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故郷

僕には故郷ふるさと がある。

それはつまり「生まれ故郷こきょう」を出て、離れた場所に暮らすからこそ生まれる概念。

僕は生まれた土地を離れて生活することを選択し、おかげで故郷ふるさと ができたというわけだ。

北海道の小樽市が僕の生まれ故郷。20歳の頃に単身東京へ行った。進学でも就職でもない。夢を追って、自分の人生を切り拓こうと、前のめりで飛び出した。

里帰りをするようになったのは、結婚して子供が産まれてから。(それまでは多分2回しか戻ってない)

以来、北海道へ行かない年はない。

両親は2019年と、2020年に立て続けに亡くなり、故郷との“社会的”関わりや、関わる理由はなくなったと言っても過言ではないけど、それでも毎年、旅がてら、自分のイベントも兼ねて行っている。

しかし、いつも冬を避けていた。その理由は「雪」だ。

そもそも「雪の暮らし」が好きでなかった、というのがある。毎日の雪かきが面倒だった。そして、冬場は車の運転も怖いし、飛行機も吹雪で欠航するリスクもある。

だからいつも雪のない季節に行っていた。

しかし先日、この真冬に北海道の故郷へ行ってきた。

小樽港
有名な小樽運河。地元の人は行かないんだけどね(笑)
中国人や韓国人の観光客がたくさんいた。

ちょうど、前日にニュースになるくらい小樽は大雪だったそうな。だから僕が着いた街は降ったばかりの真っ白な雪に覆われ、車道や道々の脇には、除雪されて高く積み上げられた雪がこんもりと連なっていた。

(ああ、これだよ、これこれ!)

まさしく、僕が思い描く通りの冬の景色。見慣れた光景だった。

除雪車の入れない路地などは、たいていこんな感じ。
小樽駅
ランチには、やはり「寿司」でしょ。
ソウルフード「ジンギスカン」

ただ、この日の前日は、ニュースになるくらい「大雪」だったのとのことで、この雪は一度にドカッと降ったらしい。観光客には嬉しいけど、ここで「生活」があるというのは、なかなか大変なことだ。うん、それをよく知ってる。毎日の雪かき。屋根の雪下ろし。北国の男はずいぶんそれで鍛えられる。


北海道を出てからの時間の方が、北海道で暮らしていた年数よりもすっかり長くなった。それなのに、例えば「りんごは何色?」と尋ねられた瞬間に、誰もが「赤」と連想したり、「8時だよ!」と言われた瞬間に、多くの(40代半ば以降の)日本国民が「全員集合!」と思い浮かべてしまうように、僕にとって「冬」というだけで、それは「雪」であり雪景色だった。

だから東京の冬はもちろん、気温こそ冬場はマイナス10度を下回ることもあった八ヶ岳山麓での暮らしも、雪はほとんど降らない地域だったので、いつも自分の中でピントのずれた感覚が起こる。クリスマスも、年越しも、1月2月の真冬も、雪がないというだけで、自分の中で、定期的に奇妙な感覚が湧き起こる。

それは“違和感”では言い足りないけど、“間違い”ってほとではない、という微妙な感覚なのだ。

しっくりこない、という表現がいいのだろうか? 何か、腹から納得しかねるというか、喉にひっかかるというか。

例えば『大判たこ焼きを買ったけど、肝心のタコがとても小なかった』とか『下着のTシャツが後前を間違えていたまま着てたことに電車の中で気づいた』とか、『スターバックスに行って「ソイラテのショートを、マグカップでお願いします」と言ったのに「店内でお召上がりですか?」と尋ねられた時』のような、何も悪いこともないし、間違えてもいない。そして誰にも迷惑かからないけど、もやっとする感じ。

雪国に生まれ育った僕にとって、雪のない冬は、今だにどこかそんな奇妙な感じが漂う。こればかりは生まれた時や物心ついた時の記憶なので仕方ないのだろう。冬=雪、とイメージが定着してしまったのだから。

ツララ。これを取ってよく子供の頃は遊んだものだ。
道はかなりツルツルで、転んでる観光客をたくさん見た。僕は雪道の「転ばない歩き方」を心得てるのでまずコケることはないけど、普段使ってない筋肉を使っている感覚が面白かった。

とはいえ、もちろん人は学ぶ。雪がない冬にも慣れたし、それが「普通」になっていた。ズレたならズレたなり、ピント合わせればいいのだから。

そうして僕は、雪のない冬に対して、順応していったし、特に不満はない。

**

両親が亡くなると、故郷とは疎遠になる。帰る理由もないし、親類や親の知人、自分の同級生など、誰にも用事はないし、僕はその辺は義理堅い人間ではないので、わざわざ挨拶に行くこともない。嫌いになったわけではないが、好んで会いたいとは思わない。

しかし、そうは言っても生まれ故郷であり、なんだかんだで小樽へは行く。地理的な優位性として、札幌と近いので、札幌に行くついでにも行けてしまうっていう気軽さも手伝っている。

ちなみに今回は、JAL便で羽田から新千歳空港へ行ったのだけど、JALのセールがあったから、お得なチケットだった。(片道8000円くらいだったと思う)

北海道へ用はなかったけど、11月のセール情報を見て、真っ先に思った。

「雪景色が見たい」

真冬は、寒いのはもちろん。例えば雪道の運転はしたくないから、レンタカーを使えない。となると行動に制限もかかる。ウィンタースポーツはまるで興味ない。電車やバス移動の際、大雪で交通に規制がかかるかもしれないリスクがあったり、何より、時たま飛行機が吹雪で欠航することもある。

とにかく真冬に行くのは避けていたけど、そんなリスクや面倒臭さを超えて、

「冬を感じたい」

そう思った。

この動画で、ざっくりとレポートはしているけど、

途中からあまりカメラを回さなかった。なんだか、そんなことしてる時間が惜しかった。1秒でも、じっくりと、全身で感じたかった。

朝の小樽の散歩や、

探求クラブの北海道メンバーとの「祈りの会」と、その後の交流。

大通り公園の近くのスペースでのワークショップ。
メンバーが運営している「むぎしぜん」さんのパン。素材にこだわる方にはおすすめです。

https://www.instagram.com/p/C2BWFwsypFZ/

翌朝、中島公園の散歩。

スマホで写真だけは収めたけど、とにかく25年ぶりに、雪国の冬の景色と、キンキンに冷えた空気を感じながら歩き回った。

中島公園にある「伊夜日子神社」

鼻や耳たぶが痛くなる。指先がジンジンする。懐かしい感覚。

寒いのに、体は冷えていない。東京は、北海道よりもずいぶん気温は高いのに、なぜか僕は体の芯から冷え切ることが多い。なぜだろう?

***

故郷の産土神社である「龍宮神社」で手を合わせていると、頭の中が空っぽになった。何も考えれなかったし、言葉が出なかった。

言葉は、いらなかった。

たくさんの「交流」があった。

何と交流した?

さあね(笑)

色んな存在たちと、確かに交流があったんだ。

それは僕にとても馴染むし、僕を元気付ける。僕をいつも励まし、癒してくれる。

故郷の風。故郷の空気。水、食べ物。それらに宿るさまざまなものは、僕にとって、とても優しく、親和性の高いものだった。

あなたの生まれ故郷や、あなたの親の生まれ故郷という、ルーツのある場所に行ってみるといい。言葉にならない、言葉のない交流がきっとあるはずです。

帰りがけに、空港のフードコートにて。
お土産は、家族にも人気の「わかさいも」。

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