スチュアート・デイヴィッドのクラブサウンド的な音楽性も取り入れます。
 
それでいて全体は、森の中にいるような深くみずみずしいサウンドで、口ずさみやすい曲揃いの名盤。個人的に、いったい何度聞いたのか分からないくらい好きな作品で、青い春のノスタルジアをここまで味合わせてくれる作品は、数少ないのではと思います。




 
ここでスチュアート・デイヴィッドが脱退。4枚目のアルバム『わたしのなかの悪魔』は、クラブサウンドは後退し、ストリングを大胆に取り入れてポップな歌も増えた、こちらも名盤。ついで2002年にはサントラ盤『ストーリー・テリング』を発表しますが、イゾベルが脱退。そしてバンドもレーベルを離れて、転機を迎えることになります。





ここまでは、スチュワート・マードックを中心としたインディー・バンドの雄であり、それでいてアルバムは全英チャートでもトップテンに入る程の支持を受けていました。そして、初期の彼らに欠かせないのがシングルで、必ずシングル曲はアルバムに入らず、裏名曲揃いなのも、ファンにとっては収集欲をそそる存在。
 
しかも、アルバム・シングル共に、単色のノスタルジックなカラー写真に端正な文字が乗る、ザ・スミスのように統一された美しいアートワークのため、彼らの作品だと分かりやすく、やはり集めがいのあるものでした。私も『レイジー・ライン・ペインター・ジェーン』のシングルを持っていました(これは4曲捨て曲無しの素晴らしいシングルです)。





しかし、スチュワート・デイヴィッド、イゾベル・キャンベルと中心メンバーが抜けると、同じインディー・レーベルでもより大きなラフ・トレードに移り、2003年にアルバム『ヤァ!カタストロフィ・ウェイトレス』を発表。
 
ではどう変わったかと言うと、実のところ音楽性にはほとんど変化が見られない、しかも良い曲揃いの好盤になっていました。
 
そこから2,3年に一枚アルバムを出しつつも、2023年の『レイト・ディベロッパー』まで、その質感はどのアルバムもほとんど変わらない、良質なインディーロック的な、ポップソング集となっているのです。





スチュワートの音楽性は、80年代からより60年代的なメロディアスなものになりつつも、身の回りの思いを描く個人的な歌詞は変わらず。初期からずっと支えているリチャード・コルバーンのしなやかで力強いドラムの律動も変わらず。そして、妖精のような歌声のイゾベルが担っていた女性コーラスやボーカルは、より素朴な歌が魅力のサラ・マーティンが担っています。

 



これは普通なように見えて、実は結構珍しいタイプのように思えます。実のところ、長いこと活動していれば、音楽性は変化するし、アコースティックな響きが魅力だったのに、突然凡庸なハードロックやダンスサウンドになって、駄目になってしまうバンドや歌手も結構います。それが大手であれば、売れるように「アドバイス」してくる周囲の人も増えてくるわけで。




おそらく、スチュワートには、こういう音楽を続けたいという芯のようなものが、しっかりとあるのだと思います。それは、30年間統一されたアートワークにも見られるように、ある一定のトーンを保っている。
 
と同時に、彼は外部を取り入れることにも積極的です。7人の大所帯バンドで、初期から常に自分の歌声だけでなく、女性のコーラスやボーカルを入れ続けることにこだわる。

『ライト・アバウト・ラブ』では、ノラ・ジョーンズや女優のキャリー・マリガンをゲストボーカルに迎えたりするし、時には映画も製作し(『ゴッド・ヘルプ・ガール』)、2023年には日本の連続テレビ小説『虎に翼』になんとスチュワートがボーカルで参加をしたりして、新しい挑戦をすることに躊躇はしない。

 



だからこそ、彼らは30年間活動を続けてこれたとも言えるのでしょう。変わらないで何かを続けるためには、中心軸はぶらさずに、しかも新しい血を入れ続けることで、マンネリになることを避けることも必要です。続けることは難しいし、ここまですぐれた作品を残し続けてきたのは、それだけで一つの偉大な業績と言えます。





そして、それを可能にしたのは、スチュワートたちが、自分たちのファンやインディーの立場を忘れずに歩んできたからでもあるのでしょう。
 
彼らは旧レーベルを離れた後の2005年、それまでの全てのシングル曲を網羅したアルバム『フルキズ・ソングス』を残しています。こうした、ファンが欲しいと思うものを、ちゃんと出せるような感覚。



 
自分たちのやりたいことと、自分たちが望まれていることをすり合わせてちゃんと着地させ、よい作品を残せるようなバランス感覚は、案外忘れられがちだけど、その分、持ち合わせていると、他とは違う存在になってきます。
 
そうして、初期はスチュワート一人の孤独な呟きだったものが、彩りを得て膨らみ、数々のポップソングとなり、多くの人々が口ずさむ、みんなの歌になれた。
 
何かを続けて、それを受け入れてくれる人たちがいることは幸せなことだし、そんな活動を彼らが続けているのは本当に嬉しいことです。
 
そんな幸福なバンドの一つが、ベル・アンド・セバスチャンであり、創作を続ける際の活動のヒントになるバンドでもあるように思えるのです。
 



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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