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「天路の旅人」感想。千と千尋の神隠しの共通点。

まだまだ考えている

今回は「天路の旅人」における、読後の「消失感」について。
この感覚はなんなのかとずっと考えていて、ふと、気づいた。

ああ、これは「千と千尋の神隠しのラストシーンにおける虚しさに似てるな」と。

千尋は、あれだけの大冒険の旅を、すべて忘れてしまう。人間的成長や優しさ、勇気と機転。それがトンネルを抜けた現代の生活で、すべて忘れた状態からリスタートする。
ハクからもらった髪留めだけがキラリと光るが、本人は気づいてもいない。。これからの憂鬱な転校生活において、千尋はどうなってしまうのか。
バッドエンドじゃないかと当時は落ち込んだ。しかし宮崎駿(確か汗)は言う。「あの髪留めの輝きは、あの時に経験した強さを、ちゃんと兼ね備えているサインなのだ」と。

千尋はこれからの、冷めた両親や、無機質な学校生活や、女性の集団意識や、思春期や、恋や、学歴社会に巻き込まれても、あの世界で獲得した「カオナシを救う心」をどこかで発揮するのかもしれない・・。
でも、到底そうは思えないけど・・笑。

西川一三は、8年の秘境の旅で、それこそ神秘的な体験や修行をし、生きてきた。常人なら100回以上は命を落とすような過酷な旅を、きちんと生きぬいて、自然の本質や、歴史の転換機、仏教やラマ経、さまざまな民族の意識に触れて、この世の縮図を最も底辺の立場で生きてきた。
雪の中でも雨の中でも生きて、ヒマラヤも11回超えてきた。
そんな彼の経験や叡智は、突然の強制送還で終わりを告げる。そして、帰国した日本は、GHQにて別の国に変えられていた。

千尋に似ている。

すべてを失った。あの叡智は、現実ではほとんど通用しない。彼は、その記憶と経験を3000枚以上の原稿用紙に書き留めた。その姿を見た人は、まるで僧侶の修行のようだと言ったという。それはそうだろう。

そうして全て書き終えた時に、本当に叡智が終わった。魔法は消えた。彼はもう、秘境への旅に興味を失った。
彼はまだ生々しく肌身と心で記憶を形にした。千尋はどうだろう。覚えてもいない。。

ある人生がはっきりと終わった時に、人はどう生きるのだろう。
画家だってそうだ。世界に残る大作を残したあと、消えた天才もいる。モネやピカソのように、ある意味ずっと執着した天才もいる。
その執着は、芸術の神の世界、モネで言えば光、ピカソで言えば衝動、そんなものを追い求めてきたからかもしれない。
西川一三には、その執着が消えてしまった。だから、全て終わったのだ。

そして、彼は生き続ける。89歳まで、胡桃の殻のような強固な「普通」の生活を。

それは、幸せだったのか。

秘境の旅の魔法を最大限に生かして、アメリカ大使館で活躍した木村とは違い、彼は、その魔法を忘れてしまった。興味もなくなった。

彼は、「生きること」だけにこだわりつづけた。大切なことは、とてもシンプルだった。全ての魔法は消えて初めて、彼は誰にも得られない真理を得たのかもしれない。

これを仏教的な「手放す」心と言わずして、なんと言うだろう。

彼は代わりに何を手に入れたのか。
家族なのか。仕事なのか。生活なのか。そのどれでもない。
新しいものを手に入れた、ということではないかもしれない。
最初から、西川一三という人間に備わっていた「生きる力」が、さらなる人生に生かされた、というだけなのかもしれない。

最後に、本書と千と千尋の神隠しの共通点を感じたエピソードを。
娘・由起が語った、家族での初めてよ三陸海岸の海水旅行の話。
小さかった由起は、思わず、足が届かないところに出て溺れかけてしまった。その時、父は、まさに風のように走って泳ぎ、由起を助けたという。
ここで読者は、秘境の旅の中で、西川一人でヤクの群れを導き、大河を渡ったエピソードを思い出すだろう。
そう、彼はきっと、頭よりも先に、身体が動いた。そして娘を救ったのだ。彼の深い部分に、その叡智は刻まれて、いざという時には本人も気づかないほどに発揮されていたのだろう。
それを思えば千尋もきっと、強く優しい心で、現代社会を生きていけるんだろうな、、と思えて、ホッとした。

つづく。

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