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足並み揃えて。
包帯を巻くたびに、修験者のようだと思いながら。
骨折を経て。。。
お風呂で思ったことがあります。
ギブスが取れて4日目。
お風呂に入ると、代謝が良くなったことで、足の皮がどんどん剥げていきます。
むくみで硬かった筋肉も、少しずつ解れていきました。
骨折をした左足は、まるで、この2ヶ月近くの、地平線を描くための修行を象徴しているようです。
ギブスをして、一定の状態でじっと耐え、骨がつながるまで、ひたすら回復に努めること。それはまるで、一切の仕事を延期して、ひたすらに内面世界に没頭していたかのよう。
精神的な意味合い。
かたや、右足。
左足の負担を全面に受け入れて、日常をなんとか切り盛りする。負担も多いけど、筋肉隆々になっていく。。
これは、今まで人生を培ってきた経験と知恵で、日々の育児や、オンラインレッスンや、先々の予定を決めて、継続させて行く力。
現実的な意味合い。
それぞれに補い、強化されて行ったような気がします。
骨折した左足は、代謝を上げて、どんどん「脱皮」していく。柔らかくなり、生まれ変わっていく。
右足と、それこそ「足並みを揃えて」歩くころには、どう変わっていくのだろう。
今まで活動してきたことが、より一段と深まって行くような気がします。
ここで気をつけねばいけないのは、せっかく生まれ変わった左足を、今までのような現実的な足にしないこと。
これはとても難しいものがあるでしょう。
この例え、わかりますでしょうか。
ちょっとアンバランスなくらいが、本当の意味でバランスが取れるということなのかもしれません。
それだけ、今回の左足が学んだことを、蔑ろにして、別のことを優先してきたという自省の意味も込めて。
これからなのです。
3月から、また現実的な生活が始まります。
自分自身が、求められている場所があります。
それは、痛いほど有難いものなのだと実感しました。
当たり前のことなどない。
ましてや、必要とされていることなんて、なんと有難いことなのか。
その上で、その方々、その場所に、今回骨折で学んだことを、どう還元していくのか。
同じことをやったとしても、もはや「意味」を感じられない。
芸術とは、常に内面に向き合い、表現していく責務があります。その垣間見た世界を、どう伝えていくか、現実で試されることでしょう。
視覚的には、変わらないかもしれない。
でも、感覚的には大きく変わってしまっている。
その変化を定着させるには、とても2ヶ月ではたりません。
あの千日回峰行を満行された塩沼住職も、「大切なのは山を降りてから」と言われました。
厳しい修行だけでは、本当の学びにはならない。
大切なのは、現実なのです。
そこに、精神をどう表現して行くか。
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新しい世界。
今までと同じものが、変わって見える。
深く見えてくれば、世界はいっぺんする。
それには、勇気が必要です。
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![画家・ペーの日記](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70996446/profile_50e011bab77cdf662162f8f414246aaa.png?width=600&crop=1:1,smart)