太古の鮮やかな森で -ラファエル前派の絵画の美しさ
【月曜日は絵画の日】
私たちはこの今の場所だけで生きているわけではない。遠くを夢見る力というのは、様々な作品や私たち自身に力を与えます。
イギリスのラファエル前派は、近代社会の中で、遠い中世を夢見つつ、現実にも対応した、力強い絵画を生み出しました。今日は、ラファエル前派の画家、そしてそれに影響を受けた画家の作品について、私が好きなものを挙げていきたいと思います。
ラファエル前派は、1848年、イギリスのロイヤル・アカデミーで出会った画家のエヴァレット・ミレイ、ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントら7人の若者が「ラファエル前派兄弟団」を結成したことで始まります。
旧態依然としたアカデミーの方針に反発し、「ラファエロ以前」の、中世美術や題材への嗜好を持って、当時の美の規範に挑みました。とりわけ重要だったのが、彼らにとって年長だった批評家ラスキンの存在。自然の克明な描写を解く彼の理論に沿って、細密描写は彼らのトレードマークとなります。
概して、中世の騎士物語や、或いは現代生活を題材として、鮮やかな色彩と克明な自然描写を特徴とする画風と言えます。とりわけ、華やかさすら感じさせる深い緑は、琥珀色の光に包まれたイタリアやフランスの森と違う、イギリスらしさをもった独自のものと言えるでしょう。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『マリアナ』
ミレイの代表作は『オフィーリア』なわけですが、ラファエル前派期で挙げたいのは、この傑作。
シェイクスピアの『尺には尺を』を基にしたテニスンの詩『マリアナ』のヒロインを描いたもの。原詩では幽閉されて閉塞感に満ちた女性のモノローグでしたが、ここでは、ステンドグラスやローブの質感と色彩の美しさ、秋の空気感が、絵画を見る快楽に繋がっています。
彼がアカデミーの道を選んだことで、ラファエル前派兄弟団自体は、自然消滅していくことに。しかし、彼らの友情は続き、アカデミーから反アカデミーまで、緩い形でかえって影響は広がっていきます。
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
『聖母マリアの少女時代』
ミレイと並ぶラファエル前派の画家、ロセッティは結構迷いますが、この作品は結構偏愛しています。初期というか、彼が初めて完成させた油彩画。
高雅な人物像に、赤と緑のヴィヴィッドな色彩で、初々しく、気力の充実した作品です。11歳でアカデミーの美術学校に入学したミレイに負けず劣らず、17歳で入学したロセッティもまた早熟の天才児でした。
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
『ベア―タ・ベアトリクス』
ロセッティの後期だと、この作品でしょうか。彼にとっての「運命の女」となった妻エリザベス・シダル。早くして亡くなった彼女の思い出に捧げられた作品。彼女の死後、ロセッティは、ウィリアム・モリスの妻、ジェーンに惹かれつつ、転落の道を歩みます。
彼自身の堕落した生活の反映か、細密描写は消え、ふわっとした退廃味が表れています。全体を包む黄昏の光が、彼自身の心情をも告げているかのようです。
ウィリアム・ホルマン・ハント
『良心の目覚め』
ハントは「兄弟団」の主要な一人。この絵は、裕福な男の愛人の女性が、歌で幼年時代を思い出し、愛人生活から抜け出そうと決意した光景。ちょっとあざとい構図ではあるけど、鮮やかな色彩で細部まで良く描き込まれており、彼の代表作と言っていいでしょう。
ちなみにこの女性モデルのアニー・ミラーを、ハントは貧民街から救って自分の妻にしようとしましたが、彼女は最終的に富豪と結婚しました。
アーサー・ヒューズ『四月の恋』
「正式にはラファエル前派ではないけどラファエル前派らしい絵画」の最上のものとして真っ先に挙げたいのがアーサー・ヒューズ。直接兄弟団には参加しなかったものの、明らかに同時代人として、影響を受けています。
特にヴィヴィッドな色遣いは素晴らしい。この『四月の恋』は、菫色のヒロインの衣装が綺麗に映えています。影に男がいて、それを隠そうとする少女の表情に、戸惑いと焦りが感じられるのも、彼の技量の高さを示しています。
フォード・マドックス・ブラウン
『イギリスの見納め』
フォード・マドックス・ブラウンは、ロセッティの親友でもあり、初期のラファエル前派と活動時期が被っています。この絵は、当時のアメリカやオーストラリアへのイギリス移民を描いたもの。希望とは違う、決然とした眼差しが美しい作品です。
エドワード・バーン・ジョーンズ
『薔薇のあずまや』
ロセッティに直接指導されたラファエル前派第二世代の代表がバーン・ジョーンズ。お馴染みの『いばら姫』をモチーフにした作品で、深い緑に包まれたその色彩と、眠る人物たちを捉える構図が美しい。こうした従来の神話画で取り上げない童話や御伽噺を積極的に取り上げたのも、彼らの特徴です。
ジョージ・フレデリック・ワッツ『選択』
ワッツは、ミレイたちより10歳程年長のアカデミー派だったものの、ロセッティのサロンに出入りし、素直に長所を吸収しています。甘美な女性像のポートレートと、鮮やかな色彩の融合は見事。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
『オデュッセウスに杯を差し出すキルケ』
第二世代から更に年下で、長くイタリアで学び、アカデミー派もラファエル前派もバランスよく吸収できたのが、ウォーターハウス。古代や中世の神話等、ラファエル前派的な題材を生涯追い、「モダンなラファエル前派」と呼ばれました。
鏡と盃の質感のうまさ、劇的なポーズの良さ等、彼の美点が凝縮された名作です。
フランク・ガドガン・クーパー
『つれなき美女』
1926年の作品ですが、騎士を死に追いやる美女について書いたキーツの詩に基づく、ラファエル前派の匂いが濃厚な作品。しかし、艶やかなドレスには、同時代のアールデコ風味もあり、モダンさをさらに更新しています。
ラファエル前派兄弟団結成が、1848年だったのは、大変興味深いことです。「諸国民の春」と呼ばれ、フランス、ウィーン等で同時多発的に革命が起きたこの年は、民衆の力が確かなものと認識され、民族運動への道が開けた年でもありました。
そうした若い息吹を背に受けて、イギリス人としての根本的な「自分たちのルーツ」を探りつつ、決して一つの党派に縛られない運動だった故、その長所がさまざまに形を変え、新しい美を次々と生み出していきました。
印象派やキュビズムのように、改革派と守旧派に分かれて対立の末に新しい者が創造される場合も勿論ありますが、ラファエル前派のように、緩やかに浸透する「革命」もある。そんな面白い美術運動なのです。
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