魅力的な唇
魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
これは、オードリー・ヘップバーンが大層気に入り、
子供達に読み聞かせていたという、サム・レヴェンソンの詩の冒頭です。
ショート動画にも、この話をしましたが、こちらではより深い話で、すすめていきたいと思います。
ちなみに、これと全く同じことを、Youtubeラジオで話しています。聴く、読む、お好きな方でお楽しみください。
ルッキズム、なんて言葉がありますが、美しさってなんでしょう?
一般的に言われる美人の定義って、時代によってコロコロ変わる流行のようなものですが、いわゆる美人、イケメンは、本当の「美」なのでしょうか?
詩の後半を朗読します。(最後に全文掲載してあります)
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
僕もそう思います。
女性の本当の美しさって、若さとか、目鼻立ちがどうとか、
スタイルがどうとか、お肌がどうのではないのです。
これは男女共にですが、内面の美しさが溢れ出ている人が、
美しい人です。
この内面の美しさは、ちょっとした仕草、何気ない所作や立ち振る舞いに現れます。
和の歩法のレッスンで、座り方の指導をしますが、女性が正しく座れるようになると、その座ったり立ったりするという日常の動作が、とても美しく、そして色気があるなぁと、いつも見ていて思います。
そうなんです。色気です。年齢とか関係のない魅力です。
昔の日本人の所作や立ち振る舞いって、とても魅力的で、女性は女性らしい美しさがあり、男性は男性らしい美しさがあります。
ちょっと話を変えて、躾って、今時死語に近いかもしれませんが、
「身が美しい」と書きます。
姿勢とか、お行儀とか、昔の家はとても作法にうるさかったです。
どうしてでしょう?
それは、わかっていたのです。
親は子に「立派な人間」に育って欲しいと思います。良い人間になって欲しいと願います。そのために教育がありますが、そこで作法を兼ねた身体操作を厳しく躾けます。
姿勢や立ち振る舞いなど、動きや姿勢を徹底的に、かつての日本ではシノゴいわず、文字通り、体に叩き込みました。躾けるとは、そういうことです。
身に付く、身につける、という言葉通り、頭で覚えるのではなく、教育とは体に教えることなのです。その立ち振る舞いや所作が、その子の人格や性格になると知っていたからです。
ちなみにこの「躾」という漢字は、日本の漢字で、漢民族の文字ではありません。日本人の古い知恵ですね。
昨今の大きなニュースで、ディズニープラスで配信のドラマ「ショーグン」が、エミー賞だけなく、ゴールデングローブ賞、テレビ部門で作品賞、主演男優賞に真田広之さん、主演女優賞にアンナ・サワイさん、そして、助演男優賞に、僕も昔から大好きな浅野忠信さんも受賞しました。
快挙ですね。以前もエミー賞の後にnoteであれこれ書きましたが、あのドラマは本当に見事でした。
プロデューサーでもある真田広之さんは、細部にわたって徹底的にこだわったといいます。おそらくそこには、動きはかなりこだわっていることが見受けられます。
主演女優賞のアンナ・サワイさんの、和服姿での所作は本当に美しく、洗練されていて、武家の女性としての凛とした力強さを兼ね備えた色気を出していました。そのようなドラマが、名誉ある賞を受賞したということは、日本人にとって大きな誇りであると共に、今こそ、失われた日本人の動きや生活というものを、見直すべき時期なのだと思います。
ここでただ「よかったね」「すごかったね」で終わらせるのではなく、我々はそれを体現していかないとなりません。
何も、江戸時代に戻れっていうことではないです。現代の生活に適応した、現在進行形の日本人の在り方を見直すべき、と言っているのです。
今は、海外の影響を受けすぎて、洗脳状態で、日本の日本たるものが、失われつつあります。今一度、見直したいですね。
もちろん、文化、芸能、建築、芸術、武術、あらゆる日本の美、文化がありますが、そこに「日常所作」という、普通の人たちの、当たり前の動き方や、在り方をアップデートしたいなと思っております。
そして冒頭の話に戻りますが、我々の所作や立ち振る舞いが、結局人格を作るのです。人格が、所作を連れてくるのではありません。行動した結果として、性格とか、人格を作るのです。
そのために、躾です。自分自身を、躾けるのです。
自分が自分の母親になり、父親になり、立ち振る舞いを洗練させていく。
そこには、厳しい観察眼と、優しく見守る力、両方が必要なのです。だから、父親であり、母親なのです。男性性と女性性を使って、自分を磨く。
きっと、これを聞いて(読んで)る人はみんないい歳だと思うので(笑)、誰もあなたを躾けてくれません。だから、自分でやるしかないのです。
何をやっていいのかわからない、という方は、僕の動画も参考にしていただいたり、ぜひ、直接レッスンを受けに、セッションしにいらしてください。
それにしても、オードリーヘップバーン。
「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「麗しのサブリナ」、けっこう映画は見ましたが、「マイ・フェア・レディ」が特に好きで、3回くらい観ていますね。
ちなみに最近は、息子の勧めのアニメ映画をいくつか観たかな。息子に音楽やアニメや、色々と教えてもらうのは楽しいですね。自分にはない若い人の価値観だから、とても貴重です。
最近、アーティストチャンネルにも、ちょいちょい新曲を出していますので、そちらも聴いてみてください。ライブとかは当分やるつもりないですが、こうして自作の音源はアップしていきたいと思います。
最後に、もう一度、冒頭のサム・レヴィンソンの詩を全文朗読します。
「時を越えた美しさの秘密」
魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、何度でも再出発することができます。
誰も決して見捨ててはいけません。
人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるため、もうひとつの手は他者を助けるために。
女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。
女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。
女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
– サム・レヴェンソン
⭐︎ 和の歩法で、本当の自分に出会う。