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家系の話

ロボヘビを作って満足した息子と寝室へ。寝かしつけの時間だが、会話をしている。早く寝てほしいが、お祈りと耳かきの前に、話が止まらない。
今日1日の話を振り返る。ヘビのぬいぐるみを買って興奮した息子は、やいのやいのちょっかいを出してきて僕も対抗したら、思わず爪が顎を引っ掻いてしまった。息子は泣いて、我慢我慢と呟きながら2人で家に戻り絆創膏。ごめんねと謝る。痛かった!と言わる。申し訳ないことをした。
息子は寝室でそのことを振り返って「パパがもし悪い人に攻撃されたら、その爪でひっかきなよ。すごい武器だよ!」と言った。僕は申し訳ないやら切ないやらでこう答えた。「パパは剣道をやってたから、竹刀でえぃやぁ!と悪い人を倒せるよ」と答えた。息子は「そうか、侍だもんね。でも竹刀が折れたらその時は爪だよ」とアドバイスした。
健気だなぁ思った・・。大人になったものだ。

名前の由来の話になる。息子は苗字が変わることや、自身の苗字の意味を聞いてきた。
「名前はそのままでも変わらなくても選べるんだよ。パパの苗字は、ずっとずっと前から変わらなかったから、パパもその苗字を受け継いだ」。

そして、我が家系の言い伝えを話だ。日本昔話のように。
「鎌倉時代っていう、お侍さんの昔々の時代があった。パパのずっと前のおじいちゃんたち祖先は、初めは藤原さんって名前だったよ。ある日、その藤原おじいちゃんは、お殿様と一緒に船に乗っていた。空高く鳥が飛んでいて、おじいちゃんは「お殿様、あの鳥を弓で落としてプレゼントいたします」と言った。
おじいちゃんは弓の達人で、キリキリツと弓を引き、ピュッ!っと飛んだ矢は鳥に突き刺さった。
船に落ちた鳥を見て、お殿様はとても感激して、「君とはずっと長い友達でいたい。そうだ、お礼に「長友」という名前を与えよう!」と言った。
それからおじいちゃんは長友になって、それからずっと、名前は受け継がれているんだよ。そして、君にもね。。」

息子はすごく興味をもって、ふーん!と言った。弓のことはマイクラで知っている。そして、長い友達かぁ、と言った。  
今日、こんな話ができるとは思わなかった。物語とは、時と場所を選ぶのかな。

僕がこの話を聞いたのは、小学六年生の時だった。祖母の葬式で、遠くは大阪から親族が集まった。そこに、宮崎大学の歴史学の教授が来ていた。長友の歴史を知って、名前を改名したというのだ。白髪のおじさんだったので僕は子供心に驚いた。従兄弟たちは外で遊んでいて、なぜ子供の僕が、このおじさんたちの集まりに呼ばれてたのかわからなかった。興味があったんだろう。
平家として生き、落ち延びて、大阪や宮崎に移り住んだことを聞いた。まぁ、今になればよくある話かもしれない。宮崎にこの姓は多いが、家系図が残っている家はわずかだろう。それも、盗まれたり火災で焼失したりした。残っているのは神主だった祖父の写がきだけだ。

尽きるところ、「興味のある無し」で、先祖代々の物語も受け継がれるのだろう。興味がなければ、祖先は存在しないのも同じだ。たまに墓参りに行くくらいだろうか。

神主ということもあり、名に誇りを持って生きてきた。しかし両親は離婚し、田舎の実家とも疎遠になった。この姓を残してるのも、僕と従兄弟の2人だけだ。祖父母もなくなり、テンでバラバラだったが、父親の3回忌をきっかけに、また一同集まった。従兄弟たちは仲がいい。父が、当時、荒れていた親族の中で、子供たちを引き連れて山や海に連れて行ってくれた。今でも、おいちゃん、おいちゃんと思い出話がでる。ありがたい話だ。父は負の遺産こそ残さないまでも、体ひとつで亡くなった。それでも、何十年も続く絆の財産を残したのだ。それが家名を継ぐということではないか。

名について、継ごうが継がなかろうがどうでもいい。僕だけが誇りに持ってればいい。そもそも、家系を自慢げに話す人が好きではない。ルーツはルーツ。あとはどうその命のバトンを責任を背負って生きていくかだ。

息子が1歳記念に、スタジオで長い長い家系図と一緒に撮影したことがある。僕が朽ち果てた鳥居の境内から回収したものだ。そのことを覚えてるかい?と息子に言ったら、暗闇で首を振った。明日、見せてあげようと言ったら、頷いて、寝た。

伝承、とは、寝室で行われるかもしれない。それでいいと思った。あとは息子次第だ。

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画家・ペーの日記
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