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【創作】紅い鳥と青い鳥【幻影堂書店にて】


※これまでの『幻影堂書店にて』

 
 
 
光一が書店の扉を開けると、ノアがデスクで手紙を書いていた。その横には、ポットのような大きさの、小さなクリスマスツリーが飾ってある。
 
「今日はクリスマスなのかな?」
 
「いや、このお店には時間の流れはないよ。これは今日入荷した本の特典。よくできているね。ここを押すとオルゴールみたいに、『もろびとこぞりて』の音楽も流れる」
 
「本当だ。クリスマスに関係する本?」
 
「ある意味ね。これは、モーリス・メーテルランクが若い頃に書いた短編小説『紅い鳥と青い鳥』だ」
 
「それって、もしかして『青い鳥』の作者の作品?」
 
「その通り」




モーリス・メーテルランクは1862年ベルギー生まれ。法律を学ぶ傍ら作品を書き、大学卒業後はパリに出て、リラダン等当時最新の象徴主義運動の文学者と出会う。
 

モーリス・メーテルランク


ベルギーに戻り、詩集『温室』、戯曲『マレーヌ姫』等を発表。特に後者は象徴詩人のマラルメにも高く評価される。
 
盲人たちによる意味のない会話が続く異様な『群盲』、神秘的な『闖入者』といった謎めいた戯曲を次々に発表し、象徴主義劇の第一人者となる。

1892年の傑作『ペレアスとメリザンド』は、ドビュッシーによるオペラにもなった。最大のヒット作であり児童劇の『青い鳥』は1908年に発表された。1949年に死去。




ノアは、手紙を書く手を止めて手をかざすと、棚から青い本が飛んできて、手に収まった。

「『青い鳥』は、二人の兄妹が、クリスマスの夜に、幸せになれる「青い鳥」を探しに幻想の中を旅するお話だね。

それは円熟期の作品だけど、メーテルランクがまだ学生だった頃に書いた若書きの作品が『紅い鳥と青い鳥』だ。勿論表の世界では流通していない。読んで御覧」




物語はクリスマスの夜。貧乏な学生のクリスと、恋人のフローラは、雪の降る街なかで、ホームレスの老婆に、お金を恵む。すると老婆は「私のいなくなった紅い鳥を探してほしい」と二人に言う。
 
クリスは躊躇うが、心優しいフローラは思わず頷く。すると目の前の風景が変わり、小麦畑が広がる魔法の国にいた。そしてクリスの横からフローラが消えていた。
 
そこに青い鳥が現れ、女王から紅い鳥を探すよう頼まれた人かと尋ねる。青い鳥の言うことを聞いて、紅い鳥を探しに行くクリス。様々な冒険の末に、何羽か鳥を手に入れるものの、鳥は手に入れると雪のように消えてしまう。
 
やがて、疲れ果てたクリスは渓谷の中で微睡む。目を覚ますと、あの雪の降る街の中に立っていた。
 
目の前にはガウンを着たお金持ちの美しい女性が立っている。よく見ていると、老婆に似ているが、明らかに若返っている。

クリスが彼女に、フローラがどこに行ったのか尋ねると、女性は笑って自分の胸を指さし、あの青い鳥の声でクリスに話す。
 
「お前の紅い鳥は、飛んでいったよ」




光一は読み終えると、腕を組んで考え込んだ。

「うーん、残酷童話というか、紅い鳥と青い鳥が何を表すかで色々と意味が変わる感じだね」
 
「そう、それがある種の象徴主義と言える。そして、幸福な関係に何かが侵入してきて、謎のように風景を変えてしまうのは、メーテルランクの文学の特徴でもある。その萌芽が見えるね」
 
「この作品を発表しなかったのも分かる気がする。あまりにも謎めいていて切り詰められすぎているというか。でも、どこかぼんやりと何かの不安を感じさせる作品だね」
 
「そうだね。象徴主義とは、言葉によって言葉に表せないものを表そうとする傾向がある。それゆえに沈黙や意味のない言葉の繰り返しで、言葉以上の雰囲気を醸そうとする。

ここには、クリスマスの夜の、恋人の女性を失うことへのある種の不安と恐怖も透けて見えるね。
 
作家本人もこれを発表しようとしなかった。そして、20年後に、児童向けの童話劇として全面的に作り替えることになる」
 

『青い鳥』のチルチルとミチル


「僕は有名な結末ぐらいしか知らないけど、だいぶマイルドになっているんだろうね」
 
「そう、何かをなくす不安ではなく、子供たちの希望と冒険を求める夢幻劇になった。クリスマスにワクワクする子供たちには、ぴったりだね」
 
「クリスマスでも現実にもがき苦しんで、不安に悩まされる大人たちではなく」
 
「そう。その中で、探す対象が紅い鳥から青い鳥に変わったのは興味深い」
 
「君の瞳のように」




光一は、ノアの顔を見つめた。

彼女の青い右眼と紅い左眼。それは、時折輝いて、渦巻く急流のように、揺らめく火柱のように、そして、羽ばたく鳥の羽のように、美しい文様を露わにしていた。
 
そして、以前『ハムレットの父』を読んだときに出て来た、ノアそっくりの女性の名前、フローレンスを思い出していた。

フローラ、フローレンス。幻想の中に行ったまま戻ることのなかった女性。世界中を旅しても、そこにはいない女性。そんな女性を取り戻すために何をするのか。

大切な人を取り戻すために、オートマタ、機械人形を創造するとしたら?
 
「この、幻影堂書店の主人の名前は、クリス。それが、この時空の狭間の本屋を創った人の名前かな?」
 
ノアは驚いたように光一を見て、それからゆっくりと微笑んだ。青い右眼がらんらんと輝いて、笑みが広がっていく。そして頷くと、あの老婆と同じ、暗い声で、呟いた。
 
「あなたは、一つ一つ、見つけていくね」







(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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